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406(10/11/29)
祝 ユーライア・ヒープ19年ぶりの来日。

 さて。一ヶ月遅れのライブレポート。10月23日と24日の両日、川崎市内のクラブチッタで、ユーライア・ヒープの3度目の来日公演が実現した。今回は「名盤『悪魔と魔法使い』の完全再現」と銘打った公演である。

チラシ

 最近のクラシックロックの世界では、過去の名作アルバムをライブで完全再現するという手法が流行っているのだけど、個人的に、この手法はあんまり好みではない。名盤は名盤として、自分の記憶の中で完結しているし、過去へのノスタルジーよりも、バンドの今の生き様を見せてくれと思うからだ。ちなみに『悪魔と魔法使い』は1972年、もう38年も前の作品ということになる。

 ただ、伊藤政則さんがラジオで語ったところによると、過去にも何度かヒープ側から「日本に行きたい」というオファーが寄せられていたものの、採算が取れる目論見が立たないのでプロモーターも二の足を踏んでいたのだという。そして、「名盤『悪魔と魔法使い』の完全再現」という企画を持ち込むことで一定の観客動員が見込めるという読みで、ようやく実現の運びということになったらしい。実に19年ぶりの来日である。

 ノスタルジーに重きをコンセプトのライブだったので、正直、大きな期待はしていなかった。過去の2度の来日とも観ているし、これが恐らく最後の来日公演になるだろうから、初めて好きになったハードロックバンドの姿を、一応目撃しておかねば……。そんな義務感半分で、24日だけチケットを購入したのだった。座席指定8500円(+ドリンク代)だから、決して安くないチケットだった。

 ところがライブを観て驚いた。何が驚いたかって、現役感バリバリの、現在進行形のバンドであることを、まざまざと見せつけられたからだ。昨今、○年ぶりの再結成とかで来日する往年のバンドが数々あるが、ヒープは、再結成バンドではない。ほんの一時期、消滅しかけた時期はあるものの、40年間、愚直なまでに現役であり続けたバンドであり、毎年精力的に各地をツアーしている。今でも欧州ではそれなりに人気があり、今年ハンガリーのロックフェスでは初日のトリも務めたようだ。1曲終わるごとに、メンバーのMCやチューニングなどで時間稼ぎをしながら小休止するようなバンドもあるなかで、彼らはほぼ2時間、観客の気持ちの高まりを一度も途切れさせることなく疾走してみせた。しかも、完成度の高い見事なアンサンブルで。

 確かに、今のユーライア・ヒープに、かつての面影はない。それは歴然とした事実だ。名声を博した70年代前半に在籍していたメンバーのうち、残っているのはギタリストのミック・ボックスだけで、多くの楽曲を提供してサウンドの要を担ったキーボード奏者はヒープを去っていったし、リードボーカリストとベーシストは他界した。だが、現在のメンバーは、ドラマーを除いて約15年間も不動のメンバーが続いており、固い絆でガッチリとチームワークを磨いてきた。今回見せつけてくれたライブ巧者ぶりが、それを実証したと思う。

 前回、1991年の2度目の来日の際は、往年のメンバーがいない喪失感が大きく、無念な思いばかりが募った。だけど今回はまるで違った。それもそのはず、彼らはこの20年近く、オリジナルメンバーが1人しかいないなかで新しいバンドとして進化していた。この間に発表されたスタジオアルバムはわずか3枚ほどだが、このうち少なくとも2枚は、上々の出来映えである。95年発表の「シー・オブ・ライト」は傑作との定評があるし、近作「ウェイク・ザ・スリーパー」は、クラシックロック大賞のアルバム部門5枚のうちの1枚にノミネートされた。

 「名盤『悪魔と魔法使い』の完全再現」を謳ったライブではあったが、私的な印象としては、完全再現は刺身のツマという印象で、それ以外の楽曲……とくに現メンバーの多くが関与した近作からの楽曲がとても良かった。なかでも「シー・オブ・ライト」に収められた「Love in Silence」は最高のパフォーマンスだったと思う。ドラマティックでヘビーで、そして磨きのかかった美しいコーラス……現在進行形のバンド、ユーライア・ヒープにふさわしい名曲だと実感した。

 今回のライブを観て、僕の中でようやく、本当にようやく、過去の名作や旧メンバーたちへのノスタルジーを封印することができた。昔のユーライア・ヒープは確かにいないけど、今のユーライア・ヒープが目の前にいて、素晴らしいパフォーマンスを見せてくれた。そして、ライブが終わったあと、僕は思ったのだ。「もう過去のことはどうでもいい。今のヒープが最高だった!」と。まさか、こんなふうに思えるライブになるとは、想像もできなかった。

 もう一つ嬉しかったのは、観客の入りが上々で、初日は立ち見が出たらしく、僕が行った2日目も、ほぼ空席はなかったように思う。「ヒープの来日公演は商売として成り立つ」。このことを多くのプロモーターに知ってもらって、ぜひ4度目の来日を実現してほしいものだ。

 ところで、これを言ったら嫌みになるかもしれないけれど、観客のノリ方が、突っ立ったまま手拍子という70年代そのもので、僕は少々苦笑いをしてしまった。今じゃ、今回のヒープ公演みたいな座席指定は少なくて大半がオールスタンディングだし、心の動くままに踊ったりシンガロングしたり、手をさしのべたりしているよ。もっと最近のロックを、みんな観に行こうよ。そんなことを呟きたくなったのは、確かでした。そして最近のロックをガンガン観ている僕から見ても最上級のライブだったと、付け加えておきたい。

 おいしゅうございました。

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407(10/12/02
MacBook Airのお出ましだ。

 さて。一目惚れのMacBook Airを、さんざん逡巡した上で購入した。一番安い11インチだ。最初はソフマップに行ったが、メモリ増設は2〜3週間待ちと言われ、ヨドバシカメラへ移動。結局ここでメモリ増設なしのものを買ったわけで、後から考えればソフマップでも良かったのだが……。ヨドバシではメモリ増設した状態のものを買えないらしい。同じアップル取扱店でも、取引条件がいろいろ違うようだ。Apple Storeでは一週間ほど前まで3〜5日待ち、最近は1〜3日待ちになっていたけど、ヨドバシには11インチ88,800円の在庫があって、すぐに入手できた。

 基本的にモバイルでネット環境を整えることは諦め、LANケーブルでの使用を前提に、USB-LANアダプタを購入。純正品は在庫がないとのことだったので、バッファローの製品を購入した。Windows7でも使えるから、後々、Winの安物ネットブックを購入するようなことがあれば、使い回しができるだろう。

 MacBook AirにはCD/DVDドライブが内蔵されていないので、外付けのものが必要になる。純正品としてMacBook Air SuperDriveがあるが、マイミクさんから、「MacBook Air専用らしい」との情報を得ていたので、「これはたまらん」と思い、ロジテックのLDR-PME8U2SVを購入した。これもWinネットブックで使い回しできそう。

 いよいよ開封の儀式、そして初めて立ち上げてみる。あれこれ設定が必要だが、普段使いのMacと接続して情報を移行してみたところ、あらまあ、見事に、同じ環境が整った。……ということは、外付けCD/DVDドライブであれこれ一からインストールしなくても、使い始めることができたことになる。ちなみに僕はMacデスクトップ本体ではなく、Timemachine用の外付けHDDから情報を移した。これは便利だ。ただし、最初の設定開始時は、日本語入力の「ことえり」を選ぶしか方法がなく、ATOKだけ後から入れ直した。ユーザー辞書は、すでに情報が移行されていたので、登録し直す必要もなし。ロジテックのLDR-PME8U2SVは、繋ぐだけですぐに使えた。Winの場合はインストール作業が必要のようだ。

 さて。今回のMacBook Airは、出張時の原稿作業などに備えた買い物だ。初めて店頭で遭遇したときに、試しにキーボードを打ってみて、使いやすさを実感した。もちろん軽さと小ささは最大の魅力。最近ではビジネスホテルにLANケーブル常設のところが多いので、MacBook AirとUSB-LANアダプタさえ持参すれば、泊まり込みの出張でネットカフェに行くことも少なくなるだろう。ホテルでパソコンレンタルせずに済むのも有り難い。

 まだ使い始めて間もないが、感想を少々。普段使いのMacから情報を移したところ、あっという間に、HDD(じゃない、フラッシュストレージでしたね)の残容量が20GBを切ってしまった。最安の製品は購入時でも64GBなので、このあたりは割り切りが必要。マルチタッチトラックパッドは、習熟に少し時間がかかるかも。そして、起動の速さは感動的だ。

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408(11/01/04
今年もワンパターンで。

 さて。今年も、一部の人には何の意味か分かる答えを以下に掲載しておこう。年賀状のクロスワードパズルの正解。ちなみに1つめは「TIMS箱」でも正解。

 今年の抱負は、「心ある仕事に精進します」ということでした。ちゃんちゃん。

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409(11/01/25
ブロンド・レッドヘッド、恐るべし。

 さて。名門インディーズレーベル「4AD」の30周年記念イベントとして、3バンドが一堂に会する「4AD envening」が1月24日、渋谷のO-EASTで開催された。3バンドとは、ディアハンター、ブロンド・レッドヘッド、アリエル・ピンクス・ホーンテッド・グラフィティである。
http://www.contrarede.com/special/4ad.html

 今をときめくバンドは、何と言ってもディアハンターだ。2008年に発表したアルバム「マイクロキャッスル」で大ブレイク、2010年発表の近作「ハルシオン・ダイジェスト」とともに、とくに玄人筋での受け方は半端なく、種々の音楽誌や音楽サイトでアルバムランキング上位に評価されている。

 ブロンド・レッドヘッドは93年デビュー、2010年発表のアルバム「ペニー・スパークル」が通算8枚目という、まあ、一番の古株だ。USインディーズの一員でありながら、女性ボーカルのカズは日本人、他の2人(兄弟)はイタリア出身という変わり種。アンニュイなエレクトロで独特のムードを醸し出すバンドで、アートなバンドといった風情は確立しているものの、音楽シーンのメインストリームに位置する存在とは言い難い。もう一つのアリエル・ピンクス……は新参バンドと思っていたのだけど、資料によると結構キャリアがあるらしい。

 ともあれ、現地点での知名度はディアハンターが群を抜いている。それに続くのはコアなファンが多そうな(僕もその一人)ブロンド・レッドヘッド、そしてアリエル・ピンクス……だろう。アーティスト名を列記した順番は、上記webサイトの並び順をそのままいただいたものでもあるが、それは、メインイベントから遡って表記した順番だろうと誰もが考えていたと思う。

 だけど、意外なことにトリを飾ったのはブロンド・レッドヘッド。2つめに登場したディアハンターが期待通りに素晴らしいライブで、「ディアハンター、良かったよねえ」という会話が、あちこちから聞こえてくる。僕は「このあとに登場するブロンド・レッドヘッドは厳しいだろうなあ」と思っていた。それは、数年前にフジロックに出演した際のライブ映像をWOWOWで観ていて、「ライブはイマイチ」と勝手に思い込んでいたからだ。

 2007年のアルバム「23」はとっても良かったし、日本人女性がメインボーカルだし、まあ、彼女を近くで観られれば、それでいいや、くらいの期待値の低さでメインイベントを迎えたのだが、いやはや驚いた。演奏力、観客の盛り上がり、すべてにおいて、ディアハンターを完全に食ってしまったからだ。

 ブロンド・レッドヘッドは、アルバムやPVを視聴する限り、何となくモヤモヤした深い霧のような、つかみ所のないサウンドなのだけど、ライブで観ると、音の粒一つひとつが実にクリアかつタイトで、揺るぎない骨格を作っており、その上に、男女のまぐわいのような、妖しさや艶めかしさがまとわりついていて、もう、グイグイ、その世界に引き込まれるんだよね。

 会場がすっかり温まって、初めてカズさんがMCとして言葉を発したのは、拍手に応えて「ども」と言った一言だけ。……と思っていたら、終盤近くなって、緊張混じりにしゃべり出した。どうやら数ヶ月前から声が満足に出なくなってしまったようで、「これで私も、もう終わりかな」と思ったそう。恐らく公演キャンセルも思い描いていただろう状況下で来日、日本に来てから声帯に関わる先生に観てもらい、どうにか声が出せるようになって、この日を迎えたのだという。

 そのたどたどしい、いかにもMCに不慣れな喋り方、しかも大阪弁丸出しの話し方は、とっても本音めいていて、彼女の心情が観客にも十分伝わった。そんな浪花節的なドラマが観客の興奮を誘いつつ、最後の最後に、いちばんポップな代表曲を披露。大興奮のうちにメンバーはステージを去っていった。

 会場は拍手が鳴り止まない。お愛想のアンコールじゃない。「もう一度出てきてくれ、お願いだ」。そんな衝動から発した正真正銘のアンコールだ。にもかかわらず、数分後に帰宅を促すように客電がつき、スクリーンにレーベル側のCMが流れ始めた。3バンドが出演する時間の長いイベントだし、もう終わりなんだな、仕方ないな。観客は身支度をはじめ、コインロッカーで皆が着替え、半分くらいが会場から姿を消して、僕もロビーへ。マーチャンダイズのコーナーでTシャツを吟味したり、すぐには立ち去りがたい気持ちでいた。

 フロアでは、まだ100人くらいの観客がアンコールの拍手を続けている。アンコール演奏は無理でも、メンバーが出てきて手を振ってくれたら、そのくらいの気持ちなのだろう。それは、十分に理解できるほど、彼らの演奏は素晴らしかったのだ。「さて、余韻を楽しみながら、煙草でも一服するか」。そう思っていたら、会場から歓声が上がる。何と、終演から10分くらいたっているのにメンバーが出てきて、アンコール曲をやるではないか。

 会場から去りがたい気持ちでいたロビーの観客が「うそ、うそ! 今からアンコール?」などと言いながら、どやどやと再びフロアへ……。たぶん、ブロンド・レッドヘッドのメンバーたちも、とても嬉しかったんだろうな。アンコールに応えたいと、主催者に頼み込んだのかな。裏事情はよく分からないけど、観客への感謝の気持ちがビシビシと伝わってきて、最後にカズさんは名残惜しそうに手を振りながらステージを後にした。

 完全に食われた格好のディアハンターだけど、彼らもとても良かった。近作アルバム2枚で尋常ではないポップセンスを披露した彼らは、もともとは、ノイジーで変化球だらけの音楽を演るバンドだったらしく、コアなファンにだけ受け入れられる個性的なバンドだったという。それが大衆性を身にまとったアルバムの成功でメジャーな存在にのし上がったわけだけど、ライブは意図的なルーツ帰りなんだろうか、かなりノイジーでシュゲーズなライブパフォーマンスで、アルバムの印象とはまったく違う。想像以上に若いメンバーで、何だかアメリカの大学の軽音楽部のバンド、みたいなダサいファッションでステージに上がっていたのだけれど、若い衝動みたいなのが感じられて、嬉しかった。もう一度、しっかりと観てみたいバンドだ。ディアハンター狙いの観客が大半だったろうから、彼らを観て帰った人も、そこそこ、いたかもしれない。

 ちなみに、最初に登場したアリエル・ピンクス・ホーンテッド・グラフィティは、かなり壊れていた。60年代末期のサイケと、80年代のキラキラロックを合わせたような感じなんだけど、ライブに慣れていないのか、バンドとしての一体感が希薄なのか、もともとオタクな連中の集まりなのか、アルバムに垣間見られたポップな部分も壊れていたし、パフォーマンスも壊れていた。うーん。ちょいと、辛い。性別不明の、長髪で大柄なスカート姿のベースはブリブリしていて良かったけれど。

 会場はチケットが事前にソルドアウトだったことでも分かるように、ギッチギチのすし詰め状態だった。客層は30代前半の男性と、20代後半の女性が中心で、男女比は7:3といったところか。いやあ、ライブはやっぱり良いね。ナマで観ないと分からないことが一杯あるね。改めて、そう感じた夜でした。ちなみに開演は19時、終演は23時と長丁場。再び腰痛がぶり返すなかで、しかも寝不足な日々のなかで、オールスタンディングはキツかったが、帰ってきたら、元気になった。

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410(11/08/29)
フジロック2011のレポート・前夜祭

 さて。今年もフジロックに行ってきた。レポートを書こうと思いつつ、はや1ヶ月以上。だいぶ記憶も薄れてきたので、少しはしょり気味に3日間を振り返っておく。

 正確に言うと、今回は前夜祭も含めて4日間の苗場滞在だった。終了した翌日に帰ったから、4泊5日ということになる。去年の初フジロックでは、1日目の朝イチのステージ(具体的に言うとAshのステージ)が観れなかったので、今回は満を持しての前夜(木曜日)入りである。

 昼過ぎに東京駅から新幹線に乗った。前日の昼間だというのに、ホームには早くも、フジロック行きと思しき若い男女の姿が見える。ちょっぴり軽装の真新しいハイキングスタイルで、みんなウキウキした表情だから、すぐに分かる。上野、大宮と少しずつ乗客が増えてきて、自由席は早くも座れない客がチラホラ。いつもこの時間帯に乗っている乗客は不思議に思っているのかもしれない。

 越後湯沢駅を降りて、早足にバス乗り場へ向かう。当日移動の去年とは大違いで、行列が短いぞ、しめしめ。程なく順番が回ってきてバスに乗車だ。空模様は優れず小雨と霧が混じった感じで明日から3日間の天気が気がかりだけど、心は開放感でいっぱいだ。一度乗ったことがあるからだろうか、つづら折りの山道でのバス酔いを懸念しながら乗った去年よりも乗車時間は短く感じ、しばらくすると右手に苗場が見えてきた。早くもテントが点々と並び始めている。みんな、早いんだなあ。

 「ただいま。帰ってきたよ」。そう呟くと、苗場が「お帰り、待ってたよ」と返してくれる。そんな気分だ。この感じ、フジロックに毎年行っている人なら、共感してもらえると思うのだけど。

 ところで今年も宿は、フジロック公式サイトのツアーのページから、抽選で申し込んだ。本当は居心地の良さそうな苗場プリンスホテルに泊まりたいところだけど、ここは最低2名からの申込だから、僕のような「お一人様」が申込める最初の機会は、3月11日から抽選申込受付が始まる「苗場・浅貝エリア」からになる。僕は申込初日の11日午前中に申込を済ませた。

 3月11日といえば、あの、東日本大震災が起きた日だ。こんなこと言うのは不謹慎かもしれないけど、たぶん、あのビックリニュースに目を奪われて、3月14日締切の申込を失念した人も多かったのではないだろうか。申込者が例年より少なかったのかどうか、ともかく無事に当選して、今年は会場にほど近い「苗場・浅貝エリア」の宿が取れたのだった。もっとも震災に伴って某銀行がマヒした時期に宿泊代金を前払い入金しなければならなかったので、無事に入金ができているか否か、けっこうやきもきさせられた。

 僕が割り当てられたのは、アビーロードという名前の民宿だ。バスが会場近くに着いてから、まずは荷物を置きに宿に向かったのだけれど、これが結構遠く感じられた。緩やかな上り坂を10分以上は歩いただろうか、最後に念押しのような急坂を上ったところに宿があった。宿の奥さんがにこやかに出迎えてくれたのはいいのだけど、部屋が26人の相部屋と聞いて「げげっ」。案内されると、窓のない地下室のような大部屋だった。26人分の布団が均等距離で置かれていて、場所も決まっていた。僕の布団の位置取りが出入りの激しいドア前と知って再び「げげっ」。これは眠れそうにないなあ。

 今さら何を言っても仕方がない。気を取り直して、まずは前夜祭が行われる苗場の会場に向かうのだ。前夜祭が何時から何が行われるのか、まったくチェックしていなかったことに気付く。外はしょぼしょぼ雨が降り始めたので、さっそく雨具を取り出してバッチリ装備を整え、いざ会場へ。さっさとリストバンド交換を済ませ、屋根のある売店施設みたいなところで一服。ちょうどその頃から雨が本降りになってきて苗場全体が霧めいてきた。本降りというか、じゃじゃ降りである。しかも、ちと寒い。去年とは大違いだ。

 雨宿りにも飽きてきたので、じゃじゃ降りのなか意を決して会場へ向かった。会場で来場者を出迎えてくれるのは、オアシスエリアだ。大きな広場の中央に櫓が立っていて、周囲には美味しそうな飲食店が軒を並べる。前夜祭はオアシスエリアと隣にある屋内ステージ、レッドマーキーだけが開放されるので、来場者は多くがここに集まり、好きな食べ物や飲み物を手に、仲間と一緒に和んでいる。僕のように、持参の折りたたみ椅子に座って一人で腹ごなしする人も結構いる。

 空も少し暗くなり始めた頃から、櫓の上にMC2人があがって、前夜祭が始まった。ここで行われるイベントは、スポンサー提供の景品が当たる抽選会みたいなもの。苗場プリンスの宿泊券やデジカメなどもあったが、なかでも盛り上がったのがタワレコの商品券。確か5万円分だったろうか。どうやら毎年の定番らしく、覆面姿のタワーマスクが櫓に上って芸達者なところを見せていた。抽選会も終わりに近づき、大道芸人のパフォーマンスや打ち上げ花火大会、なぜか盆踊りやハワイアンダンスなど、それなりにムードを盛り上げて、隣のレッドマーキーでライブが始まった。

 前夜祭でライブがあるらしいとは知っていたものの、誰が出るかも知らず、雨宿りも兼ねて遠目で鑑賞。そのなかで「こいつら、いいじゃん」と感じるバンドがあった。ステージの背面にバンドロゴらしきものが出ているのだけど、ステージ右横の方から観ていたので、ロゴが一部しか見えない。適度に甘さのあるポップロックで、音もしっかりしている。どこかで聞いたような曲もあって、メロディも際立っている。後で分かったのだけど、実はこれが1日目(翌日)に観ようと思っていた英国の新人バンド、Belakissだった。ということは、真ん中に立っていた紅一点の女性は、リンゴ・スターの孫娘ということだ。PVを観たらよく分かるけど、お爺さんそっくりの顔立ちなんだよなあ。もっと近くに行って目に刻んでくればよかった。
http://www.youtube.com/watch?v=0_DzfbVbqIE

 前夜祭は23時頃まで楽しんで、明日からの本番に備えて宿に引き上げた。 オアシスエリアとレッドマーキーの周辺をうろうろしていただけなのに、帰りの足がやけに重い。4泊5日の苗場滞在のなかで、いちばん疲れたのが前夜祭の夜だった。やはり、アウトドア環境に慣れるのに体力が必要なんだろうな、何しろ普段は運動もしない50代半ばのオッサンなのだから。

 「苗場・浅貝エリア」の道路沿いには、コンビニもどきの店が3軒ほどあった。聞けば、会期中は24時間営業だという。小腹を満たす夜食と、翌朝のコーヒーと、お酒を買い込んで、自分の布団でほっと一息。大部屋に26個並んだ布団のうち、今夜は大半が手つかずのままで、泊まっているのは6人ほどだった。前夜祭から来る人は、やっぱり少ないんだね。明日は晴れるといいなと思いながら床についたが、雨具を着たまんまの3日間になるとは、想像もしていなかった。

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