1970年のお茶の間
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大きな顔をしてお茶の間にどんと座るテレビを、家族が一緒に楽しむ。これが当時の家庭内団らんの日常でした。カラーテレビは別項でも記したとおり高嶺の花で普及率は26.3%にとどまっていましたが、白黒テレビの普及率は90.2%に達しており、ほぼ一家に一台テレビがある時代だったと言えるでしょう。ビデオデッキは一部のマニアがオープンリールのデッキを持っていた程度ですから、リアルタイムで見るしか方法はなかったのです。 そんな時代を反映して、家族で楽しめる番組がたくさん編成されました。ドラマでは、後に視聴率50%台を記録する「ありがとう」や、後にアイドルを輩出する「時間ですよ」の最初のシリーズ、後に野菜シリーズ(?)が続く「だいこんの花」が始まります。ド根性・忍耐ものでは「細うで繁盛記」なども視聴者の涙腺を絞りました。大人向けでは60年代末期から始まった「ザ・ガードマン」「キイハンター」「プレイガール」が引き続きの高視聴率。青少年や子供向けはスポ根ものが大人気で、別項でふれるアニメ以外の実写ものでは「サインはV」「柔道一直線」が話題になりました。 スポーツ番組では野球の他、プロレス番組も人気で、ゴールデンタイムに5つの番組(日本プロレスで3本、国際プロレス、女子プロレス各1本)がありました。キックボクシングは、沢村忠のブームがピークを迎えています。ボーリング番組も登場していますが、本格化するのは翌1971年。ローラーゲームは一時間枠で放送されていました。 これらを除けば、ゴールデンタイムを中心に視聴者参加型のクイズ番組が乱立した年でした。下に、クイズ番組一覧を抜き出しましたが、僕が発見しただけで、その数18本。すべてが素人オンリーのクイズ番組ではないものの、今のように芸能人が回答者として参加する番組が少なかったのは確かです。視聴者がこぞって参加したのは、言うまでもなく賞金ねらいでした。コツコツ働いても家が買えるかどうかわからない、1ドル360円の時代に海外旅行に行けるかどうかもわからない、となれば一攫千金で夢の生活を……とせっせと応募はがきを出し、オーディションや選考会に挑んだのでした。 我が家で毎週のように見ていたのは「アップダウンクイズ」です。一問正解するごとにゴンドラが一段ずつ上がり、10段まで行けばゴール。時々2段階アップのチャンスがあり、不正解ならばふりだしに戻る……要はすごろくと同じ仕組みで、非常に単純でわかりやすいルールでした。今となっては何の工夫もない番組企画に見えますが、賞品が「夢のハワイ旅行」というだけで興奮できたわけです。そういえば、この6年ほど後、数回デートしただけで別れた彼女がこの番組に出演し、ハワイ旅行を射止めて驚いたことがありました。ただ、このころには、もはや「夢の」ハワイ旅行ではなくなっていた印象もあります。 ちなみに、この番組が放映された日曜日19時からの番組では、60年代後半に「ウルトラQ」や「ウルトラマン」などがありました。三世代家族の中でこれを見たいという主張は通らず、チャンネル争いにあっけなく敗れて、毎週のようにこのクイズを見るのが習慣になっていました。1970年当時、裏番組には「アタックNo.1」「柔道一直線」がありましたが、同じような理由で、これらの番組を見せてもらえなかった人たちも多かったのではないでしょうか。 さて、クイズ番組の話に戻しましょう。「夢のハワイ旅行」という賞品設定のうまさで人気を獲得した「アップダウンクイズ」でしたが、これに触発されて他局も次々とクイズ番組に趣向を凝らしていきます。ライバルが「夢のハワイ旅行」なのですから、これに勝つには高額の賞金や賞品しかありません。というわけで、賞金の多さを競うムードとなり、ついには「賞品=1000万円のマンション」を売り物にする「クイズ・キングにまかせろ」という番組も登場しました。 1000万円といえば、2001年の今放映されているクイズ番組の最高賞金とも同じレベル。物価は今の4〜5分の1程度と思われますから、相当な賞金です。当時の宝くじの一等賞金は500万円。一攫千金をねらううえで、いかに視聴者参加型クイズ番組の位置づけが高かったかがわかります。一人が獲得するものではないでしょうが「3000万円クイズ」なんてタイトルの番組もありました。 ヒートアップする一方の賞金争いに、待ったをかけたのは公正取引委員会です。あまりに射幸心を煽りすぎるという理由で注意が促され、前述の「クイズ・キングにまかせろ」はマンション1000万円分を12人で分ける(どうやって分けたかは不明)妥協案に落ち着きました。高額賞金(賞品)が売り物の番組としては痛手で、案の定、間もなく打ち切りになりました。 賞金がつり上がり、華美になったクイズ番組ですが、ショーアップの要素は少なく内容はシンプルでした。クイズが出題され、名も知れない素人が答えて正解の数を競っていく。ただそれだけのものが大半でした。それは、家族で見るテレビと、一人で見るテレビの大きな違いでもあるんではないか、と気づきました。 家族でクイズを見ていた時代は、お父さんも、お母さんも、おじいちゃんも、おばあちゃんも、ボクも、ワタシも、テレビの前で一緒に解答します。なかには家族が珍解答して笑いが起こる場合もあるでしょう。あるいはバッタバッタと解答していく出場者に感嘆の声をあげたり、あと一問で失敗した人には「残念やねー」「あほやなあ」などの声が飛びます。だけど、今はテレビの前でボケたりツッコミ入れたりする家族がいない。 そこで、リアクション芸人が必要になってくるわけですね。クイズ番組に限らず今のバラエティ番組には、リアクション芸人やその役割を担うタレントが必ず出ています。ドキュメント系の番組でも、わざわざ左下や右下の小さな別画面に「へえー」とか「わあっ」とリアクションする芸人やタレントの顔が挿入される。これって、要するに、昔の家族の役割なんですよね。テレビの前のお茶の間にコミュニティがあった時代は終わり、テレビの中で完成されたコミュニティをのぞき見するのが、今のテレビ。 そう考えると、芸能人同士が内輪で楽しんでいるような番組が多くなったのも、妙に頷けてしまうわけです。 ●DATA--1970年に放映されたクイズ番組 クイズEXPO70(日本テレビ、金曜日19時、30分) |
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当原稿執筆/2001年9月24日 当ホームページに掲載されている原稿の無許可転載・転用を禁止します。すべての内容は日本の著作権法及び国際条約によって保護を受けています。 Copyright 2001-05 tomoyasu tateno. All rights reserved. Never reproduce or republicate without written permission. |