オンフィールド音楽研究所

2006,06,04

005フラワー・トラベリン・バンド(Flower Travelin' Band)

所長●いやあ、いいわ、これ。フラワー・トラベリン・バンド。またはフラワー・トラヴェリン・バンド。

秘書1号(以下、1号)●ふうん。

所長●人によっては、フラワー・トラベリング・バンド。またはフラワー・トラヴェリング・バンド。

1号●しつこいです。

所長●チッチッチ、君は何も分かっちゃいない。こうやって、いろんな表記方法を書いておくことで、検索して情報収集しやすいように、アルバムを見つけやすいように、読者に便宜をはかっているのだぞ。

1号●それはご苦労さんですな。しかし、えらく、渋いところ突いてくるね。前回、前々回からの揺り戻しが激しい。

所長●渋いと言えば渋いけど、ジャパニーズロックの草分けの1つだよ。パイオニアだよ。開拓者だよ。

1号●言葉が3回ダブってる。ライター失格。

所長●とにかく凄いよ。

1号●どう凄いのか説明してください。物書きならば。

所長●ううんと……ええと…… 。

1号●早く。

所長●まあ聴いてみてよ。

1号●やっぱりライター失格。

所長●そう責めるなって。まあ、70年代の初期にこういうジャパニーズロックが存在していたということが、衝撃的ということに尽きるのだ。例えば彼らがデビューした翌年、71年の日本の音楽界で一番売れたシングルは「わたしの城下町」(小柳ルミ子)だぞ。

1号●ほお。さすがは社史のライターだね。歴史情報がすぐに出てくる。

所長●第一次オイルショックは73年、第二次は79年。プラザ合意でバブル景気のタネがまかれるのが85年。

1号●わかった、わかった。現代史を暗記しているって自慢したいのね。

所長●一番売れた洋楽シングルは「ナオミの夢」(ヘドバとダビデ)だ。

1号●あー。要するに歌謡曲だけど。

所長●欧陽菲菲の「雨の御堂筋」もヒット。

1号●台湾歌手とベンチャーズのコラボだ。考えてみたら、すごいね。

所長●「また逢う日まで」の尾崎紀世彦の歌声にビックリしていた時代に、ジョー山中は英語圏で通用するロックを歌っていた。おまけにカナダでは、代表作「SATORI」がチャート上位まで上昇。

1号●なのに、日本の音楽界は冷ややかな目で見ていたと。

所長●そうそう。音楽雑誌では「カナダで新作を録音」とか 「英語圏でアルバムを発表」とか、すごいビッグニュースを伝えていたのに、メジャーなマスコミは誰もそんなこと伝えなかったのだ。無視していたとしか思えんな。「夜のヒットスタジオ」にも彼らは登場してないと思うし。

1号●「夜ヒット」は無理でしょう。

所長●スリーディグリーズが安井かずみ作詞・筒美京平作曲の「にがい涙」を歌って、メッセンジャーズは「気になる女の子」を口パクで演奏したのに?

1号●何か、わかりにくい例を引き出してきたな。

所長●とにかく、時代を先取りしすぎたってハナシ。

1号●確かに、10年は早すぎたな。いや、20年か。

所長●いずれ「隠れ名盤 世界遺産」で彼らのことを書きた いと思う。またもや、さりげなくリンク。
http://www.onfield.net/hihou/

1号●さりげなくないけどね。

-posted by 所長@12:23PM


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