1970年の消費者

 

1970年は、比較的温厚だった日本の主婦たちが声を上げ始めた年です。そのキッカケとなったのは、人工甘味料のチクロとカラーテレビの二重価格問題でした。少し、説明をしておきましょう。

「チクロ」は、今ではパソコンで日本語変換が効かない死語になりましたが、40代以上の方ならご存じでしょう。これは戦後重宝されたサッカリン、ズルチンなどに続いて普及した人工甘味料で、前年の1969年に発ガン性があるとの理由で使用禁止になり、本来であれば、チクロを使った食品は1970年初めには店頭から姿を消すはずでした。ところが、食品工業界で広く使われていた甘味料であり、砂糖よりも安価であったため、メーカーは大量製造していた缶詰製品を中心に、あの手この手で消費者を煙に巻こうとしました。成分表示の「チクロ」を化学名の「サイクラミン酸塩」に変えて知らん顔する会社、「チクロ」の文字を消して「全糖」と嘘の表示をする会社も続出し、家族の健康を守る立場から、主婦たちは怒りの声を上げたわけです。

カラーテレビの二重価格問題は、メーカー価格がまだ影響力をもっていた時代ならではの問題です。当時は白黒テレビからカラーテレビへの移行期で、テレビ番組の約半分はカラー放送に切り替わりつつありました。メーカーは、消費者の旺盛な購買意欲を背景にあくまでも強気の姿勢を貫き、カラーテレビのメーカー正価を10万円から下げようとしませんでした。ところが、アメリカ市場への輸出分は遙かに安い価格で送り出していることが判明し、また、安売り家電店の店頭でも正価があってないような安売り(およそ8万円台)が横行しはじめ、「一体、カラーテレビの正しい値段は何なのよ」と主婦たちは怒り、不買運動を始めて、これが全国に飛び火したわけです。

アメリカ市場では、不当なダンピング販売だとの指摘を受けて日本製品バッシングの走りとなりました。主婦たちの「カラーテレビなんて買ってあげない」運動はやがて小売店を動かし、メーカーや卸業者への在庫返品騒ぎに発展します。この合間を縫って11月、当時は主婦のいちばんの味方でもあったスーパーのダイエーが、今で言うPB商品として「BUBU」ブランドの13型カラーテレビを59800円で発売すると発表。これは家電販売の主導権が、メーカーから流通(小売店)へ移っていく象徴的な出来事にもなったのです。

チクロ、カラーテレビ以外にも、主婦たちを怒らせたものは数々ありました。その筆頭は物価高です。当時のインフレ状況については別項に譲りますが、いくら給料が上がっても、公共料金も食品も何もかも値上げ値上げの連続で、収支決算では帳消しになりました。百科事典の押し売りなど悪質化した訪販セールスも新聞紙上をにぎわせました。主婦たちの堪忍袋の緒は、切れるべくして切れたわけです。

ここで大きく時代をフカンしてみたいのですが、このころまでは、あくまでも「与える側=メーカーの論理」で市場は動いていたわけですね。おそらく、顧客満足なんて思想は一部の企業だけだったはず。消費者から文句を言われても、与える側はあくまでも自分たちの正当性を主張する、それでも文句を言ってくれば「あなた、頭がオカシイんじゃないの?」といった感じで対応されるのが関の山だったでしょう。そうとわかっているから、無名で無力な主婦たちは大会社のメーカーにたてつく勇気をもてなかった。勇気のある人は、せいぜい新聞の投書欄に投稿するのが精一杯だったと思います。

それが、堰を切ったように、主張を始めた。一人ひとりが声を上げただけでなく、横のつながりが強くなったのも特徴です。消費者団体による隠れチクロ製品の発掘調査や、カラーテレビの原価調査などは大きなインパクトでしたし、新聞もこれを積極的に取り上げました。「消費者パワー」という言葉も生まれました。

こうした世論に押された政府はようやく重い腰を上げて消費者行政の見直しにのりだし、商品テストや苦情処理の受け皿として、同年10月に国民生活センターを設置。これと前後して全都道府県に消費生活センターを設置していきます。おそらく当時社長を務めていた人々は「近頃の主婦は恐くなった、しょせん女子供の意見だと無視していると、とんでもないことになるぞ」と、ようやく気づき始めたんじゃないでしょうか。

●関連情報

「女房タブー集」という番組が成立していた時代

当時のテレビ番組欄を見ていて、いちばん違和感を感じたのは、日曜日の夜、プロ野球中継のない日にたまに放映されていた「女房タブー集」(TBSテレビ、22時30分〜)という30分番組です。毎回一つのテーマ(下にテーマ例あり)を取り上げ、若い主婦への戒めとした番組で、大まじめな感じだったのか、おもしろおかしく構成した情報バラエティだったのか、詳細はわかりませんが、亭主が女房に「この番組を見ておけよ」と間接的に教育的指導を行う番組であったのは確かでしょう。

注目したいのは、こういう番組が辛くも成立した時代だったということですね。視聴率がどの程度あったのか知りませんが、今なら主婦を中心とする女性視聴者から総スカンを食うのは明らかで、スポンサーなど、まずつかない。この番組は1970年の10月11日で終了しましたが、「亭主が女房を教育する番組」は、これが最後だったでしょう。多くの主婦はもはや、この番組をおとなしく見る人々ではなくなっていたのですから。

【主なテーマと放映月日】
●初心を忘れるな(3/1) ●外に働きに出たがるな(3/8) ●亭主の転勤につべこべいうな(3/15) ●ヌカミソ女房になるな(5/17) ●近所づきあいに深入りするな(5/31) ●亭主の看病を期待するな(6/14) ●亭主の尻をたたくな(6/28) ●亭主の親と別居したがるな(9/13) ●二人三脚を忘れるな(10/11)

●関連リンク

当時、先頭に立って消費者運動を繰り広げたのは、地婦連。そのホームページをリンクしておきましょう。
●全地婦連ホームページ(全国地域婦人団体連絡協議会) http://www.chifuren.gr.jp/

 

当原稿執筆/2001年9月5日、2005年2月25日加筆訂正
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