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256(06/03/17)
花粉症30周年

 さて。今年も花粉のシーズンがやってきた。花粉症といえばスギ花粉が一般的だが、僕の場合は、どうやらヒノキ花粉症が中心のよう。毎年、3月の半ばくらいから急激に辛くなり、これがゴールデンウイーク近くまで続く。今週の日曜日、急に鼻水・くしゃみに襲われ始めたので、「ひょっとして」と思って花粉の飛散情報を見てみると、ああ、やっぱり。西東京市では3.3個(たったの!)が観測されたようだ。

 思い起こせば、初めて花粉症にかかったのは、大学1年生の時。今でも覚えているが、フランス語の授業の真っ最中だった。確か、フランス語独特の「R」の発音を練習していた時で、皆がうがいのような声を出している最中に、くしゃみが止まらなくなった。我が身に突然起こった症状に対処できず、先生が「どうしましたか?」とフランス訛りっぽい日本語で問いかけてきたことを覚えている。

 そうそう、このフランス語の授業は、先生がジタン(ゴロワーズだったか?)の愛煙家で、唯一、喫煙しながら受けられる授業だった。今では、考えられないハナシ。

 昔は「花粉症」などという言葉がなく、「アレルギー性鼻炎」の一言で片づけられていた。耳鼻科に行くと、大きな注射器みたいな薬の注入器を渡されたが、電車に乗っている時にカバンの中からポロリとこぼれ、「こいつ、何を持ってるんだ?」と怪訝な顔で見られたことも、ああ、思い出した。

 数えてみれば、あれから30年である。企業は何十周年という節目を迎えたときに式典を催したりするが、僕も30周年式典でもやってみるか。……って、何のために?

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257(06/03/17)
面白いサイト見っけ

 さて。最近活用し始めたRSSでのニュースを通じて、初めて知ったサイトがある。これが、なかなか面白いサイト。たぶん、知っている人は知っているだろうが、「kizasi.jp」というサイトだ。

http://kizasi.jp/

 上記のトップページには「ブログに記された無数のコトバから変化のkizasiを発見するサイト」と説明がある。僕もまだ見始めて間がないので、仕組みはイマイチ理解していないが、昨今流行しているブログの山の中から、書き手が急に使い始めたコトバを測定し、いま最も旬なコトバをランキングで示そうという試み、のよう。

 ちなみに、この原稿を書いている3月17日の夜23時現在では、当日のランキングとして WBC(ワールドベースボールクラシック)関係のコトバが軒並み上位を占めていて、「日本準決勝進出決定」が1位となっている。過去1カ月のランキングだと「荒川金メダル」が2位に食い込み、「イナバウアー」が33位。お見事なことに、「耐震偽装」「ホリエモン」「メール問題」などは、ベスト100にすら入っていない。ブログの話題が、いかに目まぐるしく変わっているかがわかって、とても興味深い。

 僕自身、世相記録という学術的な(?)目的で「あの日の一言 データベース」というものをコンテンツ化しているが、客観的な世相記録データとして、「kizasi.jp」には、とてもとても敵わない。正式オープンは2005年の12月だったようで、まだ知名度は低いだろうが、今後、何かと話題になりそうな予感。

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258(06/03/20)
「愛と死をみつめて」

 さて。テレビ朝日の「愛と死をみつめて」を2日連続(18日・19日)で見てしまった。軟骨肉腫を患って顔の半分を失う若い女性・みち子と、思いを寄せる大学生・実(まこと)のラブストーリーだ。若い女性にはあまりに過酷な難病を受け入れるまでの葛藤を描いた1日目、その後の経過を描いた2日目に分かれたが、甘く評価すれば、1日目は星4つ半、2日目は星3つ半で、合わせて星4つというところか。

 2日目は周囲の人物を描きすぎていて焦点がぼやけてしまった。実際にあった出来事をベースにした分、過剰な作り込みはできなかっただろうから、名のある脚本家・鎌田敏夫の力で、何とか最後まで引っ張ったという印象。正直、あまり期待しないで見始めたが、想像していたよりも、よくできたドラマに仕上がっていたと思う。俳優陣もまずまず。

 ただ、苦言を呈すれば、以前「赤いシリーズ」のリメイク版について言及したときも同じことを言ったけれど、昭和30年代後半の空気感が希薄だったことは残念。大金を投じて「テレビドラマ史上最大のオープンセット」を作ったのはいいけれど、キャストのヘアメイクが普段通りだったのは、どうもいただけない。広末涼子は髪を黒くするべきだったろうし、草なぎ剛は刈り上げの7・3分けにすべきだった。眼鏡をかけている人も黒縁が適当だったろうと思う。その他の助演、エキストラも同様である。その程度のことを出演者に強いることは、大金を使ってセットを組むよりも困難なことだろうか。

 企業の社史など昭和史に関心があるために、古い映像を注意深く見る機会が多いが、昭和30年代の日本人の外見は、今とかなり違う。それはヘアスタイルであり、眼鏡などの装身具であり、ファッションの違いでもあり、あるいはフィルムの画質のせいでもあるのだが、可能な範囲で近づけてくれなければ、時代をタイムスリップすることはできない。時代劇はもはやフィクションの時代という前提があるが、昭和30年代はリアルタイムで知る人が多いから、中途半端な時代考証はかえってマイナス材料になる。

 映画じゃなくて、たかがテレビドラマだから。フィルムじゃなくてビデオだから、という申し開きもできるが、時代の空気感がベースに流れていないと、文通で愛を育んだリアリティもなければ、ソフトなキスでドキドキする感じも、浮き彫りにならない。そのあたりが、とても残念だった。あと個人的な感想としては、広末涼子の、はんなりとした関西弁に好感。まあ、高知出身だから当然、とも言えるけれど。

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259(06/03/28)
大貫さん、ロックしてるなあ。

 さて。以前から一度はキチンと聴いてみたいと思いつつ、電波状態が悪かったり、タイマー録音に失敗したりで聴けなかった大貫憲章さんのラジオ番組「KENROCKS NITE」(Inter FM、土曜26時〜28時)を、ようやく聴いた。初めて聴いたというのに、何とまあ、この日で番組は終了だそう。

 大貫憲章さんは、渋谷陽一さんや伊藤政則さんと並んで、70年代から活躍するロック評論家の重鎮として有名だ。渋谷陽一さんはエアロスミスとバウワウをプッシュしていた印象が強く、伊藤政則さんはヘビーメタルロック派、大貫憲章さんはクイーンやパンクロックなどUKロック派の印象が強い。

 この日は7年間続いた番組が最終回を迎えたこともあって、かなり荒れていた。ゲストに迎えたはずのレコード会社洋楽担当者が下っ端をよこしたことで、面と向かってイヤミは言うわ、メジャーレーベルの悪口は言うわ、「あんたたちがスポンサーについていたら、番組は終わらなかった」とクダを巻くわで、聴いている方もハラハラドキドキ。

 少々やりすぎの感はあったし、上司に言われて出演した某社洋楽担当の女の子も相当可哀想だったが、その背景には、今の音楽産業界への苛立ちが色濃くある。テレビもラジオも、メジャーレーベルのプロモーション道具と化している面は確かにあり、しっかりとした音楽感を持ちながら己の信じるお薦め作品をプッシュできる、批評家精神に満ちた音楽評論家は冷や飯を食っているのが現状だ。この番組も、民放でありながらCMなしの状態だったようで、最終的には、それでも放送を続けるべしという判断には至らなかったのだろう。

 いつもの放送を聴いていないので、客観的な評価はできないが、確かに選曲はユニークだった。レッド・ツェッペリンの「永遠の詩」(アルバム「聖なる館より」)で幕を開けたのは王道だが、ザ・タイガース「落葉の物語」に続けてフラワー・トラベリング・バンド「SATORI パート2」をかけたり、ラモーンズやクラッシュといった70年代パンクをかけたかと思えば、最近のロックからオーシャン・カラー・シーン、再び日本に戻って村八分のライブ盤といった具合で、滅茶苦茶ながらも一貫性のある選曲。番組のエンディングとして、ボクもすっかり存在を忘れていたUKトラッドフォーク系のリンディスファーンで締めくくるあたりも、実に渋い。

 以前、ここでも書いたことだが、70年代から80年代の初めくらいまでは、DJがいわば教師役のような形で「こういう音楽を聴きたまえ」と指南するようなラジオ番組が多数あったように思う。いくらヒットしていようが下らない曲は「くだらねえ」と一刀両断で斬りつつ、音楽雑誌に広告すら出ていないマイナーなアーティストを紹介するような、一本、芯の通った番組が、成り立ち得た。このようなDJ職人の気骨が、今は求められない時代なのだろうか。

 たまたま音楽の世界について書いているが、これは書評などにも通じる部分があるように思う。媒体が無料で配られるような今の状況がさらにエスカレートすれば、結局、いちばん貧乏くじを引くのは、生活者ではないの、という気持ちがしないでもない。

 さて。ここで触れた大貫憲章さんと伊藤政則さんの対談ページを発見したので、リンクしておきたい。ロックなオヤジたちの放談に過ぎないとも言えるが、けっこう、的を射た発言が多いと思うので。あ、今話題のUSENの宣伝コンテンツなのね。

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260(06/04/02)
続々、座頭市。

 さて。去年あたりから衛星放送で定期的に放映が始まった映画「座頭市」シリーズが面白い。現在は日本映画専門チャンネルで毎月一作放映されている。ちょうど「ゴジラ」シリーズが、デパートの屋上催事のようなアイドル路線に走ったり、再び凶暴なキャラクターに変わったりしたのと同様、「座頭市」も時代によって作風に紆余曲折あるのが興味深い。できればテレビシリーズも観たいなあと思っていたら、間もなく時代劇専門チャンネルでテレビ版「座頭市」が一挙100話放映されるという。これは朗報だ。

 個人的に思い入れがあるのは、「新・座頭市」最後の第3シリーズ。人情ドラマが主体になったこのシリーズでは、テレビドラマとは思えない質の高い映像が秀逸。フジテレビでこれが放映されたのは1979年から翌年にかけてだったと思うが、時代劇ドラマが活劇化していたなかで非常に地味な作りになっていて、夜20時からのゴールデンタイムだったにもかかわらず視聴率は低迷していたことを覚えている。

 なかでも一番好きな作品は15話目の「かかしっ子」。言葉を失った少女と、盲目の座頭市が心を交わすシーンは、ろくにセリフもないシーンが延々と続く地味さで、ゴールデンタイムの放映には誠に不向き(苦笑)だったが、涙なくして観られない回だった。最後の2作「虹の旅」「夢の旅」は採算度外視の作りで、確か、大赤字だったと記憶している。勝新太郎自らメガホンをとった作品もあるが、確か、脚本も手掛けていたように思う。映画屋が魂込めて作ったシリーズだ。共演陣も、めちゃ豪華。

 できれば、同じ時代に勝プロが手掛けた「警視K」も観たいところ。「新・座頭市」第3シリーズと「警視K」で大赤字を背負い(さらに映画でも借金を背負い)、勝新太郎さんの死後、中村玉緒さんが借金を返していくことになるわけで、まあ、いわくつきの名作ということになる。

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