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【No.131】 2003年12月10日号
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全席優先座席は当然のなりゆき 横浜市の市営地下鉄が、12月1日から、優先座席を全席に拡大しました。一部に限られていた優先座席の数をもっと増やしてほしい、などの利用者の声に応える形で始まったもので、首都圏では初めての全席優先座席を定着させようと、タレントさんも動員したキャンペーンを繰り広げています。これを直前に報道した新聞記事の中では、優先座席の全席拡大を歓迎する人、戸惑う人のコメントもあわせて掲載されていたのが印象的でした。 高齢者や障害者への座席譲りについては、20年以上も前から新聞各紙の声欄などでは定番のテーマとなっていて、これまで幾度となく一般読者の意見が掲載されてきました。多くはマナーの後退を嘆く内容で、中には「若者だって座りたいときはある」など、世間から見れば“異端派”の意見も時々掲載されていたように思います。 僕自身、優先座席(古くはシルバーシート)の存在について、ずっと違和感を感じていた人間です。どうして、あの席だけに限定されなくてはいけないのか、どうして、あの席だけがずっと空いたままになっているのか……。高齢者や杖をついた人、妊婦や赤ん坊を抱いている人を見れば、どこでも譲るのは当たり前のこと。僕が高齢者なら、優先座席に限らず、どこでも好きな席に座りたい、とも思います。 30代後半まで住んでいた関西では、このあたり、良くも悪くも柔軟に対処していました。赤信号でも車が走ってこなければ渡る、行列に行儀よく並ばない、などの関西人特有のローカルルールの現れでもありますが、優先座席だけがぽっかり空いた風景は、あまり記憶にありません。その点、10年前に上京した当時は、ぽっかり空いた優先座席が不思議な光景に見えました。一般の座席が埋まり、立っている人もパラパラいるのに、優先座席だけが避けられるように空いている。そこを必要とする人がいないと判れば、僕は平気な顔で座ってもきました。 4年ほど前、優先座席について取材をしたことがあります。横浜市地下鉄よりも以前に、全国初の「優先座席全席拡大」を始めた阪急電鉄の試みについて、ルポルタージュしたものです。この原稿は全文を公開していますが、取材を通じてとくに印象に残ったことは、優先座席は単なる偶然の産物でしかなかったということです。 確かに、1973年の導入以降、当初のうちは「お年寄りには席を譲りましょう」といった、一定の啓もう効果は果たしてきたでしょう。でも、優先座席は啓もう効果以上でも以下でもない。優先座席の存在があることによって、高齢者への支援をあのわずかな「特別席」だけで完結させてしまって、「座りたいなら優先座席に行けばいいじゃない」といった風潮が生まれてきたのも事実です。 あれから30年がたち、世の中の状勢も大きく変わりました。後期高齢者の数は飛躍的に増えましたし、身体にハンディを持つ人(身体障害者だけに限らず)もどんどん外に出るのが当たり前になっている。もはや、これら当事者への支援を「特別席」だけに封じ込めておいて、いいはずがありません。当事者の数そのものが多くなっている中で、全席拡大は自然のなりゆきなのです。 もう一つ、意義が深いと思うのは、優先席の全席拡大によって「特別席」が事実上廃止されたため、乗客一人ひとりの思考能力や判断が試されるようになったことです。意識が問われていると言ってもいいかもしれない。譲られるべき当事者がいれば、どの席であろうと譲るべきという、当たり前のド基本に立ち戻った点でも、僕は自然のなりゆきだと思いました。 もちろん、「特別席」廃止によって、「もう席を譲ってもらえないのではないか」と考える当事者もいるかもしれません。悩ましい問題ですが、僕は、当事者にも「どなたか席を譲ってもらえませんか」と切り出す、一踏ん張りの勇気を持ってほしいと思うのです。そして、その他大勢の乗客も、有言・無言の支援を示してほしい。先日ニュースで報じられたような、座席を譲らない女子高生を往復ビンタする、といった手荒な方法ではなく。 優先座席は日本の福祉の遅れを象徴する存在だ、と言う人がいます。わざわざ、あんなものを作らないと、お年寄りに座席が譲れない日本は嘆かわしい国、というのが主な論旨です。僕もずっとそう思ってきましたが、前述の取材で聞いたところによると、実はバリアフリーやユニバーサルデザインの考え方が進んでいる国では、むしろ厳格に基準化されているそうなんです。これは意外でした。 では、優先座席を全席に拡大(=「特別席」を廃止)した鉄道事業者は、時流に逆らった後進的な考え方なのか? 僕は違うと思っています。日本ではまだ「当事者に座席を譲るのは当たり前だよね」という空気が充満していないし、暗黙の了解を破る人間を第三者が冷静に注意できる雰囲気もない。まず、こうした雰囲気を作るために、「全席が優先座席だ」と言い切ることは、仕切り直しのスタートラインに立つことと同じになると思います。いずれ、座席譲りが当たり前な行為として定着すれば、それでも困る人が出ないようにと、“先進国”に倣ってもう一度「優先座席」を作るのも方法かもしれません。 全席拡大に踏み切った鉄道事業者には、とりあえず拍手を送りたいと思いますが、まだ課題はあります。少し話を逸らすようですが、車内アナウンスで座席譲りを何度も呼びかけるようなことはやめてほしいということです。事業者はたぶん、「乗客への啓もうだ」と言うでしょうが、僕から言わせれば、責任追及をされないためのアリバイづくりとしか思えません。そう、PL(製造物責任者)法の施行に伴って、家電製品などの取扱説明書の注意書きがやたらと多くなったのと同じように……。 そもそも、座席譲りが浸透しないのは、鉄道事業者の責任でしょうか。いやいや、とんでもない。他の誰でもなく、乗客一人ひとりの責任のはず。しつけが必要な小学生の乗客が多いような電車ならともかく、大の大人がいっぱい乗っている電車の中で、何で車掌にマナーをいちいち指導されなくてはいけないのか。携帯電話の通話は遠慮してほしいけれど、メールならいいとか、優先座席の近くではメールもダメだとか、毎度毎度、事細かなルールを聞かされるのはたまったものじゃありません。こういうことには、もっと敏感になっていいと思うのですが。 優先座席のような仕掛けがあるから譲る、仕掛けがないから譲らない、アナウンスが流れたから譲る、流れないから譲らない……いつまで幼稚なことを繰り返せばいいのか。当たり前のことを当たり前に、涼しい顔してできるような、成熟した社会にそろそろしていかなければと、最近つくづく思うのです。つまらない正論を吐いてしまいましたが、こういう正論は大切でしょう。 |
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