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046(02/10/02)
連日の拉致報道で

 さて。北朝鮮による拉致事件は実に痛ましい事件だ。我が子が突然いなくなり、連絡の取りようもない国で生きているかどうかもわからないまま、20年前後の歳月が過ぎている。激しい怒りがこみあげるだろう。僕があの立場でも、同様に振る舞っていたかもしれない。

 ただ、この間の一連の報道で気になった点をいくつか。まず、小泉首相による北朝鮮訪問を機に拉致された本人の生死が伝えられ、家族が怒りをにじませていた最初の記者会見。バックに政治家たちがずらりと並んでいた光景には、何ともいえない違和感があった。このことを、鳥越俊太郎さんがズバリと言い当ててくれている。胸のすく思いだ。政争の具になってはいけない。

 その後、拉致家族は頻繁にブラウン管に登場している。今のところ、国民は家族に対して同情をもって見ている段階。だが、少々過剰なあおりをしすぎではないのか。思いっきり持ち上げておいて、その後でバッシングするのが一部のマスコミのやり方。そのうち、家族の周辺の些細なスキャンダルが大げさに報道されるようなことがなければいいが。

 また、テレビは家族たちの悲しみをそのまま垂れ流すだけでいいのだろうか。僕には、何だか悲しみを増幅させ、それを消費しているだけのように見えることがある。まだまだ、おいしい映像が流せるぞ、といったような。そんな番組が続けば続くほど、じゃあ戦時中に日本人は大陸で何をしてきたの、その後どうやってフォローしてきたのと、問いかけたくもなる。悲しみを増幅させて涙を絞らせることよりも、好きな言葉ではないが「癒し」が必要なのだとも思う。その役割が、中山さん(だっけ?)という女性なのかも。

 北朝鮮の説明はすべてが信じられない……本当にそうなのか。北朝鮮の肩を持つつもりはさらさらないが、100%の作り話とは僕は思わない。日本社会に於ける常識的な死に方と、北朝鮮に於ける常識的な死に方には、大きな隔たりがあろう。また、ヨーロッパ観光中に声をかけられて軽い気分で「行ってみたいな」と言った可能性はあると思う。

 生存している5名は、それぞれ結婚していて、子供もいるようだ。家族が「日本に連れて帰る」と主張するのもわかるが、本人たちや北朝鮮生まれの子供たちはどう判断するか。決めるのは、北朝鮮にいる彼らだ。少なくとも、面会の機会は作るべきだが、そのまま北朝鮮に残るという選択もあるような気がする。

 小泉首相は嫌いな部分が多いけれど、今回の国交正常化への一歩は正しいと思う。国交が正常化され、北朝鮮に残ることを選択するかもしれない彼らと、日本の親たちが自由に会えるような環境を整えていく、これがベストかも。

 僕はいま、1980年を望遠鏡で覗いたようなメルマガを発行している。この当時、海岸べりを散歩していて拉致された人がいるんだ、と思うと、ぬるい「懐かしさ」は消えてしまいますね。

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047(02/10/02)
月刊コラム執筆に穴をあけて

 さて。当HP開設以来、地味ながら着々と定期発行していた月刊コラム「オンフィールド・コラム」を今月休んでしまった。無念。

 2年余り前に始めた頃は、お手軽な書き物のつもりだったが、今年の夏頃には一日に平均300ページビューを数えるようになり、反響のメールもいただくようになって、責任感が強くなってきたのは確か。言いっぱなし原稿はダメだなとか、どこかで誰かが言っていたような話を焼き直すような原稿は書きたくないなとか、いろいろ考えていると、ヒマな時間にぱぱっと書き飛ばすことができなくなる。おまけに、その「ヒマな時間」さえ、あと一ヶ月はなさそう。

 一部、用意していたネタはあったが、思い切って一回休むことにした。申し訳ない。

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048(02/10/07)
行きつけピザ店が閉店で

 さて。93年秋からスタッフとして参加している障害者プロレス「ドッグレッグス」の面々が、毎週のように訪れていた千歳船橋(世田谷区)のピザ店が、土曜日に閉店を迎えてしまった。数々の修羅場の舞台にもなったこのお店、メンバーが大暴れしてもイヤな顔ひとつせずに見守ってくれた、タフで優しいマスターには感謝、感謝。

 イタリア料理なんてメジャーではなかった30年前に開店したそうで、固定客も多かったが、最近は不況と競合店の増加で、なかなか厳しかった様子。ともあれ、永らくお疲れさまでした。

 さて。居場所のなくなった我々としては、しばらくの間、千歳船橋の飲み屋を週末の夜に点々とすることになりそう。このピザ店のように、マスターと心をかよわせ合えるような店は、もうないかもしれない。寂しい限りだ。

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049(02/10/15)
パチンコ店の電飾が

 さて。もう2年以上前の話だが、賃貸住宅探しで不動産屋さんに案内され、夕暮れ時に世田谷通りを西に向かっていたとき、奇妙な文字が目に飛び込んできた。パチンコ店の電飾看板で「パ・チ・ン・コ」の「パ」の電球が切れていたのだ。すなわち、チンコ。これが、煌々と照らし出され、渋滞気味の世田谷通りを川崎方面へ走るドライバーの目にさらされた。

 問題は、「●●●パチンコ」という●●●の部分である。これが、右寄りの皆さんが愛して止まないモノなのだから、何ともはや。デジタルカメラを持参していないことを、これほど口惜しく思ったことはない。後日、撮影しにいったら、さすがに不味いと思ったのか、電飾を消したまま営業を続けていた。

 先日、久しぶりに同地を同じ時間帯に自転車で走っていて、ふと思い出し、このことを記録しておきたい気分になった。今はもちろん、正しく表示されている。右寄りの皆さんが抗議したのかどうかは、定かでない。

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050(02/10/15)
労働基準法違反

 さて。ここんところ、労働状態が過熱気味だ。朝8時台からパソコンに向かい、夜中の23時頃までひたすら、書く、そして書く。最終的に原稿用紙500枚分を書き上げるという、某会社の社史執筆をしているわけだが、500枚と言えば、分厚いハードカバー1冊分程度。書いても書いても終わらない。有名作家のように分身として書かせる弟子がいるわけでもないから、すべて一人だ。売れっ子小説家が羨ましい。

 そういえば、6月末に沖縄旅行をして以来、一日も休んでいないことに気づいた。一日も、である。さすがに、毎日10時間以上を100日も続けているわけではなく、時には夕方で切り上げたりはしているが、ここ10日間は14時間労働が毎日続くだろう。

 某社史の執筆を半分近く済ませたら、次は、月刊の連載モノが2本待っている。季刊のレギュラーも待っている。さらに、某雑誌別冊で22ページを書くことになっている。これがあと一ヶ月近く続く。その後は、年末にかけて某書籍の共同執筆が待ち受けている。雑食性のライターなので、基本的には依頼された仕事を断らないことにしているが、さすがに、いくかを丁重にお断りしてしまった。

 好きで選んだこの仕事、取材も執筆も楽しいが、肉体的に無理がきかなくなってきたことを実感する。煙草もそろそろやめなくては。

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