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【No.127】 2003年5月26日号
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しぶとく生きるということ ソニンという歌手(タレント)がいます。つんく♂ ファミリーの一員として、モーニング娘。の後藤真希の弟とユニットを組んだEE JUMPでデビュー。同ユニットはスキャンダル騒ぎで解散し、昨年8月にはソロデビューを果たしました。デビュー曲プロモーションのための話題作りとはいえ、在日朝鮮人であることをカミングアウトし、生まれ故郷の高知から韓国の「田舎の家」まで走り続けるという荒行を敢行。その模様が歌番組「うたばん」で流されました。 これを観ながら、時代は変わったなあ、とつくづく思いました。1980年前後あたりを境に、日本人は「しぶとく生きる」必要がなくなり、もし周囲にガムシャラな人間がいたとすれば、「ダサい」「クラい」の一言で片づけるようになりました。四畳半フォークを聴きながら人生に迷い悩むことよりも、明るくて爽やかであることが美徳とされる時代が長く続いてきたわけです。しかし、バブル崩壊に伴う平成不況が長引くうちに、人々の心の中に変化が生まれてきました。今では、悩んだり、あがいたり、遮二無二なることが、美学になり得ている。 彼女は、ハミ乳ルックあり、矢沢永吉をパクったマイクスタンドパフォーマンスありで、「何が何でも注目を浴びつつ芸能界で生き残ってやる」という、したたかさを感じさせます。仮に「開き直りのガムシャラなキャラ(キャラクター)」を与えられているのだとしても、そういうキャラが受け入れられる時代であることに変わりはありません。 今年、1960年をテーマにしたメルマガを発行していますが、当時の新聞縮刷版を読んでいて思わずうなってしまうのは、「何が何でも生き延びてやる」という逞しさが随所に見え隠れしているところです。教科書代を稼ぐために工場で働く小学生、繁華街でガムや花を売ってその日の食事にありつく少年少女、ダイエットなんて考えもせずに栄養十分で太った人間になることをめざしていた大人たち……時代背景が異なりますから「昔は良かった」なんて言うつもりはありませんが、そのしぶとさには、大いに学ぶモノがあるのではないでしょうか。 はからずも、最近ではネットで知り合った「赤の他人」どうしが、連れだって自殺をする事件が続いています。それぞれ、一人では抱えきれない重い問題があったのでしょう。僕自身、思春期の頃に自殺願望を抱いたことはあるので、彼ら・彼女らを責めることはできませんが、せっかくこの世に生を受けながら自ら死を選んでいくなんて悲しいですね。芽生え始めた「しぶとく生きてりゃいいさ」といった価値観が、もっと広がっていくことを祈るばかりです。 こんなことを考え始めたのは、出版不況のなかで、フリーランスとしてどれだけ「しぶとく生き残れるか」岐路に立っているな、と最近実感しているから。詳細は言いませんが、先日、某所に見ず知らずのフリーランスが集まり、ベストセラーを生み出すためのプロジェクトが始まりました。僕も企画を出し、朗報を待っているところですが、今回は「何が何でも、この世界で生き残ってやる」という意志を固めて企画を出しました。内容そのものは、のほほんとしたテーマではありますが。 生き続けて、飯にありつくことさえできれば、人生はある程度楽しいものになるはず。ライスワーク(飯を食うための手段)とライフワーク(やりたいこと)を使い分ける技量も必要でしょう。さて、あなたは「しぶとく生き」られますか? |
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