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261(06/04/04)
さよなら、ギャロップダイナ

 さて。昨日だったか、名馬メジロマックーンが心不全で亡くなった、という報道があった。ちょうど僕が競馬に熱中していた最後の時代に活躍していたG1馬だ。ああ、そうそう、僕の大好きなギャロップダイナは、今はどうしているのだろう。不意にそう思って検索してみたところ、あらまあ、今年の2月に亡くなっていたようだ。秋の天皇賞を制したことがあるという意味では同じG1馬なのに、メジロマックーンとは対照的に、ひっそりとこの世を去ったことになる。

 ギャロップダイナといえば、「記録に残る名馬」というよりも「記憶に残る迷馬」として、今もなお一部のファンの間では語りぐさになっていると思う。ウイキペディアでも簡潔に紹介されているが、関係者泣かせの荒くれ馬で、札幌競馬場ではレース中に騎手を振り落としてしまったことがある。通常、騎手が落馬した場合は一生懸命走るのをやめるものだが、彼は「背中が軽くなって気持ちいいわい」と思ったのかどうか、落ちた騎手を嘲り笑うように自ら追い込みをかけて、空馬(カラウマ=騎手がいない状態)のまま1着で悠々とゴール板を駆け抜けたのだった。

 そのひょうきんな姿に惚れて、僕はギャロップダイナの大ファンになった。人気が高まればあっさりと凡レースをし、人気がなくなったら不意に走り出すという気分屋さんで、僕も何度か騙されたが、それがまた、愛くるしさを募らせた。

 引退レースの1986年有馬競馬では、ご祝儀代わりにギャロップダイナ絡みの連勝馬券をいくつか買った。単勝では、同じく好きだったダイナガリバーも買った。ギャロップダイナは全くの不人気だったが、あっと驚く激走をみせて2着に入線。1着にはダイナガリバーが入り、僕は20万円ほど儲けてしまった。この日は場外で馬券を買って休日出勤していて、大穴が当たった僕は震えが止まらず、仕事が手に付かなくなってしまったことを覚えている。後にも先にも、大当たりはあれが唯一だった。

 ギャロップダイナがいなくなってから、競馬にはあまり関心が向かなくなり、やがて馬の名前も覚えられなくなった。競馬は「記憶のギャンブル」だから、足が遠のくとますます興味を失ってしまう。後に、ギャロップダイナの子どもたちの馬券を買いあさったこともあるが、子どもたちは「あっと驚くレース」など披露してくれず、もう7年以上は馬券を買っていない。競馬ゲームでギャロップダイナの子供を一生懸命育てたりもしたが、いずれも駄馬ばかりだった。

 いつか、北海道の社台ファームに行って、ギャロップダイナの背中を撫でてやりたいと思っていた。そのことさえ忘れている間に、亡くなってしまった。メジロマックイーンの死を悼む人間はゴマンといるだろうが、ギャロップダイナの死を悼む競馬ファンは僅かだろう。夢を持てなかった会社員時代に、夢をもらった。だから、せめて僕は「ありがとう。どうぞ安らかに」と言ってあげたい。

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262(06/04/04)
寒い寒い冬を耐えて

 さて。久しぶりの家庭菜園情報。昨年の秋以降、仕事が多忙で庭仕事はさぼりっぱなし。その間、連れ合いが育ててくれたホウレンソウ、菜の花、赤ダイコンが収穫の時期を迎えている。

 今度の冬は歴史に残る厳冬だったというのに、手作りのビニールハウスに守られ、逞しく育ってくれた。竹竿でアーチを作り、ただのビニールを上からかぶせて四隅に重りを置いただけの、簡素なビニールハウスだったが、どうやら威力は絶大のよう。


▲赤ダイコンの赤は自然の色。ドレッシングが真っ赤に染まる。

 ホウレンソウと赤ダイコンは、生のままサラダでいただいている。菜の花はバター炒めが好みだ。いずれも嬉しい春の香りがする。さて、次は何を植えようか。

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263(06/04/15)
久々の国会図書館

 さて。ちょいと調べモノがあったので、空いているであろう土曜日を狙って国会図書館へ。館内に入ったら、すっかり仕組みが変わっていてビックリ。何が変わったかというと、入場時に一日限りのICカードを作り、このカード1枚で、閉架図書の請求からコピーの複写から、すべてを管理する仕組みになっていたのだ。

 以前は、磁性粉が四角い窓の中に入ったようなカードをもらい、これを機械に入れて請求用紙を最大3枚受け取り、古い雑誌を見たい場合は分厚い所蔵リストをひっくり返して雑誌の番号を調べ、用紙に手書きで記入、長い列に並んで用紙を手渡しして……という面倒な手続きが必要だった。これを雑誌と図書、別々のコーナーで手続きし、その合間を縫って図書検索のパソコンコーナーに並んだり、昔ながらの引き出し式の木箱を取り出したりといった具合で、あっち行ったり、こっち行ったり、結構忙しかった。

 今は、100台くらいのパソコンがずらりと並んだコーナーがいくつかあって、そこで検索をし、雑誌や図書の請求も完了してしまう。ずいぶん、楽になった感じだ。1日限りのICカードではなく、個人用の「登録利用者カード」を作成してしまえば、自宅のパソコン上からコピーの郵送請求もできるようなので、さっそく登録した。

 いつの間に、国会図書館がこんなになったのだろう、前はいつ来たのだろうと思い、係の人に聞いてみたら、一昨年の10月から今の仕組みになったのだという。そう言えば、以前来たときは、間もなく工事が始まるので一時的に閉館される、などと聞いたことがある。ということは、僕も1年半ほど、ここに来ていないということ。国会図書館で調べものをしなくてはいけないような仕事をしてこなかった、とも言えそう。

 係の人によれば、以前の手書きスタイルはすべて廃止したそうだ。つまり、キーボードを使えることが国会図書館を利用するための最低条件になったことになる。世の中には、パソコンはもちろんワープロすらも絶対に使うもんか、と心に誓っている人がいそうだが、そんな人はどうするのだろう。

 お膝元の国会議員のなかに「そんな人」が多そうな気もするが(苦笑)、まあ、彼ら・彼女らが自分で資料を探しには来ないだろうから。

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264(06/04/22)
深町純×和田アキラ

 さて。昨晩は、キーボード奏者の深町純さんとギタリストの和田アキラさんによるライブを観てきた。深町純さんに関しては、こちらでさんざん書いたので詳細は割愛するが、ジャズ・フュージョン界では重鎮のキーボード奏者。和田アキラさんは弱冠18歳にしてフュージョンバンドのPRISMを結成、神童と呼ばれた“早弾き”ギタリストだ。2人は昨年末、初めてのデュオアルバム「Digit Cafe」を出したコンビで、同アルバムの作品が中心ではあったが、80年代の初めにはKEEPというフュージョンバンドを作っていた仲でもあり、当時のちょっぴり懐かしい曲も演奏してくれたりで、なかなか楽しかった。

 深町純さんの演奏を観るのは、ニューヨークの凄腕ジャズミュージシャンを引き連れた「深町純&ニューヨーク・オールスターズ」の公演以来だから、もう28年ぶりになる。確かFMで自らの番組を持っていた時期もあったと思うが、当時から歯に衣着せぬ物言いで、音楽業界を斬りまくっていた。昨晩も皮肉混じりのMCが健在で、そこに和田アキラさんが絶妙の合いの手を入れるという、まるで人生幸朗・生恵幸子コンビのような息の合い方だった。

 ちょっぴり複雑な思いもしたのは、チェーン店ばかりが目に付く凡庸なベッドタウンである仙川という街に開店したばかりの小さなカフェ(食事は美味しかった)での、観客60人ほど(ちなみに満員)のライブだったこと。入場料3000円×60人のライブで2人が得るギャラは推して知るべしで、ミュージシャンも厳しいなあというのが実感だ。ある種の開き直りで、「自分たちの好きな音楽を演る」ことに徹しているのだろうし、そこが救いではある。

 今はレコード会社のお膳立てのままにマーケットインの曲作りをするミュージシャンが多いから、観客に過大な媚を売らずに、自分たちが気持ちよくなる音楽を我が物顔でプロダクトアウトしてくれるミュージシャンは、非常に貴重な存在。僕としては、気持ちよく演奏している2人を観せていただけるだけで幸せな気分だ。

 幕間の休憩時間に一服吸いに外へ出たところ、お2人もそこで一服していて、声をかけたい衝動をぐっとこらえた。深町純さんにヘタに声をかけたら「くだらないレコード評をしてくれるね」と叱られそうだし(苦笑)。

 深町純さんは「また、ここでライブを演りたい」と言っていた。次は即興のソロピアノを聴いてみたい気もするが、どうなりますやら。

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265(06/05/01)
エグゼクティブ・ウイーク

 さて。先週はエグゼクティブクラスの取材が続いた週だった。火曜日は某A社社長への4回目の取材で都内。水曜日は某B社の社長と会長の取材で都内。木曜日は某C社の社長取材で広島県へ。そして金曜日は再び都内で某B社の前社長取材、といった具合。

  いずれも、最近ずいぶん増えてきた社史執筆のためのお仕事だ。ABCの3社とも業界でトップ、もしくはトップクラスの企業とあって、少しばかりの緊張感は伴うものの、やっぱり社長取材はおもしろいと実感。巨大な組織を率いるだけの求心力や独創性、広い見識があり、経験も豊富で、質問に困ることもなく、話がつきないのだ。あっという間に1時間、2時間がたってしまう。

 社史の仕事では、社長取材がたいてい作業の後半に入るものだが、今回は比較的早い段階での取材となった。これから長丁場の仕事になる。少々ハードワークが続いているが何とか乗り切って、読者に喜ばれる社史に仕上げていかなければ。

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