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361(08/11/09)
等身大の「力道山」に肉薄した書。

 さて。プロレスラー・力道山の実像に肉薄した渾身の作をご紹介したい。ミネルヴァ書房の日本評伝選シリーズとして10月に発刊されたばかりの『力道山』(著・岡村正史)である。同シリーズは、学術系の出版社として名高いミネルヴァ出版の看板企画であり、既刊の書には卑弥呼からさまざまな戦国武将、歴代天皇、手塚治虫まで400冊近くがある。

「力道山」

 日本プロレス界の父と呼ばれる力道山は、他界してからすでに45年が経過する。力道山が先駆者となってプロレス人気が沸騰し始めたのは昭和30年前後で、テレビ草創期にも当たることから、彼の姿をリアルタイムで観ていた人は決して多いとは言えない。街頭テレビを見たという人もいるかもしれないが、熱狂する人々の後ろ姿を見ていた、というのが実状だったろう。試合の様子を記録した動画も、いわゆる「ニュース映画」などわずかだ。

 リアルな力道山が記録された情報量が圧倒的に少ないなかで、プロレスそのものの虚飾性(それ故にプロレスは面白い、とも言えるのだけど)もあって、まことしやかな伝説、神話、作り話が、まるで真実であるかのように喧伝されてきた。力道山と関わりが深かった生き証人はそれなりにいるが、多くは虚構の物語を補完してきた“語り部たち”である。

 その一方で、「米国人をやっつける力道山の活躍を見て、敗戦国ニッポンの人々に勇気を与えた」「力道山の試合をひと目見ようと街頭テレビに人だかりができた」「戦後日本のヒーローだ」などなど定番的なフレーズそのものは、その根拠を確かめることなく二次加工、三次加工されながら各種歴史資料などで繰り返し使われている。

 著者の岡村正史さんは、当時の新聞や雑誌に残された元情報にまでさかのぼり、力道山や彼と関わりのある人々や諸団体の足跡を追い、数多ある評伝本を比較検討しながら辻褄の合う・合わないを検証していき、偶像の力道山に絡みついた薄皮を一枚一枚剥ぎながら、時には厚皮をばっさり切り落としながら、実像の力道山をあぶり出していく。

 例えば、「米国人をやっつけたからヒーローになった」という定番的な言い方があるが、「米国人レスラーをやっつけた日本人レスラーは他にも一杯いる。ではなぜ力道山だけがヒーローに成り得たのか?」という踏み込んだ話題になると、誰もが答えに窮してしまう。岡村さんは、そんな素朴な疑問にも真っ正面から取り組み、力道山がいかにプロレスラーとしての才能に長けていたのか、一つ一つ例を出しながら答を見つけ出している。その丹念な作業は、これまでの力道山関連資料ではほとんど手をつけられていなかった部分だったようだ。

 また、プロレスの暗黙の了解を破ったとされる木村政彦との試合には何があったのか。同じく柔道出身の山口利男との試合には何があったのか。そこに裏社会はどのように絡んでいたのか。プロレス界と政界、メディアはどのような関わりを見せたのか。……などなど、興味深い話題が次々と俎上にのぼり、意外な事実、意外な著名人との関わりがあぶり出されたりもする。

 執筆にあたっては、故・力道山の家族や近しい関係者への取材をあえて避け、徹頭徹尾、文献として残された資料を冷静に読み解くことに専念したという。近親者との距離を保たなければ、ここまで遠慮なしに書くことはできなかったろうし、それ故に、今後たびたび引用文献として使われる貴重な史料となったと思う。

 この本は世相史、現代史の一断面を鮮やかに切り取って見せた書である。力道山という稀代のプロレスラーの人生はもちろんだが、力道山という男の生き様を通じて、プロレス史はもちろんのこと、戦後のメディア史、裏社会史、政治史、在日朝鮮人史も透けて見えてくるところは最大の収穫でもあろう。この快楽を、プロレスファンだけに味わわせておくのは、とても、もったいない。

 お薦め。

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362(09/01/04
ドタバタだった12月。

 さて。12月は本当にドタバタだった。某雑誌の原稿締切、某社史2冊の手直し作業、某社史の取材、新社史の制作スタートと大阪出張3回、某結婚式などイベント多々に加えて、3年前に購入したMac miniのダウン(起動せず)がダメ押しだった。

 そんなこんなで、このHPもすっかり放ったらかしの状態。あわてて購入した中古Macのカスタマイズ作業(アプリケーションソフトのインストールやら、バックアップデータの再構築)も中途半端のままで、新年を迎えたところだ。とりあえず、言い訳だけしておこう。

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363(09/01/04
緊張のテレビ収録。

 さて。そんなこんなで報告がすっかり遅れてしまったが、12月某日、NHK-BS2「BS熱中夜話」で新春1月に放映される「ロック黄金時代」のスタジオ収録に参加してきた。ロックが熱かった60年代、70年代を振り返る視聴者参加の番組で、当HPを縁に、僕にもお声がかかり、全3回分のうち2回分の収録に参加してきた次第。39分番組(結果的には44分番組に拡大)3回分を1日で収録したのだが、1回分あたりの収録時間は意外と長くて約2時間。休憩をはさみながらの収録だから、ほとんど1日作業だ。

 僕と同じようなロックファンが30人ひな壇に座り、そのつど話題を振り向けられてマイクが回ってくるのだが、生放送でもないのに、えらく緊張してしまい、収録が始まってから最初の30分くらいはドキドキが止まらなかった。何しろ、司会者のすぐ後ろに座る羽目になってしまったものだから、ずっと正面にメインのカメラがあって、最初はにこやかな表情を作っていたのに、だんだんと頬が引きつってくる有様。たぶん、不自然な笑顔で映っていることだろう。

 「ロック黄金時代」の3回は、レギュラー司会者のビビる大木さん、田丸麻紀さんに加えて音楽評論家の萩原健太さんが案内役を務め、ゲストはローリー寺西さん、かまやつひろしさん、安斎肇さん、若い女性タレントさん(名前は失念)の4名。地上波の番組のなかでは数少ないお気に入り番組である「探偵ナイトスクープ!」に時々出演している田丸さん(顔、ちっさ!)と、「タモリ倶楽部」レギュラーの安斎肇さんにお会いできたのは、なかなか楽しかった。さすがタレントさんは勘所をわきまえていて、とくに安斎さんあたりは、自分の役回りを心得たコメントが絶妙。そして、ビビる大木さんの司会の巧さが印象的だった。

 1月8日、15日、22日の24時(正確に言うなら9日、16日、23日の0時)から放映されるが、たぶん僕が登場しているのは8日と22日だろう。ちなみに出演謝礼はTシャツ1枚。まあ、そんなもんでしょうね。

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364(09/01/06
今年も懺悔。

 さて。一部の人には何の意味か分かる答えを以下に掲載しておこう。

 これは、今年の年賀状に印刷したマニアックなクロスワードパズル。昔から自分が出す年賀状は「何かオモロイこと」をしようなどと考えるのが習慣になっている。古くは、ファーストフード店でスクラッチカードを配り始めた20年くらい前だったか、自作のスクラッチカードを作ったこともある。削り取る部分は銀色の塗料にしたが、紙の上に直に塗料を塗ると、塗料を削った時に紙自体も削れてしまうので、一枚一枚にロウを塗り、その上に塗料を塗って仕上げた……のが始まり。

 今年は、取材などで聞いた専門的な話のなかから、秘匿義務に抵触しないようなキーワードを選んで難問クイズを作ろう、などと思い立ったのは11月頃。ところが、そんなこんなの多忙のなかで肝心のクイズはさっぱりできず、大晦日になってから、たった数時間で仕上げて一気に投函した。

 奇妙キテレツな年賀状を出してしまった感じがして、投函した数時間後にはひたすら後悔。きっと、エキセントリックなヤツだと思われただろうなあ。今のところ友人1人から「さっぱり、わからん」というメールが来た以外、何の反応もないので、どうやらスベってしまったのだろう。厄介な性分ですわ。

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365(09/01/13
楽しみは放映後に。

 さて。1月8日深夜に放映された「BS熱中夜話」の「ロック黄金時代」1回目では、僕のコメントがすべてカットされていて、見終わってからすっかり脱力してしまった。他にもひな壇出演の皆さんのコメントは大半が放映されず、悔しい思いをした人が数々いたはず。

 ……とは言うものの、僕が「(クラシックロックの中では)いちばん好きなバンド」として挙げたユーライア・ヒープの、日本のファンサイト掲示板やらミクシィが縁になって、お知り合いが増えたのは嬉しかったこと。やっぱりテレビは、まだまだ巨大なメディアだなと実感した次第。

 まあ冷静に考えてみれば、司会やゲストで出演しているタレントの皆さんは「語りのプロ」「テレビに映されるプロ」なわけで、やっぱりプロの存在感には叶わないということなんだろう。

 僕の次回出演は、1月22日深夜24時からの「ロック黄金時代」3回目。この回では、僕がずっと記憶間違いしていたELPに関する話題があって、そこは放映されるのはイヤだなと思っているのだけれど、さて、次回はどうなりますやら。視聴率が良かったのかどうか分からないが、早々と地上波での再放送が決まったそうだ。

 ちなみに、当サイトのなかで「ユーライア・ヒープ」で検索して出てくる主な記事を以下に記しておこう。つくづく、好きなんだなあ、B級が。

隠れ名盤 世界遺産 08 「ソールズベリー」ユーライア・ヒープ
オンフィールド音楽研究所「043●ユーライア・ヒープ(Uriah Heep)」
ぞっこん名盤セレクション「(2)ユーライア・ヒープ」
オンフィールド音楽研究所「015●もしもフジロック'72が開催されるなら(2)」

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