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【No.135】 2004年5月27日号
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鋭利な言葉を垂れ流すテレビ局 イラクでの人質事件、そして今回の小泉首相の再訪朝に関する一連のテレビ報道で、とても気になることがありました。それは、当事者の生の肉声をそのまんま、延々と生中継するテレビ局の姿勢です。時には感情的にもなってしまう当事者たちの声を公共の電波に、何の加工もせずに垂れ流しする、そこに報道に携わる人間のいたわりのなさを強く感じてしまいます。 まず、イラク人質事件では、被害者家族の感情的な言葉がそのまま流された故に、多くの人々からバッシングが浴びせられました。今回の拉致被害者の例で言うと、再訪朝から戻ってきた小泉首相を能なし呼ばわりした被害者家族に、非難の声が集まったそうです。バッシングや非難に妥当性があるかどうかはともかく、少なくとも、あれだけ感情的な言葉を聞かされれば、人質家族や拉致被害者家族に対して「いくら何でも言い過ぎだ」「黙って引っ込んでろ」との感想を抱いてしまうのも無理はありません。 僕も一介の取材者として、社会的な問題を扱ったことは何度かありますが、被害者の声というのは概して感情的になるものです。自分たちの思いが受け入れられない、届くべきところに届かないというもどかしさを感じていれば感じているほど、言動は鋭利になります。「あのバカやろう」とか「死んじまえ」などなど……。 それをそのまま文字にするのは簡単です。センセーショナルだから、記事としては面白いかもしれない。でも、そんなことをしてしまえば、被害者の訴えが届くどころか、かえって反感を招いてしまう。物書きとしてそのことを熟知しているからこそ、文章にするときは、被害者の心証も汲んだ上で、読者にキチンと伝わる言葉に翻訳して書こうと努力する。それは、プロだからできることです。 でも、最近のテレビ報道は、明らかにプロの技を放棄しています。トゲのある言葉を素早く垂れ流しにするのが報道の役割などと勘違いしているのではないか。それが、被害者への逆風を招いてしまうことには、何の配慮もなく。 政治家やタレントさんならともかく、一般人には、自分の声が電波に乗ったときに、視聴者にどのように受け止められるか、広報上の作戦など立てようがありません。思いのたけをまくし立てるのが精一杯です。視聴者にも、そのあたりを割り引いて受け止めてほしいものです。 テレビはどんどん、センセーショナリズムに傾いています。どれだけギョッとさせ、チャンネルを釘付けにするかばかりを考えているのが最近のテレビ局。垂れ流しにされる情報のなかで、右から左へ聞き流していいところと、しっかり受け止めるべきところを選りわけるフィルターを、視聴者としてしっかり持っていたいものです。 |
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