オンフィールド音楽研究所

2007,11,23

037●ジュディ・シル(Judee Sill)

所長●歴史というものは、本当に不思議なもので。

秘書1号(以下、1号)●不思議ですか。

所長●時を刻んでいくうちに、良かったはずのものが全然良くなかったり、誰も振り向かなかったものが後からもてはやされたりする。

1号●時代時代の雰囲気っていうか、ノリもあるからねえ。

所長●例えばブラック・サバスなんて、少なくとも日本では、マウンテンと似たり寄ったりか、それよりも低い人気だった。オジー・オズボーンが活躍したおかげで70年代を代表するハードロックバンドだった、かのように評価されているが、当時そんなこと言ったら笑われていたと思うよ。

1号●70年代ロックに関心を寄せる若人は、意外に思うだろう。

所長●反対に、一世を風靡したはずが、今ではほとんど話題にされることのないバンドも数多い。グランド・ファンク・レイルロード、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル、スリー・ドッグ・ナイト、などなど。

1号●「ミュージック・ライフ」誌では、人気投票の上位に位置していたのにね。

所長●今回紹介するジュディ・シルは、当時ほとんど脚光を浴びることがなく、35年後の最近になって、にわかに評価が高まっている女性フォークシンガーだ。僕も、数ヶ月前に名前を知ったばかり。当然ながらプロモーションビデオなんてない時代で、これは貴重な映像なり。

http://jp.youtube.com/watch?v=JzDw_G2Ezd8&feature=related

1号●透明感のある歌声だね。しっとりとして美しい。地味だけど、じんわり胸に響いてくる。

所長●70年代前半は、けっこう熱心に洋楽雑誌を読み、最新情報もチェックしていたのだが、こんなシンガーソングライターがいたなんて、ビックリだ。

1号●当時はそれなりに、フォーク系のシンガーソングライターがもてはやされた時代だったけどね。

所長●そうだよなあ。女性ではキャロル・キング、メラニー、ジョーン・バエズ、メリー・ホプキンス、バフィー・セントメリー、ジョニ・ミッチェル、ローラ・ニーロ、リタ・クーリッジ、カーリー・サイモンなどなど。

1号●今でも第一線で活躍しているのは、先日来日したキャロル・キングとジョニ・ミッチェルくらいか。

所長●男性でも、いろいろいたぞ。ニール・ヤング、ジェームス・テイラー、エルトン・ジョン、ギルバート・オサリバン、キャット・スティーブンス、レオン・ラッセル、ドノヴァン、ジョルジュ・ムスタキなどなど。

1号●ジョルジュ・ムスタキ、いたねえ。頻繁に来日し、日本でのライブ盤も出していた。

所長●うむ。半年ほど前にジョルジュ・ムスタキのベスト盤を図書館で借りてみたんだけど、なかなか良かったよ。70年代前半には、「私の孤独」とか「ヒロシマ」とかが、よくラジオでかかっていた。「ユー・アー・ビューティフル」がヒットする今の時代よりも、ずっと健全だったような気がする。

1号●地味な曲でも正当に評価される時代だったのは確かだ。

所長●にもかかわらず、ジュディ・シルの名前が語り継がれなかったのは実に不思議だ。今回、改めていろいろ調べ直してみたら、「ミュージック・ライフ」誌人気投票の1973年度版では、女性ボーカル部門(Female Vocalist)でギリギリ20位に入っていた。人気投票で名前が挙がったのは、たぶん、この年だけだと思うけど。
http://www.kjps.net/user/mo853d3/ninki/1973poll.html

1号●ということは、知っている人は知っていた、と。

所長●そういうことだな。当時は洋楽セールスの中心がシングル盤にあった時代で、彼女のシングルが国内で発売されたかどうかは知らないが、少なくともヒット曲はなかった。だから、耳の肥えた人がアルバムを買い、投票したということなんだろうね。

1号●簡単にプロフィールの紹介を。

所長●うむ。セルフタイトルのアルバム「ジュディ・シル」でデビューしたのが71年だ。あのジャクソン・ブラウンやイーグルスを生み出したアサイラム・レコードが最初に売り出したアーティストの一人だったらしい。

1号●新種レーベルの第一弾発売リストに並んだだけでも、期待のほどが分かる。

所長●そして73年にセカンドアルバム「ハート・フード」をリリース。これが生前のラストアルバムになった。

1号●ということは、若くして亡くなったわけか。

所長●79年11月23日に天に召されている。つまり38年前の今日だ。享年は35歳。

1号●夭折、と言った方が良さそうだ。

所長●「ハート・フード」を発表した後、複数の事故に遭い、入院生活が続いていたようだね。痛みを和らげるためなのか、ドラッグを過剰摂取してしまい、帰らぬ人となってしまった。

1号●痛々しい最期だなあ。

所長●以来、アルバムは長い間廃盤のままになっていたのだが、ようやくCDとして再発。とくに2005年のCD化が評判を呼んだらしく、74年にレコーディングされていた幻のサードアルバム「ドリームズ・カム・トゥルー」が発売されたり、最近では、72〜73年のBBC放送でのライブ音源までが発掘されたりしている。

1号●なるほど。

所長●僕が最初に入手したのは、2枚のオリジナルアルバムにボーナストラックを一杯詰め込んだ「アサイラム・イヤーズ」という作品なのだが、これから聴き始めたのは大正解だった。繰り返し聴いているうちにどんどんよくなってきて、彼女の世界にどっぷりハマってしまった。

1号●すっかり引き込まれてしまったわけだ。

所長●さっきの映像は素朴なピアノ弾き語りだったが、アルバムはバロック風の抑えめなストリングスをバックにした作品が多くて、上品な雰囲気。派手さはないが楽曲の完成度は非常に高い。厳かで、気高くて、美しくて、清楚で、優しくて、まるで揺りかごの中に包まれているような夢ごこちが味わえる。

1号●ほおー。

所長●不眠症の人は寝る前に聴くといいかも。すうっと心が軽くなってきて、マリア様か誰かに抱かれながらスヤスヤ眠れる感じだと思うよ。

1号●何だか神懸かりだね。

所長●実際に聖歌隊のような曲もあるしね。曲を作るときはメロディが自然と上から降りてくるような感じだったらしい。

1号●にわかには信じがたいが。

所長●そんな曲の印象を抱きながら、ライナーノーツに記されたバイオグラフィを読んでみると、これがとんでもない波瀾万丈、傷だらけの人生を歩んできた女性のようだ。

1号●と言いますと。

所長●大酒飲みの父親が早くに他界。義父から家庭内暴力の洗礼を浴び、母親もアルコール依存症に。ジュディは10代で結婚したものの、夫はLSD中毒で事故死。やけになったのか、銃を持って強盗に入り、ムショ暮らしも経験している。

1号●すごいなあ。エイミー・ワインハウス以上だ。

所長●シャバに戻ってから音楽活動を始めたわけだが、そこで自身もLSDに手を染め、ヘロインに手を出し、再びムショ暮らしへ。禁断症状から抜け出せた頃には母親も兄貴もアルコール依存がもとで他界し、ひとりぼっちになったようだ。そんななかで、本格的にミュージシャンを志していく。

1号●過酷な私生活と、美しい歌。その差が際立つね。

所長●まあ、音楽が唯一のよりどころだったんだろうな。2枚のアルバムがどれだけ売れたのか記録はないが、少なくともセカンドアルバムのセールスは芳しくなかったようだ。そして交通事故などが重なり、背骨を痛めて2度の外科手術を受けている。だが手術はうまくいかず、慢性的な痛みを抱えるようになって、再びドラッグ生活へ。セカンドアルバムを出してから6年後に亡くなったわけだが、その頃には名前も忘れられ、彼女の死亡はニュースにすらならなかったそうだ。

1号●そして、廃盤のまま時は流れた、と。

所長●忘れられた存在だっただけに、風雨にさらされることなく、元の姿のままで現世に蘇ったって感じだね。何も知らないで聴くと、最近のフォーク系シンガーかと思われるかもしれない。それだけ、みずみずしい魅力をたたえている。

1号●今回もまた、絶賛ですな。

所長●70年代前半には、シンガーソングライター系のアルバムで名盤とされる作品がいくつか生まれているが、まったくひけをとらない出来映えだよ。正直に今の気持ちを言えば、「アサイラム・イヤーズ」は、2007年度のベストワンに挙げたい気分だ。

1号●はあー。

所長●ふれたら壊れてしまう、ガラス細工のような美しさだね。儚いくらいに美しい。悲しいほどに美しい。「アサイラム・イヤーズ」は早くも品薄になっているから、ちょっとでも気になる人がいれば、早めに購入することをお薦めするよ。

-posted by 所長@10:20AM


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