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さて。当コーナーでもたびたび記してきたオリコン訴訟の鳥賀陽さんが、敗訴してしまった。9割以上の確率で鳥賀陽さんが勝訴し、オリコンが尻尾を巻いて退散していく姿を想像していただけに、非常に意外な結果だ。以下は、ともに「オーマイ・ニュース」の記事。 ●烏賀陽氏敗訴 オリコン側の主張をほぼ認める 電話取材でコメントしただけで、名誉毀損が成立してしまう、という恐ろしい時代の幕開けか。こんな判決が下されていると、日本が世界中から物笑いの対象になってしまうのではないか、 鳥賀陽さんが判決を受け入れるはずはなく、直ちに控訴に移るだろう。けっこう永い闘いになりそうだ。 さて。いつかはやらなければならなかった抜歯、覚悟を決めて22日、一気に2本を抜いた。歯科治療というよりも、ほとんど外科手術だ。根っこがしっかり深い2本だったので、抜けるまでに悪戦苦闘の時間がかかり、最後は恐怖でアゴがガクガクになってしまった。その夜は、発熱でぐったり。 傷口が大きかったため、いったん糸で縫合。ようやく腫れが落ち着いたので本日は抜糸だった。禁酒の日々に終止符を打てそうで、何よりだ。 大学時代、歯磨きを疎かにしていた報いを、30年後にたっぷり受けている。若い人には、「虫歯があるなら、こまめに治療しておけよ」と言っておきたい。さもなくば、20年後、30年後に年間5万円前後、歯科治療に払う羽目になる。 今かかっている歯医者さんは、信頼できる歯医者さんだと思っている。大昔に通っていた複数の歯医者さんは、今思えば、いずれも最悪だった。あの時、信頼できる歯医者さんに巡り会っていれば……などとも思うが、昔の歯医者は、おおむね乱暴だったように思う。「ちょっとくらい、痛いの我慢せえ!」と怒り出したりとか、治療方針をろくに説明もせずに「今日は抜かなアカンな」と突然宣告したりとか、無茶苦茶やっていたもんなあ。 さて。近視と老眼が進んできたので、いよいよメガネが必要になってきた。眼科医から「遠近を別々に作りなさい。最初から遠近両用は難しいから」と言われ、一挙に2つを作ることに。 初めてのメガネなので、どういう基準で選べばいいのか、勝手が分からない。そこで、あちこちのメガネ屋さんを回ることにしたのだが……メガネ屋さんの接客って、どうしてあんなに酷いのだろう。たまたま良心的でない店ばかり回ったのかもしれないが、こちらの要望やら似合う・似合わないなどお構いなしに、「これはどうです」「こちらもお薦めです」のオンパレード。そのほとんどが、ズレている。 もちろん、洋服選びでも同じような場面に遭遇するわけだけど、洋服なら外見だけで判断できるものの、メガネはかけてみないと分からない部分がある。お薦めされるたびに、律儀にかけてみたのだが、そのうち辟易としてきて店を後にする、といったパターンだった。 結局、いちばん気持ちの良い接客に巡り会ったのは、地元商店街で代々眼鏡店を営んできたのであろうお店だった。最初は流行に逆らってジョン・レノン風の丸いメガネを物色していたのだが、「お客様には、丸いメガネはあまりお似合いにならないですよ」とズバリ。それが僕にとっては新鮮な印象で、他の店にはない心地よさとなった。その他にもあれこれ、ツボを心得た接客を受けて、いたく感心してしまった次第。 小売店では全般的に、パパママストアの地盤沈下が甚だしく、チェーン店やネット販売に客を奪われている傾向が顕著だけれど、メガネ店のようなコンサルティング要素の強い業種では、まだまだ捨てたものじゃない。接客って、本当に重要だよなあ。 さて。永らく使い続けてきたPHSが昨夜、ついにご臨終を迎えた。03年1月に購入した製品だから、5年半の生命ということになる。一度バッテリー交換を行いつつ使い続けてきたが、再びバッテリーのヘタリが目立ってきた上に、昨夜は液晶画面がほとんど見えない状態となった。着信通話は問題ないが、画面が表示されないから、電話帳を表示しながら電話をかけるのは、ちょっとムリ。もう潮時だろう。 バッテリーをカバーする裏ブタを早々に紛失し、それでもなお、セロテープで止めつつ使ってきた。最初は、人前に出すのは恥ずかしかったが、「だって、まだ使えるんだもん」と自分に言い聞かせつつ、開き直って使い続けてきたので、愛着もひとしお。 次もPHSにするか、あるいはイーモバイルに乗り換えるか……。おっ、ちょうどiPhoneも出るよなあ、などと思案中。 さて。洞爺湖サミットが開かれている関係で、都心では警察官の姿をやたらと見かける。乗降客の少なそうな駅のホームや電車の中にも警察官の姿があったりして、いやはや、ご苦労さんなことです。 そんな一種異様な光景を見ながら、東京サミット(第5回先進国首脳会議)を思い出した。大学卒業を翌年に控えた1979年の6月のことだ。僕自身は関西の大学だが、東京サミット直前の6月は早稲田大学に通う友人のところへ遊びに行っていた。完成した8mm映画の自主上映会を開催するために、上京したのだったと思う。 友人の友人も数人集まり、夜は当然、宴会になる。早稲田近くの居酒屋でしこたま呑み、一同、上機嫌となってジャレ合いながら早稲田通りを歩いていた。友人の友人の1人が酔った勢いで「生ビールあります」の看板を引っぺがし、看板をずるずる引きずりながら歩き始めたのだが、そこに警戒中のパトカーが通りかかった。職務質問で誰かが反抗的な態度を取ったのだろう、詳細な記憶は定かでないが、ともあれ、「署まで来てもらおう」ということになったのだった。 よほどヒマだったのか、連絡を受けたパトカーが何台も次々と集まり、1人ずつだったか2人ずつだったか、牛込警察署まで連行された。後にも先にも、パトカーの乗せられたのはあれが唯一だが、まず乗り心地の良さにびっくり。車内の運転席周辺には見たこともない無線機やら何やらがずらりと並び、臨場感のある交信音が次々と聞こえてきたりして、連行される身の上ながら、何だかワクワクしてしまったことを覚えている。 ただ、取調室では心細い思いもした。「誰が看板を盗んだのか」を執拗に問われたのだが、その日に初めて会った友人の友人の名前を僕は勘違いしていて、唯一違う証言をしていたようなのだ。「本当のことを言え」と厳しく問いただされ、僕もムキになって「だから正直に言ってるでしょう!」などと食ってかかったりして、1時間ほどは取り調べが続いただろうか。 まあ、結局、「ただの酔っぱらい学生」と判断されたのか、酔いもすっかり醒めた深夜に釈放されたのだが、あとで友人に聞くと、僕以外の面々は、警察官と世間話に興じていたらしい。真剣に取り調べに応じていた僕がバカだったのか……。取調室にはベコベコにゆがんだアルミ製の灰皿、昔ながらの水玉模様の湯呑みがあったことも、妙に記憶が鮮明だ。 どう見ても不穏な学生には見えないだろうに、ごていねいに連行されるなんて、考えてみれば平和な時代だね。 |
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