191〜195

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191(05/05/19)
今年は絶対に収穫

 さて。今年も家庭菜園の季節がやってきた。昨年は気候に恵まれてオクラとナスが順調に収穫できたが、一昨年のトマト失敗、エダマメ失敗、ニガウリ失敗は苦い経験。そのリベンジをと、今年は準備万端で臨む。

 このゴールデンウイーク中に植えたのは、ピーマン、マキワウリ(メロン)、トマトと、サヤインゲンの種の4種類。さまざまな理由で勝手に育ってきたカボチャ、ジャガイモも楽しみではある。この間、園芸の本を読み、NHK教育テレビの番組を見て、それなりに基礎知識を蓄えてきたつもり。夏には、収穫できた野菜で夏野菜のインドカレーを作り、マキワウリのデザートを食するのだ。だぁー!

ピーマンの小さな実
▲ピーマンは早々と小さな実が

トマトの苗
▲トマトの生育はとりあえず順調

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192(05/05/19)
手乗りモスリン

 さて。春の暖かさに誘われて、モスリンが続々誕生したことはすでにふれたが、GW明けに誕生したモスリンで手乗り撮影に成功。昨日は、最後に残っていたサナギから最後のモスリンが誕生して元気に飛び立っていった。

手乗りモスリン

 自分の生まれ故郷が恋しいのか、我が家にはアゲハチョウが頻繁に飛来する。すべてが、我が家で生まれたモスリンだと思っているのは、親バカの一種か。ちなみに、「モスリン」は天然素材の名前として古くからあるらしい。紛らわしいな。

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193(05/05/19)
初イチゴ

 さて。雪に埋もれながら見事に生き延びたイチゴの苗から、初収穫。まだ少し赤みが足りなかったが、待ちきれず摘み取ってみた。ちょっと酸味が強い。あと20粒ほど収穫できそう。

初イチゴ

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194(05/05/23)
センチメンタル箱根旅行

 さて。もう一週間ほど前のできごとだが、お袋を東京に呼んで、連れ合いと共に箱根旅行へ出かけた。

 初日の日曜日はあいにくの雨で気温も低く、高齢者を連れた旅としては最悪のコンディション。強羅から早雲山までケーブルカーに乗り、ここから芦ノ湖方面へ向かうことにしたのだが、すでに夕刻に近かったこともあって、大涌谷までしか行けなかった。早雲山から大涌谷まではロープウエーで10分ほど。乗車するときは、さほどの風とは思えなかったが、実際に乗ってみると峠を吹き下ろす強風に吹かれて、ゴンドラが揺れること揺れること。なかなかスリリングな空の旅となった。

 大涌谷は、ゴツゴツした岩の狭間から硫黄臭のある噴煙が立ち上る荒涼とした風景で、閻魔台、地獄沢などのおどろおどろしい地名や、2時間ドラマのロケなどでもお馴染み。あちこちから乳白色の温泉がわき出ていて、温泉の湯で茹でた「黒タマゴ」が名物だ。乳白色の湯は、僕たちが泊まった強羅の宿にも供給されていて、なかなか肌当たりの良い、快適な湯だった。

大涌谷
▲赤茶けた谷底の上を、ロープウエーが走る大涌谷

 明けて月曜日は、気候が好転したので、時間を惜しんで一気にタクシーで芦の湖畔の元箱根へ。深い碧をたたえた湖面や、みずみずしい新緑の向こうに、くっきりと富士山が見えて、何とも絶景だった。とりわけ、元箱根の恩賜公園は絶好のビューポイント。公園内の木々も美しく、とても思い出深い一日となった。

恩賜公園から富士山を眺める
▲恩賜公園からの眺めはお薦め。秋の紅葉シーズンも素晴らしいだろうな

 お袋も、年齢的にはすでに後期高齢者に属している。公園の階段を下りながらお袋の手を引いていると、「こんな旅が、あと何度できるのだろう」などと、センチメンタルな気分になる。人生は楽しまなくてはソン。人生の終末期を笑顔で送れるよう、できるだけのことをしてあげたいと思う。

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195(05/05/23)
今度は韓国へ

 さて。旅の話題が続くが、この週末には障害者プロレス「ドッグレッグス」の韓国興行で、ソウルへ出かけた。ドッグレッグスの海外興行はこれが初めて。興行そのものは、日韓の文化・習慣の違いを痛感させられるものとなったが、試合の話題は置いておいて、韓国の印象を少々。

 公式旅程の邪魔にならない程度に、夜間や早朝に町を散歩するよう心がけた。バスから眺めるメインストリートの光景は、おおむね想像通りの都会地だったが、一歩中に入ると、煉瓦造りの質素な建物が並んでいて、見事なまでに区画整理で林立した団地風マンションとは好対照をなしていた。あちこちに、十字架を冠した教会が点在していたのも印象的。通りを走る車はヒュンダイ車が圧倒的に多く、日本車は数えるほどだった。

 夜は、点在する屋台風の食べ物屋から美味しそうなニオイが立ちこめる。小さな公園のような場所では、ちょうど春の花見のように、買い込んできたツマミとビールで談笑しながら酒を飲む光景も見られた。異国の地では、夜間の一人歩きにそれなりの用心が必要だが、少なくともボクがうろついた傍花(Banghwa)のあたりは、至って平穏で、特段の不安は感じなかった。

 さて。韓国の福祉は遅れていると聞く。確かにそうなのかもしれない。町のつくりは車いす利用者には明らかに不便そうな感じで、歩道はガタガタとして歩きにくく、段差も多い。階段を数段上がらないと入れない飲食店も目に付いた。ただ、不思議なことに、車いすに乗った中年や若者、脳性マヒ特有の歩き方をする障害者も健常者に混じってよく見かけた。知的障害をもつ女の子の手を引き、ニコニコしながら公園にたたずむ父親の姿も印象的だった。

 障害者プロレスの興行会場では、前座として地元の歌手が次々と登場したが、小人の若い女性演歌歌手、足の不自由な演歌歌手なども煌びやかなステージ衣装をまとって登場し、自慢の喉を披露。何だか、それぞれ逞しく生きているなあという印象を抱いたことも確かだ。それは、福祉が立ち後れている裏返しでもあると思われ、その意味では複雑な気分ではあるのだが。

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