さて。昨夜某所で、出版関係者が総勢600人以上集まるパーティがあった。ライターの企画持ち込みから出版までをサポートする、NPO法人の旗揚げ一周年パーティだ。マシなライターを探したい出版社や下請け編集プロダクション、仕事がほしいライターなどが、お互いに大名刺交換会を繰り広げる大イベントとなった。 このようなパーティで受け取った名刺は、翌日整理しようとすると、誰が誰だったか、ワケ分からなくなるのが常。そこで、僕はこの日のパーティ用に印象深い名刺を作って、食べ物に目もくれずせっせと版元の編集者と名刺交換に努めた。2時間余りのパーティで名刺交換できたのは、せいぜい50名。まあ、これが限度だろう。 さて。この日、僕は“天敵”と久しぶりに再会した。「債権回収トホホの1500日(コラム1回目へ)」で書いた、原稿料不払いの編集プロダクション社長である。96年に原稿料不払いの憂き目にあい、僕の方が法的手段に出て99年に簡易裁判所で示談が成立、分割で原稿料を支払うと約束したのに、まだ約20万円の支払いが滞っている。その翌年、地下鉄の駅でバッタリ会って以来だから5年ぶりになる。 僕も大人なので、パーティ会場で罵倒するような真似は慎み、皮肉を込めた一言をかけるだけで自制をしたが、よくもまあ、こういう晴れやかな場所に堂々と出て来られたものだ。この日参加された数多の方々の名誉のために書いておくと、配布された名簿リストには名前がなかった。たぶん、噂を聞きつけて直前に参加したのだろう。 出版界最大のパーティと銘打っていただけに、あの“天敵”に会うかもしれないとは予測していたが、あちらは、僕に会うと予想していなかったのだろうか。向こうもしたたかだが、僕も出版業界で、しぶとく長生きしてやる。ここで社名や個人名を暴露されないことを、心の底から感謝してもらいたい。 さて。今年も、グラミー賞の季節がやってきた。ここ数年、WOWOWでの生中継(今年は14日の朝から)を楽しみにしているが、一般的な関心といえば、ヒップホップ系の新星、カニエ・ウエストの10部門ノミネート、昨年他界したレイ・チャールスの7部門ノミネートだろう。僕はレイ・チャールスが多くの部門で入賞し、アカデミー賞では映画「レイ」も受賞……などというトンデモ予想をしているが、どうなるか。 ネオパンク(というよりハードポップ)系のグリーン・デイの受賞も密かに期待しているが、僕が一番注目しているのは、R&B部門にノミネートされているアル・グリーンだ。世間的には70年代のソウルの名曲「レッツ・ステイ・トゥゲザー」で知られ、世界歌謡祭だったかで「ベル」がグランプリに輝いたこともあった。 とっくに忘れ去られたソウル・シンガーだったが、最近、何故かジャズの名門・ブルーノートレーベルから「アイ・キャント・ストップ」を発表して復活。名コンビだったウィリー・ミッチェルを再びプロデューサーに迎え、当時さながらの心地よいサウンドと歌声を聴かせてくれている。この円熟したアルバム、なかなかのお薦めだ。 R&B系は、ここ10年以上、ヒップホップ勢の活躍ばかりが目立っていたが、最近、歌モノをきちんと聴かせてくれるシンガーがちょこちょこ出てきている様子。アル・グリーンが受賞して、歌モノが再び脚光を浴びますように。……それより何より、一番の心配は、アル・グリーンのことをWOWOWでちゃんと紹介してくれるかどうか。ピーター・バラカンさん、頼んまっせ。 さて。4月に韓国へ行く用事ができたので、期限切れのまま放置していたパスポートの申請に出かけた。初めて取得したのは13年前だったが、当時は窓口でずいぶんと待たされ、書類の不備があったのか事務的に突き返されたこともあって、いかにもお役所的な対応ぶりで閉口したものだった。今回は、満を持して暇つぶし用の本やMDを持参し、平日の朝イチに行ったのだが、順番待ちはほとんどなく、アッと言う間に申請手続きが済んで、肩すかしを食らったような気分だ。 今ではパスポート取得の方法や窓口へのアクセス方法などが、インターネットで手軽に調べることができる。遠方の本籍地から戸籍抄本を取り寄せるのも簡単。申請書用紙は近くの自治体出張所などですぐに手に入る。窓口の職員も、民間のサービス業ととくに変わりのないテキパキとした丁寧な対応ぶりで、ずいぶん時代は変わったものだなと実感。海外渡航は今では特別なイベントでもなく、パスポートの有効期限も長くなったから、新規申請の件数も落ち着いて来たのかもしれない。 仕事柄、取材などで省庁や民間企業、一般市民から話を聞いたり、資料をもらったりする機会は多いが、一番対応が悪いのは、役人が天下りしていそうな、そして存在理由が今ひとつ不明な外郭団体の類ではないかという印象。……そうか、存在価値がないから、それを知られたくなくて、対応が悪いとも読みとれるな。 さて。読売テレビ(大阪)製作の、土曜日朝の情報番組「ウェークアップ」の取材を受けることになり、このたび仕事場へディレクターさんとカメラクルーが訪問してきた。テーマは「1970年」。愛知万博の開催も間近に迫り、日本初(アジア初)の万国博覧会=大阪万博が開催された1970年という時代を改めて振り返ろうという趣向らしい。 まあ、こういう仕事をしているから、いつかテレビ出演する機会はあるかもしれないと思っていた。生出演だけは勘弁願いたいが、録画撮りだったのでとくに緊張もなく、言いたいことはだいたい言うことができた。さて、何分(秒)間使われますやら。 放映は、大きなニュースでも飛び込んでこない限り、26日(土曜日)の予定。関西の番組だが、東京でも日本テレビ系列で放映される。正式なテレビ出演はこれが初めて。 さて。山崎ハコのライブコンサートに行ってきた。またもや、涙が止まらなかった。山崎ハコは罪な歌い手だ。毎回、僕の涙腺を刺激する。彼女は、生きていく苦しみを歌う。そして、生きていく楽しさも歌う。脆くて、逞しい。そこが素敵だ。 プロのミュージシャンで、コンサートに行った回数では山崎ハコがダントツである。古くは高校生の頃、まだデビューして間がなく前座で出ていた山崎ハコを大阪で見て以来、関西在住時代と上京以降で、合計10回ほど足を向けただろうか。なかでも、今は無きジァンジァン(渋谷)でのライブには、身震いがした。 70年代オヤジと思われたくないので、念のために申し開きしておくが、普段、山崎ハコの歌は滅多に聴かない。70年代ロックも、たまにしか聴かない。仕事中はもっぱらFMを流しっぱなしにし、ニューカマーのチェックに専念している。 最近のお気に入りは、リンキンパークやグリーンデイ、ザ・ミュージックあたりのハードポップ。ジャズテイストが香るケリ・ノーブルやダイアナ・クラールは就寝前の定番だ。かと思えば、アフロ系のアンジェリーク・キジョーとかユッスー・ンドゥールも聴く。ケミカルブラザーズのようなクラブ系ミュージックも、モノによっては好きではある。アヴリル・ラビーンなど、中高生のガキが好きそうな洋楽アイドル系にも目がない。 心地よい音楽は巷にあふれているし、仕事中のBGMにはちょうどいい。それでも、たまに山崎ハコの歌声が聴きたくなる。それもCDではなく、ナマ歌が。 今年で、山崎ハコはデビュー30周年を迎えるという。多くのニューミュージック系アーティストの音楽作りを支えた腕利きのスタジオミュージシャン・安田裕美(ハコの夫)をバックに従えてはいるが、たった一人でギターを抱え、30年間も歌い続けてきた歌手は、数えるほどしかいないだろう。 30年の経験を経てもギターは相変わらず下手だし、歌唱も特別巧くなったとは思わない。良くも悪くも山崎ハコは当時のままだ。歌い続けることが自分の存在価値であることを、彼女自身が一番良く知っている。きっと、彼女が頑張って生き、歌い続けていることを確かめ、自分への励みにしたくなるからコンサートを見続けるのだろう。 ギター一本のナマ歌だけで、人の心を揺さぶることができる歌手。いそうで、いない。 |