001〜005

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001(02/02/17)
肉じゃがか、シチューか。

 さて。「シチュー」と言えば、何を思い出すのだろう。たぶん、クリームシチューとか、ビーフシチューあたりが定番と思う。ところが、僕は大人になるまで、肉じゃがのことをシチューと呼んできた。正確に言えば、僕が命名したのではない。我が家でそう命名されていたのだ。

 うちの親は夫婦共働きで二人とも公務員。おふくろが仕事から戻ってきて、ようやく初めて晩ご飯の準備にかかる。おふくろが帰ってくると、多くの子供がそうするように、「今日は何?」と聞く。晩ご飯は何なの?という質問だ。「今日は菜っぱを炊いたん」「今日はお肉するわね」「今日はサワラの煮付けよ」。手短な言葉の中に、すべての答えが入っていた。

 「炊いたん」の「ん」は神戸の言葉だろう。標準語に直せば「もの」になる。つまり、「菜っぱの炊いたもの=煮物」だ。菜っぱは小松菜。これを、厚揚げと一緒に煮含めた総菜だ。いの一番に出てくるメニューが「菜っぱの炊いたん」だから、肉類はなかったか、あってもせいぜい煮干し程度だっただろう。「お肉」は、豚肉か牛肉の三枚肉を塩コショウで炒めただけのもの。今でも、これが一番シンプルで、肉の味がわかるメニューだと思っている。「サワラの煮付け」は、さすがに説明不要ですね。

 さて。ここに件の「シチュー」という言葉が登場してくるワケだ。「今日はシチューよ」と言われれば、たちまち固有の料理が目に浮かぶ。これが世間様で「肉じゃが」と呼ばれる代物だとわかったのは、居酒屋で友人達と酒を呑むようになってから。行き慣れない居酒屋でお品書きを見ながら「あれ? シチューはないんか」とつぶやき、それは何だと追及されて「肉じゃが」と呼ばれていることを知ったときは、さすがに赤面した。

 このことが、ずっと気になっていた。なぜ「シチュー」なのか。

 昭和30年代、40年代あたりまでは今のようにレシピ情報が巷にあふれている時代ではない。レシピは、親から子供へ、姑から嫁へ継承されるのが普通だったから、上の世代が「シチュー」として教え込んでいれば、肉じゃがもシチューになってしまう。母親の家系は奄美大島方面だったから、本土と違う呼び方が定着していたのかも知れぬ。

 たまたま実家に帰ったとき、食卓に「シチュー」が出てきた。ずっと気になっていたことを聞くことにした。

 「なあ、何でウチでは肉じゃがのことをシチューって呼ぶん?」

 それなりの説明があることを期待していたが、おふくろは、

 「あ、そうなの」

 と適当に答えをはぐらかせ、ニヤニヤ笑ったまま台所へ消えていった。追い打ちをかけるように質問を重ねるのも方法だったが、これ以上、聞く気にはなれなかった。たぶん、おふくろの勘違いだったのだな、と判ってしまったからだ。

 さて。我が家では桃のことを「水蜜桃」と呼ぶ。こちらは、どうやら単純な勘違いではなさそうだ。もっとも、子供のころは「すいみっと」と覚えていたのだが。

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002(02/02/24)
右も左もラーメン。

 さて。もう一つ食べ物のお話。世の中には、鰻丼が嫌いな人が存在する。実に可哀想だと思うけれど、嫌いなのだから仕方がない。鰻丼の味が嫌いというより、あのにょろにょろ長いウナギの見てくれが、「嫌い」の正体だと吐露する人が多い。どうやら、蛇を連想させるようだ。当然、アナゴもダメだろう。

 鰻丼ほどではないが、カレーライスがダメという人も、案外いる。「とにかくピリピリ辛いのが苦手なのよ」というのが代表的な理由だ。当然、麻婆豆腐も、キムチもダメなのだろう。韓国や東南アジアあたりに出張させられたら、同情するより他に術はない。

 さて。ラーメンが苦手という人に、まだ会っていない。実は、僕がそうなのだ。子供の頃に食べつけなかったからなのか、あっさり味のうどんをもっぱら食べていたからなのか、大学時代に友人が好んで食べていた屋台のドロドロ系ラーメンに辟易したからなのか、理由はわからないけれど、とにかくダメなんである。

 一番申し訳なかったのは、15年ほど前、ダスキンという会社の広告の仕事で、博多市内のフランチャイズ加盟店の取材に出かけたときのことだ。担当者は博多出身者で、博多のいいところを案内したくてしようがない。何となくイヤな予感はしていたのだが、取材のついでに「長浜ラーメン」に立ち寄って食事をしようということになった。僕は当時、営業兼任のディレクターで、取材は別のフリーライターの役目。そのほかカメラマンもいる。ダスキン担当者とフリーライター氏、カメラマン氏は「長浜ラーメン、いいっすね!」と盛り上がってる。

 こうなれば、「僕、ラーメン、ダメなんです」とは言いづらい。ええい、ままよ、食べたら食べられるかもしれないと思って4人で暖簾をくぐった。だが、これがどうにも喉を通らない。「うっ」と来てしまうのだ。そんな僕の苦渋をよそに、3人は「替え玉」を頼み、ズルズルハフハフ食べていく。僕は半分まで食べて、残してしまった。残したラーメンを見て、店員がいかにも不愉快そうな顔をする。

 どうしたのとダスキン担当者に聞かれ、「実は、ラーメンが苦手で」と告白した。そのときの、博多出身担当者の悲しそうな顔もよく覚えているが、「ラーメンが苦手なんてねえ」と鼻でせせら笑ったフリーライター氏の憎たらしさは、さらによく覚えている。

 つい数年前、久々にラーメンを食べてみようと思い、スーパーで、生麺の「とんこつラーメン」を買ってきて食べてみた。ところが、これが案外美味しいのだ。「何だ、俺もラーメンがけっこう好きになるかも」。そう思った数時間後、見事にお腹をこわしてしまった。どうやら、いつの間にかラーメンを受け付けない胃袋になってしまったらしい。ここまでくれば、もう開き直りである。

 世の中には、ラーメン嫌いの人間もいるのだ。いや、別に声高に自慢する話ではないのだけれど。

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003(02/02/27)
「お返し」ということ。

 さて。今日は嬉しい便りが届いた。何度も取材させていただいたことがある、北海道の精神障害者のコミュニティ「浦河べてるの家」の有志から届いたハガキだ。

 もう何度も「オンフィールド・コラム」で同所を紹介しているので、説明は省くが、昨年末に「浦河べてるの家」の面々が講演で上京した際、その模様を取材して、福祉関係の機関誌に原稿を書かせていただいた。無事に刷り上がり、誌面をコピーして送ったところ、そのお礼状が今日届いたのだ。誌面に登場した面々から、びっしりと掲載のお礼やら記事の感想やらが書かれてあって、心から「ああ、みんなのことを書いて良かったなあ」と思う。

 このあたりのツーウェイコミュニケーションを大切にしているところが、「浦河べてるの家」の大好きなところだ。相手が見学者であれ、取材者であれ、寄付行為をした人であれ、施設拡充反対の地域住民であれ、ちゃんと相手の方を向いてリアクションをしてくれる。実は、福祉関係者でけっこう抜けているのが、こういう点だったりする。

 例えば、福祉関係の取材をしていると、何かと「寄付のお願い」というものが届く。一時は毎月のように、どこかしらから、届いていた。「無い袖は振れない」のも事実だが、「無い袖を振りたくない」ような、ぶしつけな寄付依頼が、けっこうあるのだ。一度、無理をして寄付をしたことがある。だが、謝辞もなく、使い道の報告もなく、しばらくして再び振り込み用紙が送られてきた。いったい、どういう神経をしているのだろう。

 僕は、見返りを期待しない寄付行為とか、ボランティア行為というものを、あまり信じていない。当然、僕は何らかの見返りを求める。別に何かモノを返してほしいのではない。取材に便宜をはかってほしいワケでもない。楽しい情報の一つでも返してくれれば、それで全然満足なのだ。そのあたりのエンターテイメント性が、どうも福祉関係者には、一般的に欠如している気がする。

 おっと、楽しいハガキの話をするはずだった。いずれ、機関誌の原稿料がわずかばかり入ってくるから、それで以前から欲しかった「浦河べてるの家」のオリジナルビデオ「精神分裂病を語るシリーズ」を買うとしよう。そんな「お返し」がしたくなる希有な存在が「浦河べてるの家」の魅力でもある。

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004(02/02/28)
図書館で音楽ソフトを借りる愉しみ。

 さて。フリーライターという仕事柄、図書館を頻繁に利用する。とくに取材先に関する情報収集、事前の予習にはとても重宝だ。

 図書館にもよるが、僕が利用する図書館には、申し訳程度の音楽ソフト所蔵品としてCDが並んでいる。ラインアップは、目を疑うほど支離滅裂だ。たいてい、邦楽と洋楽という大分類だけでアイウエオ順に並んでいるから、八代亜紀の横に矢沢永吉が、日吉ミミの横にヒカシューが置いてあったりする。

 おまけに、どう見てもそのアーティストの代表作ではないものだけが置かれていたりする。ディープ・パープルのCDも全盛期の作品ではなく、人気が凋落してから惰性で発表した作品だけが数点並んでいた。また、ここ最近の旬のアーティストの作品も、まずない。おそらく、数年単位で異動する図書館の担当者が任期中に気まぐれで購入したものか、地元民から寄贈された不要品を図書館資産として供与しているに過ぎないのだろう。図書に比べて、いかにも無計画で乱暴な品揃えである。

 だが、これが妙に楽しい。何が楽しいかというと、レコード店(CDショップ)にはまず置いていない作品と巡り会えるからだ。売れセンとそうでないものが、マーケティングという一見マトモな考え方でコントロールされ、日の目を見ない作品はずっと日陰のままでいるのが今の音楽産業界。だから、誰もコントロールしていない図書館の音楽ソフトの品揃えは愉快なのだ。10年近く前、文京区に住んでいた頃は、アナログLPをたくさん置いた区立図書館を好んで使っていた。今もLPは貸しているのだろうか。

 とりあえず今日は、いつもの図書館で「タモリ」と「タモリ2」、そして森田童子のベスト盤を借りてきた。さて。次は、「ハチのムサシは死んだのさ」の、平田隆夫とセルスターズでも借りてみようか。

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005(02/03/07)
愛着が感じられる作品との出会い。

 さて。先日、嬉しいできごとがあった。足かけ3年間にわたって作業を進めてきた建設会社の50年史がいよいよ完成し、刷り上がりを手にしたのだ。「本棚の肥やし」とも言われる社史のイメージとはほど遠い洗練された雰囲気で、実にカッコ良く、読みやすい冊子に仕上がった。刷り上がりを手にして、これほどニヤニヤしたのは久しぶりだ。

 それなりに仕事実績を積んでいくと、それなりに完成品がたまってくる。過去に携わった雑誌や書籍、PR冊子などなど、である。フリーになってからの刷り上がりは、そのまま営業材料になるから、捨てるわけにはいかない。さりとて、丸ごと残しておけばいくら押入があっても足らない。

 たまに必要に迫られて整理整頓をすると、「さて、どうしたものか」と思案してしまう。2冊あれば1冊はそのまま残し、もう1冊はバラして表紙と自分の執筆ページだけをファイリングしたりする。これが基本だが、なかには「もう、いいや」と捨ててしまうものも、ないではない。納得できる仕事だったか、愛着のある作品だったか。時間というフィルターを通って、その判断が固まってしまうのだ。

 だが、中には、刷り上がりを手にした瞬間から、できれば墓場まで持っていきたいと思える作品がある。今回の社史は、その一つになった。発注元の建設会社以下、一緒に仕事をさせてもらったメンバーにも恵まれた。心底、感謝したい気持ちだ。

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