オンフィールド音楽研究所 |
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2006,09,30
016●もしもフジロック'72が開催されるなら(3) 所長●フジロック'72の出演交渉も、いよいよ大詰めを迎えた。 秘書1号(以下、1号)●交渉はしてないけどね。“勝手に選んでいるリスト”は、かなり出来上がってきた。今回は、日本人アーティストを選ぶんだっけ。 所長●うん。これはね、選ぶの簡単だよね。 1号●簡単なの? 所長●そ。だって、そもそも対象となるアーティストの数が少ないもの。 1号●まあね。日本で洋楽的な音楽が広がってくるのは70年代後半だから。 所長●最初にざっと挙げてみようか。まずは、カナダでアルバムがヒット中のフラワー・トラベリン・バンドは決まりだよね。それから村八分、頭脳警察、はっぴいえんど、モップス、内田裕也、フライドエッグ、結成またはデビュー間もないカルメン・マキ&OZ、クリエイション、RCサクセション、レコードデビュー前だけど 「春一番」などには出演していた、はちみつぱい……。 1号●豪華すぎて、目が回りそう。 所長●この際、日本勢はみんな集めちゃおう。 1号●何だか、その後に集合離散しそうなミュージシャンもいるね。 所長●そうだな。とくに、はっぴいえんど(細野晴臣、大瀧詠一、松本隆、鈴木茂)とフライドエッグ(つのだひろ、高中正義、成毛滋)はジョイントにしてもらうのも一考。 1号●ならば、ついでに、サディスティック・ミカ・バンドも一緒にステージへ。 所長●ああ、そうね。サディスティック・ミカ・バンドは、この年の6月に「サイクリング・ブギ」をリリースしたばかりだ。本当は、初期のメンバー(加藤和彦、ミカ、小原礼、高橋幸宏)が固まるのはこの年の年末だけどね。分かっているとは思うけど、木村カエラは加入前。 1号●そりゃ、そうでしょ。カエラは生まれてもいない。 所長●タネもできてない。遺伝子くらいは、蓄えられつつあるだろうけど。 1号●遺伝子って、加齢に伴って蓄えられるの? 所長●いや、よく分からないで喋ってる。 1号●そんないい加減な。 所長●はっぴいえんどの大瀧詠一と内田裕也は、必ず楽屋を離すこと。ステージでも、すれ違わないようにすること。 1号●何でまた。 所長●ロックを日本語で歌うことの是非が、誌上で激論された翌年だから。何だか、ステージの裏手で一触即発の臭いがする。 1号●なるほど。 所長●頭脳警察のステージには、映画監督の若松孝二も乱入。 1号●何だか、いろいろ危険な臭いがするなあ。 所長●あと、レッドマーキーの昼の部には、キャロルが登場。 1号●うわっ、扱いが低いね。 所長●だって72年の8月15日に結成したばかりだもん。ミッキー・カーチスに見いだされてデビューする前だな。 1号●キャロルがフジロック'72に出演していたら、 ミッキー・カーチスじゃなくても声をかけるだろう。 所長●そう言えば、10年ほど前に観た武道館の矢沢永吉のライブで、ミッキー・カーチスが観客として座っていたな。 1号●あー、そうなんだ。 所長●それも2階席の後ろの方に。たぶん、ハガキで応募して抽選で選ばれた席なんだろう。 1号●ちょっと、ノーコメントにしておきますね。 所長●ふふふ。あと、サプライズ出演のバンドがあるぞ。 1号●ほうほう、当時のサプライズ出演と言えば? 所長●言わずと知れたPYGだよ。メンバーは沢田研二、萩原健一、岸部修三(現・岸部一徳)、井上尭之、大野克夫、大口広司の6人。 1号●この6人がよくもまあ、一緒に活動していたよね。 所長●奇跡的だね。2006年の現時点で、マスコミ露出が一番多いのが岸部一徳になるとは、誰が想像したであろうか! 1号●確かに。 所長●岸部一徳が出演していたテレビドラマ「陽あたり良好!」は良かった。 1号●そっちに話がいきますか。 所長●日本テレビの日曜日の20時がドラマだった最後の時代。 1号●あっそ。 所長●あのドラマに出演していた若者たちのなかで、少なくとも1つのカップルが本当に生まれたそうだが、言わない。 1号●そこまで言っておいて。 所長●言いたいけど、言わない。一生の秘密。 1号●どうでもいいよ、そんなこと。とっとと話を戻して。 所長●PYGはステージをぜひ観てみたいな。僕が唯一覚えているのは、映画館で観たニュース映画の芸能ニュースだったと思うんだけど、今で言うビデオクリップみたいなのが上映されていてね、何だか、グループサウンズの趣とは一線を画する、本格的なロックバンド登場!って感じだった。 1号●大きな話題になったのは確か。 所長●Wikipediaに詳しく載っているけど、この年の夏の「日劇ウエスタン・カーニバル」が最後のステージになったようだ。ならば、こっちはキャンセルしてもらって、フジロック'72に出演していただこう。 1号●彼らは、大手芸能プロダクションが作ったロックバンドと受け止められていて、反体制=ロックの構図とは相容れなかった。 所長●ロックファンからは総スカンを食って、ステージには空き缶やトマトが飛んできたそうだ。 1号●可哀想に。 所長●だからフジロックでも、「帰れ」コールが飛ぶ。空き缶やトマトも飛ぶ。 1号●やっぱり飛ぶのね。 所長●飛ぶだろうねえ。でも、同じ解散するなら、フジロックが最後のステージになった方が格好いい。 1号●まあね。 所長●彼らのベスト盤のCDを聴いてみると、紛れもないグループサウンズの音で、やっぱりロックとは言い難かった。当時は、ロックに聴こえたものだが。 1号●今聴いたら、そうでしょ。仕方ないよ。 所長●あと、グループサウンズみたいな音つながりで、デビュー間もないチューリップにも出演依頼を出しておこうか。 1号●ついでかよ。 所長●それから、もう1つ出演させてあげたいバンドがある。寛永通宝。 1号●何だそれ。知らないぞ、そんなバンド。 所長●知らないだろうなあ、今も覚えている人は、たぶん20人くらいだろうなあ。寛永通宝はね、僕が学園祭で見たアマチュアの学生バンド。 1号●んあー。そりゃ、誰も知らないはずだ。 所長●でも、結構巧かったように思うけどね。オリジナルに忠実に、完全にコピーしてた。 1号●誰のコピーよ。 所長●ユーライア・ヒープ。 1号●またヒープかよ。いい加減にしなさい。 所長●あれは関西学院大学の学園祭。72年だったか、73年だったか。僕が中2か中3の時に間近で観たんだ。嬉しかったなあ。あの頃のアマチュアバンドは、だいたい、猫も杓子も、ディープ・パープルの「スモーク・オン・ザ・ウォーター」をやってたから、ヒープのコピーをやってるだけで異彩を放っていた。 1号●ああ、確かに、コピーの対象はディープ・パープルが多かった。あとはビートルズとかツェッペリンとか。 所長●寛永通宝のメンバーは、もう55歳くらいだろうなあ。みんな元気で生きているかな。たぶん、「大人のロック!」とか 「AERA in Rock」とか、雑誌を買って読んでるんだろうなあ。 ロックに目覚め始めた息子にユーライア・ヒープのCDを無理矢理貸したりして、「うざい」とか言われてるんだろうなあ。それにもめげずに「いいか、『ハイ&マイティ』から聴くんじゃないぞ、まずは『対自核』を聴くんだ、わかったか」とか言って、お父さん風を吹かせているんだろうなあ。 1号●また空想が暴走し始めましたよ。 所長●たとえ年端もいかない娘でも、おかまいなしだろうなあ。「私、大塚愛ちゃんの方が好きなんだから、もう!」とか言われて、「馬鹿野郎、同じ聴くなら、せめてYUKIにしろ」とか言ってさあ。むふふ。 1号●止まらないね。止めてください。 所長●もしサラリーマンなら定年が近い年代だ。青春時代の思い出づくりに、ぜひ、彼らをフジロック'72に出演させてあげたい。ま、ステージはレッドマーキーの昼の部だけど。 1号●アマチュアバンドが出演するのは大抜擢。アルバムリリース前にフジロック2005に出演したSOIL &“PIMP”SESSIONSの先例だ。 所長●おっ、ちゃんとNHK教育テレビの「トップ・ランナー」をチェックしてるね、よろしい。 1号●ところで当時はフォークともロックとも言い切れないアーティストとか、フォーク系のアーティストが結構いたよね。例えば遠藤賢司あたりは。 所長●ああ、そのあたりね。まあ、いいよ、適当に入れておいて。 1号●おざなりだな。 所長●アレでしょ。岡林信康とか六文銭、友部正人、高田渡、古井戸、井上陽水、吉田拓郎、加川良、泉谷しげる、あがた森魚……デビューしたての荒井由実、そんな所でしょ。 1号●あと、つのだひろ。 所長●つのだひろは、フライドエッグのメンバーとして招聘済み。 1号●「メリー・ジェーン」は72年4月のリリースだよ。 所長●じゃあ、フライドエッグのステージの後に、1 人だけ残ってもらおう。 1号●投げやりだね。 所長●屋外のステージだから、ミラーボールは使えないからな、念のため。まあ、この曲でチークダンスをするような時代でもないだろうが。 1号●いやあ、これでようやく、フジロック'72の全容が見えてきましたな。面白そうだよねえ。 所長●まあな。 1号●フジロック'72が開催されていたら、日本のロック事情も変わったかもしれないね。 所長●そうかもな。 1号●さっきから、テンションが低くなってきたように思うけど。 所長●こうやって考えていくと、つくづく思うんだよね。 1号●何を。 所長●こんなロックフェス、やっぱり、あり得ないよな。 1号●ええっ、何だよ。 所長●当時の円ドル為替レートは1ドル=300円くらいだぞ。外タレをこれだけ呼んだら、いくら金があっても足りないよ。 1号●そんなあ。 所長●高額の入場券が売れるとも思えない。コンサートは無料であるべき、という考え方もチラホラ残っていた時代だし。 1号●今さら、そんなこと言われても。 所長●当時は浅間山荘事件に至る悲劇が起こっていた時期だぜ。会場からそんなに遠くないところで。 1号●まあ、そりゃあそうだけど。 所長●仮に3万人集まるとして、絶対に、いろんな事件が起きるよ。たぶん、大量の機動隊を導入して、ものものしい雰囲気になってしまう。あるいは開催直前に、中止に追い込まれる。 1号●やけに現実的なことを言うなあ。 所長●ウッドストックを真似て、日本でも野外ロックフェスの「富士オデッセイ」を開催しようとして大失敗してから、まだ2年だ。 1号●あー。 所長●衛星放送も始まっていなかったし、地上波はオンエアしないだろうから、放映料の収入もない。だから、フジロック'72はあり得ない。空想と言うよりは、妄想だった。 1号●それが結論ですか。 所長●残念ながら、そうだな。でも、こうして考えていくと、フジロックが96年になってようやく始まった理由が、それなりに見えてくる。 1号●まあね。 所長●72年という時代を再認識することができたのは、大きな成果だ。いろんなアーティストを生とかテレビとかですぐに観られる時代じゃなかったから、情報に渇望していた時代に生まれた音楽だから、今の時代も70年代ロックの雑誌が売れるし、紙ジャケも売れるし、DVDも売れる。 1号●それは言えてる。 所長●今の時代のロックは、今の時代に消費され尽くされるから、30年後に再度、商品価値が認められるかどうか、極めて疑問だよね。 1号●何だか、硬派なまとめ方だね。 所長●まあ、そういうことで。ちょっと今回は、寂しく終わりたいな。 -posted by 所長@12:27PM |
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