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186(05/04/21)
mixiの面白さに目覚める

 さて。4月18日に入ったばかりだが、ソーシャル・ネットワーキングサイト(長い……)「mixi(ミクシィ)」の面白さが、ようやくわかってきた。ただのブログ集合体でもなければ、荒れ放題の掲示板でもない。こうやって自分のHPコンテンツを作り、メルマガコンテンツを作っているのとは、ちょっと違う感覚だということが、掴めてきたのだ。(しくみの説明

 そう、ドラマ「北の国から」に例えるならば、HPやメルマガコンテンツづくりは、五郎さんが一人でトンカチやりながら丸太小屋を作っている感覚に似ている。一緒に協力してくれる仲間はいたとしても、基本的には一人でシコシコ、木を削りながら「むふむふ、これはウマくできそうだわい」とニヤニヤするような感覚。見物人が多くなってくると、余計に発奮したりして。

 一方、mixiは、部屋着から最低限の身繕いに着替えて、富良野の市街地にぷらりと出かけるような感じだ。基本的にヨソ者は少ないから、安心して町中を歩ける。好きな喫茶店でコーヒーを注文し「モカとキリマンジャロの違いなんて、わかんねえや」と呟いたり、花屋さんに寄って「これ何て花だぁ?」と尋ねてみたり、本屋やレコード屋に寄っては、「やっぱ八代亜紀だべさ」と好きな作家・アーティスト談義に花を咲かせる……といった具合。

 あるいは、馴染みの飲み屋に立ち寄る感覚にも似ている。「やあやあ」と会釈する程度の顔見知りもいれば、「こんにゃろー」とクダを巻いても許容してくれる親友がいる。時には酔った勢いで、知り合ったばかりの人の家に上がり込んだりもする。なあるほど、こういう世界があるのだな。

 運営会社のHPによれば、この4月にはユーザー数が50万人を突破したという。1月に30万人突破だから、かなりの勢いだ。それもうなづける感じがする。ネットがまた楽しくなってきた。

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187(05/04/21)
モスリン、ぞくぞく誕生

 さて。さまざまな事情により、家の中で放置していたサナギから、アゲハチョウがぞくぞくと誕生している。僕は、モスラから取って「モスリン」と命名。これで孵化は5匹目だったか。

 「手乗りアゲハ」の写真を撮ろうとしたら、今度のモスリンは一番元気で、指先から手の甲、手首、二の腕とアッと言う間に登りつめ、写真のように首までやってきて、二本の触覚で首筋をくすぐり始めた。まだ孵化していないサナギは、あと数個。もちろん、蝶々を家の中で飼うのはあまりに可哀想なので、翌日には外に放ちますけどね。

 皆さんも、来年はサナギを飼ってみませんか? サナギを飼うには、当然、前段階の青虫時代から飼うことになりますが…。ぞぞっ?

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188(05/04/26)
JR福知山線の事故について

 さて。JR福知山線で悲惨な列車事故が起きた。ニュース番組では事故原因の「推測」に多くの時間を費やしているが、福知山線の歴史的な経緯については、誰も触れないでいるので少しイライラする。

 阪神間に永年住んでいた者なら先刻承知だが、福知山線は長い間、周辺住民ですら「誰がこんな路線に乗るのだろうね」と思われるような過疎線だったのだ。例えば大阪まで10分足らずの距離にある「塚口」という駅名はまあまあ有名だが、阪急の「塚口」駅利用者は非常に多いものの、少し離れたところにある福知山線の「塚口」駅は、ラッシュアワーの時間帯でもホームの上にほとんど人がいないような路線だった。地元の感覚では「あれは貨物専用線なのか」とでも思える存在だった。

 たぶん90年代の半ば頃からだったと思うが、大阪から見れば北西方面にある宝塚や、三田方面に郊外型の住宅地が次々と整備され、大阪へのアクセスを強化するために、急ごしらえで「通勤・通学路線」としての役割を担うようになった。

 例えば、大阪駅から西方面に走る列車のホームでは、かつては案内板など見なくても、すべてが西へ向かう神戸行き(山陽本線)の電車だったが、最近では半数近くが北西方面にのぼっていく福知山線。関西から上京して10数年がたつ僕は、何度か乗り間違えそうになったことがあるほどだ。急速に発展してきた路線であるということは、昔ながらの鉄道軌道を使いつつ、使用頻度が爆発的に増えてきたということ(と推測)。どうせ事故原因を「推測」するなら、このことと何らかの因果関係があると見るのが自然だと思うのに、誰も言及しない。

 東京在住の鉄道の専門家を呼んでコメントを吐かせるのも結構だが、地元に土地勘のある人間をコメンテーターに迎えるのも重要な視点。それが、決定的に欠けていると思わざるを得ない。「現地のことは現地に聞け」が、やはり鉄則だよなあと痛感する。今晩の「クローズアップ現代」で、その点に触れるかどうか。同番組の取材力を試す格好の機会というのが、個人的な関心。

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189(05/04/29)
そういえば、10周年だった

 さて。今年の2月半ばで、フリーライターになって丸10年になった。そのことに、ようやく昨夜になって気づいた。新規営業先向けのプロフィールなどを書いていて、「あらま、10年じゃないの」と……。企業や団体の「●年史」など周年誌を執筆することも多いのに、自分のことだと、そんなものなのだろう。

 10年を経過しての感想と言えば、よくまあ、ここまで生き残れたものだということ。フリーになったら年収1千万円?などという淡い淡い希望は、とうの昔に木っ端微塵にうち砕かれているが、どうにかこの仕事を続けてこられた。途中、やむを得ず「いらっしゃいませー」などと、接客のアルバイトをした時期が半年近くあるが、食うには困らず脂肪太りをしているので、由としよう。

 これまでお付き合いした出版社、編集プロダクション、広告プロダクションなどの数を数えてみたら、およそ40社あった。不幸な形で取引がなくなった先もあったが、すべての会社と担当者に感謝を申し上げたい。ただし、原稿料約20万円を5年以上払ってくれない某編プロは除きますけど、ねっ(苦笑)。

 命さえながらえば、10年後も同じ仕事をしている予感。ま、今さら転職はできないし、起業する原資もないし、宝くじも買っていないし。そういえば、このサイトは間もなく5周年だなあ。月日がたつのは、早いなあ。

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190(05/04/30)
初めての手作りインドカレー

 さて。休日にありがちなパターンだが、昨夜はカレーを作ってみた。いつもと違うのは、市販のカレールーは一切使わず、小麦粉も使わず、複数のスパイスや湯むきをした完熟トマトで、本式の手作りインドカレーに挑戦してみたことだ。左はオクラと挽肉のカレー、右は野菜たっぷりチキンカレー。

 当初は、丹念に録画してある料理番組や、ネットで検索したレシピ(これとこれ)で作ろうと思ったが、あの野菜がない、あのスパイスは高いなどの理由で材料が思うように揃えられず、結局は行き当たりばったり、見よう見まねで作ることにした。

 とある番組で、「色はターメリック、香りはコリアンダ、辛みはチリパウダー。この3つが基本のスパイス」と言っていたので、これらを多めに入れ、後は「スパイス20種セット」みたいな基本セットについているスパイスを適当に入れては味見をし、また別のスパイスも加えてみるといった感じで、完成品のイメージもないままにやってみた。右のカレーには、ココナッツミルクパウダーも入れてみた。

 今イチ味が決まらなかったが、不思議なもので、最後に塩をひとつまみ入れたら、ピシッと決まった。左のオクラと挽肉のカレーは、チリパウダーを入れすぎたようで、ヨーグルトなしには食べられない辛さとなったが、おおむね美味しくできて、とても満足。汗がだらっだらっ、出てきた。

 市販のカレールーを使うと、お鍋もお皿も油でギトギト、食べ過ぎたらお腹にもたれる感じがするが、手作りカレーは薬膳料理といった感じで、お腹もスッキリ、皿洗いもスッキリ。ああ、どうしてこのようなカレーを作ってこなかったんだろうと、つくづく思った次第。たぶんもう、市販のルーには戻れないだろうな。

 カレーづくりは、この先まだまだ極めることができそうだが、自分ではどうにもできないのがナン。美味しいナンを出してくれるパン屋さんがあればいいのだけれど。

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