013(06/04/17)番茶でくつろぐような心地よさ

ブッダヘッド

タイトル「フィッシャーマンズ・ウーマン
Fisherman's Woman

エミリアナ・トリーニ(Emiliana Torrini)

http://www.emilianatorrini.com/ (海外の公式サイト)

 旅は楽しい。とくに海外旅行は、カルチャーショックを受けるような刺激に満ちあふれ、ワクワクさせられる。日本にまだ帰りたくないよお、などと後ろ髪を引かれつつも、予定通りに渋々飛行機に乗り、国内の空港に降り立つと、何だか現実に引き戻されたような虚脱感におそわれる。

 クタクタになりながら自宅に戻り、そこらへんに転がっていた食べ残しの饅頭などを見つけ、渋い番茶と一緒にいただいたりしていると、「あー、日本はいいなあ」「我が家はいいなあ」などと感じ、現(うつつ)の世界で生きていく力を取り戻す……。そんな経験は誰しも持っていると思う。

 喩えて言うならば、このアルバムは我が家で呑む番茶のような作品だ。何の刺激的なサウンドも歌声もないのだが、素顔に戻れる心地よさと、ほのぼの感にあふれていて、ゆったりとくつろげる感じがするのだ。こういう作品、ありそうで意外とないものだ。

 40年近く洋楽を聴いていると、たまに「ピン!」と来るアーティストと出会うことがある。世の中で知られていないアーティストであればあるほど、その出会いはとても愉快だ。今回紹介するエミリアナ・トリーニを知ったのは、たった1回だけ目にしたPV(プロモーションビデオ)だった。音楽専門チャネル「Music On! TV」で見ていた某番組の終了後に、ちょろっと流れただけだが、いわさきちひろ風に描いたムーミン村のようなアニメをバックに、ゆらーりとした歌声が心地よく溶け込んでいたのが印象的。咄嗟に「これ、いい!」と思い、アーティスト名をメモしたのが幸いで、僕の知る限り、PVが放送されたのはこの1回切り。後でわかったことだが、日本ではインディーズレーベルから出された作品なので、ヘビーローテーションされるはずもない。 

 試しに検索などしてみれば分かるが、このアーティスト、日本では現時点でほとんど知られていない。唯一、メジャーな形で彼女の歌声が流されたのは、映画「ロード・オブ・ザ・リング:二つの塔」の中だろう。この映画を観ていないので、どのようなシーンで使われたのか知る由もないが、サントラ盤では一番最後に「ゴラムの歌」というタイトルで収録されているので、たぶんエンディングテーマに使われたのではないかと思われる。

 ともあれ、日本では全くと言っていいほど無名なのだが、上記の公式サイトや「ICELANDiaブログ」を見れば分かるとおり、出身地のアイスランドでは、期待の女性シンガーとして注目の的となっている。今年1月に開催された「Icelandic Music Awards」では4部門にノミネートされ、そのうち「Female Singer of the Year(年間最優秀女性シンガー)」「Pop Album of the Year(年間最優秀ポップアルバム)」「Video of the Year(年間最優秀ビデオ)」の主要3部門を獲得したというのだから、その実力ぶりが窺い知れよう。

 人口がわずか30万人、国土の広さは日本の4分の1に過ぎない北欧の離れ小島で賞を獲ったから何なんだ、とも言えるが、アイスランド出身のミュージシャンには、あのビョーク、シガー・ロスなどがいる。言っちゃ何だが、世界の音楽市場では日本よりもずっとメジャーな存在なのだ。

 ライナーノーツによれば、エミリアナはアイスランドで94年にデビューしたという。ビョークが所属するレーベルにスカウトされて、99年に「Love in the Time of Science(国内盤未発売)」で世界市場デビュー。その後、5年ほどのブランクを経て完成したのが今回の「フィッシャーマンズ・ウーマン」ということになる。

 CDに刻印されたジャンル分けは「Electronica/Dance」になっているが、音的には全編アコースティック主体で、少し陰影のあるフォーク路線。ちょっぴりハスキー混じりの存在感のある声が、不思議な愛らしさでふわふわ漂う。ビョークほどにクセのある声ではないが、どこかしらビョークっぽい所を感じるのは、アイスランド出身というプロフィールを知ったせいだろうか。うっすらと霧がかかったような北欧の森林世界が似合う童話的な曲揃いだ。

 70年代にジョニ・ミッチェルとかローラ・ニーロなどを好み、最近のものならビョークもシガー・ロスも好き、という人なら、ツボにはまること請け合い。また、エンヤほどにあざといヒーリング系は好まない、という人にはピッタリの頃合いかもしれない。アメリカのアマゾンで検索すると、試聴もできる。

 薦めておいて最後にこんなことを言うのもナンだが、実はこのアルバム、国内盤を入手するのに相当苦労した。アマゾンでは今日現在「4〜6週間でお届け」と記されているが(ちなみに、アマゾンではアーティスト名が間違っており、音引きが間に入った、エミリアナ・トリーニで登録されている)、僕は2カ月待っても届かずに諦め、結局、オークションで手に入れている。オークションを好まない人なら、輸入盤の取り寄せが近道かもしれない。本当は、おまけの2枚目がついた国内盤が望ましいのだが……。

 この作品は、外出時の喧噪のなかでポータブルプレイヤーで聴くのではなく、自宅のステレオで聴いてこそ価値がわかる。そう、自宅でほっこり番茶をすするように、しみじみ愛聴していただければと思う。国内盤がたやすく入手できるよう、人気がブレークしてくれることを切に望みたい。