|
【No.130】 2003年9月6日号
|
|
|
●
|
阪神ファン、のような 阪神タイガースが元気です。そして関西も元気です。実体経済がどうなのかはともかく、少なくともマインドは元気一杯。羽目を外しすぎる一部の阪神ファンには、まったく困ったものですが。 関西で生まれ育ったものの、僕は物心ついた頃から巨人ファンでした。両親が巨人ファンで、いつものように巨人戦をテレビで見ていましたから、無理からぬことです。大学時代は読賣新聞の新聞配達のアルバイトをしていましたし、報知新聞の名物コーナー「激ペン」を毎日楽しみに読んでもいました。 ただ、以前からフロントの姿勢が気に入らず、とくにオーナーの言動が腹立たしくて、心の底から応援できない気持ちがありました。昨年、取材で甲子園球場の中に入らせてもらって以来、甲子園球場の美しさを改めて目に焼き付け、この球場を本拠地にしている阪神に頑張ってもらいたいと思い始めました。そして今シーズンが始まる前、松井選手の離脱を機に阪神ファンの仲間入りを宣言してきました。いわゆる、にわか阪神ファンです。 今年はシーズン前から阪神を応援していましたから、春からの快進撃は嬉しい限りでした。にわかファンには違いないけれど、快進撃を始めてから応援を始めたにわかファンとは、“にわか度”が違う。僕の方が、正統派のファンに近いんだぞ……。そう言い聞かせてきたのですが、困ったことに、シーズンも半ばに入り、優勝が濃厚になってくると、巨人の動向が気になり始めてしまいました。夜中のスポーツ番組を見ていても、阪神が快勝した試合は上の空で見ているのに、投手陣がめった打ちされて負けていく巨人の試合に見入り、「チッ」と舌打ちなんかしている。 あれれ、結局、僕はどこのファンなんだろう……。 前回優勝した1985年、たまたまこの年だけ、僕は阪神電鉄の尼崎駅周辺に住んでいました。親元を離れ、初めて自分が世帯主になったのが、ここでした。連日遅くまで働き、梅田駅から尼崎駅へ帰ろうとすると、ちょうど甲子園球場で応援していた阪神ファンの、ほろ酔いの帰路時間にぶつかります。梅田駅に到着した電車から、虎のハッピを来たままで降り立ち、駅構内から地下街まで「勝った、勝った、また勝った〜」とメガホンを叩きながら行進する人々と、始終すれ違いました。そのたびに、巨人ファンとしての悔しさをかみしめたものです。 関西を離れて10年と少し。東京で生活していくうちに、僕はすっかり東京人になってしまったようです。先日も大阪城公園へ取材に行った際、同行していた編集者に「大丈夫ですよ、僕が案内しますから」と大見得を切っておきながら、環状線の内回りと外回りを間違えて、見事に遠回りをさせてしまいました。地下街を堂々と歩いているつもりが、今どこにいるのか判らなくなった経験も数年前。喫茶店で交わされる関西弁の会話を聞きながら、「吉本芸人が町中にいる」という感覚を覚えてしまったこともありました。 すっかりヨソ者になった僕が関西を見ていて、阪神タイガースという求心力のある存在が羨ましく見えてきたのは事実です。子供からお年寄りまで、ホワイトカラーもブルーカラーも、男も女も、「阪神を応援しようや」という気分だけで一緒に肩を組むことができる。大声を張り上げることができる。一つになれる。 地域のアイデンティティが希薄になっていくご時世、これほど強固なアイデンティティを持ち得た関西というエリアに微笑ましいものを感じたということ。そして、すっかり異文化になった関西文化をエキゾチックなものとして楽しむようなヨソ者感覚がしみついてしまったこと。どうやら、これらが、僕をにわか阪神ファンに走らせたに違いありません。その一方で、遺伝子のように身体に刻まれた巨人ファンも、残念ながら払拭できずにいる……。 関西にいる古くからの正統派阪神ファンは、実は、阪神の優勝を心から喜べずにいる、という話を聞いたことがあります。確かに勝ったら嬉しい、だけど、勝ち続ける阪神は阪神じゃない気がする。勝ち続けて最後に負けてしまうようなオチがないと、阪神ちゃうで、という感覚。それが真の阪神ファンだ、と力説する人々もいる。うーん、屈折しているというか、深いというか。 勝手に師と仰いでいる井上章一さんの著書『阪神タイガースの正体』(太田出版)を読めばわかりますが、昔の阪神は決して人気球団じゃなかったんですね。関西人にとっては、むしろ大阪球場に本拠地があった南海ホークスの方が圧倒的な人気。昔の阪神は、弱くて、魅力の少ない球団でした。1960年代に優勝した試合ですら、甲子園球場は満員になりませんでした。僕が今年発行しているメルマガ用の情報収集で知ったことですが、1960年7月16日までは、巨人戦以外の甲子園球場での試合で、観客が1万人以上入ったことがなかったそうです。いやはや驚きました。 僕の記憶にも鮮明ですが、今日の阪神タイガース人気に最初に火をつけたのは、朝日放送で毎朝放送されていた「おはようパーソナリティ」(1971年4月〜)というラジオ番組で、後に衆議院議員になる中村鋭一さんが「六甲颪(おろし)」を熱唱し、この歌の存在を広く知らせて、阪神ファンの決起を促したのがルーツです。やがて関西ローカルのUHFテレビ局、サンテレビが阪神の全試合を中継し始め、今日の関西における阪神タイガースの位置づけが揺るぎないものになっていきました。 この間、優勝から遠ざかりつつも、「六甲颪」を大合唱することなく、地道に応援してきた阪神ファンを正統派のファンとするならば、2003年の優勝を大喜びするファンはもちろん、1985年の優勝を大騒ぎで喜んだファンさえ、異質な新参者の阪神ファンなのでしょう。阪神グッズもろくに買わず、自宅でひっそり阪神の試合を見守る、それが正統派阪神ファンの身の処し方なのかもしれません。 真のファンになり得るかどうか。それは、再び最下位に定着し始めたときに、試されるのでしょう。そんな時が来れば、閑散とした外野スタンドあたりで、出張ついでに観戦してみたいものです。 |
●
|
←前号へ 次号へ→ |
|
| 当ホームページに掲載されている原稿の無許可転載・転用を禁止します。すべての内容は日本の著作権法及び国際条約によって保護を受けています。
Copyright 2003-04 tomoyasu tateno. All rights reserved. Never reproduce or republicate without written permission. |
|