File No.21
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カム・トゥ・マイ・ガーデン
ミニー・リパートン

COME TO MY GARDEN (MINNIE RIPERTON)
1970年作品

「カム・トゥ・マイ・ガーデン」ジャケ写

 

“完璧な天使”と呼ばれたミニーのソロデビュー作、
ブレイク前のYouは、すでにLovingすべき存在だった。

 自主製作映画づくりに没頭していた大学時代末期、借金の返済に困るたびに、大阪ミナミのアメリカ村にあった「キングコング」という中古レコード店にレコードを売りに行った。以前にもふれた大阪のタウン誌「プレイガイド・ジャーナル」にいつも広告が出ていた中古レコード店である。最近知ったことだが、大阪で初めての中古レコード店として79年に開業したのだという。開店まもない時期から利用していた、ということになろうか。

 作品の善し悪しや希少価値の有無にはあんまり関係なく、保存状態のマシなレコードであれば、ほぼ無条件に500円で買い取ってくれる店で、10枚持って行ったら必ず5000円が手に入ると分かっていたから、安心して持って行けた。ただ、そうやって安易に手放してしまった作品のなかには、今になっても悔やまれる作品が少なくない。(とくに超B級アルバムのロック版「メサイア」などは、正式なアルバム名称もアーティスト名称も記録しておらず、音楽之友社が発行する古い「レコード総カタログ」にも載っていないのだから、手の施しようがない。)

 店で買い取ってもらった後は、「折角来たのだから」と、今度は買い手となって中古盤を漁りたくなってしまう。ある日、適当に並べられた中古盤の中から、気になる輸入盤作品を見つけ出した。英文字でMinnie Ripertonとアーティスト名が書かれた、貧相なジャケットデザインの作品である。

 「Minnie Riperton」は、あの名曲「ラヴィング・ユー」で知られるミニー・リパートンのことなのだろう。しかし、このアルバムジャケットは見たことないなあ……まだ無名時代の作品なのかなあ……。たぶん、二束三文の値段だったのだろうと思うが、僕はちょっとした冒険気分で、このアルバムを買うことにした。これが今回紹介する「カム・トゥ・マイ・ガーデン」との出会いである。

 ミニー・リパートンの代表曲「ラヴィング・ユー」が日本で広く一般的な人気を得たのは91年にレゲエ版のカバー曲が発表されてからのようだが、リアルタイムでシングルヒットした75年ごろから洋楽ファンの間ではよく知られた曲だった。小鳥のさえずりのような裏声のスキャットが美しい、永遠の名曲だ。

 かく言う僕も、75年のシングルヒットでミニー・リパートンの存在を知って好きになり、デビューアルバムと思い込んでいた74年作「パーフェクト・エンジェル」以降、75年「ミニーの楽園(Adventures in Paradise)」、77年「妖精の部屋(Stay in Love)」と発表されるたびに鑑賞していた。確か自分でアルバムを購入したのは「妖精の部屋」が初めてで、それまでの2作はエアチェックで録音したテープで楽しんでいたように思う。

 当時、洋楽をよく聴いていた人なら共感してもらえると思うが、ミニー・リパートンは「ラヴィング・ユー」のヒットで知られてはいたものの、簡単に言えば一発屋的な受け止め方がされていた。

 ミニー自身、2つめの大ヒットがないことにどの程度焦りを感じていたのかは知らないが、少なくとも77年「妖精の部屋」では過去のイメージを振り払うような流行のディスコ路線をとり、大胆にイメージチェンジ。「ラヴィング・ユー」のファンは失望したと思うが、実は、このアルバムが僕は大好きで、相当繰り返し聴いて楽しんだ。全体的なしつらえこそ、ダンサブルなディスコ路線だったが、そのなかでもミニーの個性は明確に輝きを放っていて、「そんじょそこらの、ディスコ路線の新人女性シンガーとは違うぞ」などと、一人、ほくそ笑んでいた。

 そんな時に冒頭の話、つまり中古レコード店での話につながるのである。74年の「パーフェクト・エンジェル」がデビュー盤だと思いこんでいたが、この「Come to my Garden」と題されたアルバムは、明らかに古そうだった。ジャケットデザインは、いかにもチープな感じのダサダサだし、彼女のヘアスタイルもブラックミュージックの始祖の時期を連想させた。米国輸入中古盤ならではの、大きな穴が無造作に空けられていて、「用済みレコード」のレッテルを貼られたみたいなトホホ感が漂っていた。しばし逡巡したあと、「まあ安いし、ダメ元で」と思って購入することにしたのだった。

 インターネットという情報の宝庫が当たり前のように感じられる世代の人なら想像もできないだろうが、当時は、アーティストに関するバイオグラフィやディスコグラフィ情報さえ、まともに入手できない時代である。中古レコード店で見つけた素性の分からないアルバムを購入しては痛い目に遭うという経験を経ながら、見る目と聞く耳を養わなければならない。

 当たりが出ればめっけもの。そんな気分で中古盤を買うのは、一つの冒険であり、密かな愉しみでもあった。そして自宅に持ち帰った「Come to my Garden」に針を落として、僕は「ああ、やっぱり失敗した」と落胆したのである。

 僕が期待したのは、「ラヴィング・ユー」に通じるような、ソウルミュージックの小品だったのだが、まるで期待とは違っていた。実に古めかしい大仰なミュージカル仕立てのようなアレンジ、覚えにくいメロディ、録音状態も悪いし、どうせ売れもしなかった下積み時代の駄作なんだろう……。

 結局、数回は聴いたが、間もなくこのアルバムは押し入れの奥底にしまわれ、永い眠りについて、何度目かの引っ越しの折に手放してしまった。それ以来30年間、ずっと記憶の彼方に消えていた。

 実は、この「隠れ名盤 世界遺産」で紹介しようと思っていたミニー・リパートンの作品は、ディスコ路線に転じた前述の「妖精の部屋」だった。CD化されたものの国内盤は在庫切れとなっており、高値を呼んでいるからだ。これも一度手放してしまっていたので再度入手、改めて聴き込み始めたのだが、どうも、当時の感激が味わえない。30年間の時代を経て、さすがに色あせてしまったようだ。

 情報収集の過程で、当時は駄作と思えた「カム・トゥ・マイ・ガーデン」がCD化されていることを知るのに時間はかからなかった。70年代当時は国内盤が出なかったと思うが、CDの時代になって、ミニー・リパートンの再評価もなされる気運のなかで、ようやくCDで国内盤が初披露されたのだろう。

 ひょっとして今聴き直してみたら、こちらの方が好きになるかも。そう思って入手してみたところ、大正解だった。彼女の作品は他のアルバムもあわせて聴き直してみたが、いちばん、時代に色あせない名盤だと思えたのが、30年ぶりに出会った70年作「カム・トゥ・マイ・ガーデン」になろうとは……。実に不思議な体験である。

 大仰なオーケストラやゴスペルテイストのバックボーカルが出しゃばる大仕掛けなアレンジだなという印象は当時と変わらないが、そんな濃いサウンドのなかで、しかし、ミニーの歌声は自由奔放に舞いを見せながら存在感をしっかり印象づけており、天使が空をふわふわ漂いながら歌い上げたような、夢見心地の作品である。これぞ、完璧な天使=パーフェクト・エンジェルを思わせる出来映えではないか。

 74年に彼女は、「ラヴィング・ユー」が収録されたアルバム「パーフェクト・エンジェル」でブレイクしたわけだが、もともと彼女を強くプッシュしたのはスティービー・ワンダーである。「パーフェクト・エンジェル」の製作では、自らの名前を伏せてまで参加したというから、相当な思い入れだ。おそらく、「パーフェクト・エンジェル」というアルバムタイトルも、スティービーの提案だったのだろうと思う。

 そして、スティービーがミニーの存在をしっかり記憶に留め、彼女のことを“完璧な天使”と感じたであろう作品が「カム・トゥ・マイ・ガーデン」だったのではないかと僕は想像している。その裏付けになるかどうかは分からないが、同作が発表された翌年、スティービーはバックコーラスに彼女を迎えている。「カム・トゥ・マイ・ガーデン」はセールス的には芳しくなかったはずだが、スティービーは彼女の天使の歌声にますます魅せられ、その魅力を存分に引き出すべく、アルバム「パーフェクト・エンジェル」および、これに収録された「ラヴィング・ユー」をプロデュースした……

 時代がたびたび前後して恐縮だが、ミニー・リパートン自身は1961年、14歳の若さで音楽界に身を投じたそうで、売れるまで長い時間を要している。この間、ジェムス、ロータリー・コネクションというコーラスグループの一員として活躍し、一度は別の名でソロデビュー(シングルのみだったようだ)したが、いずれもセールスは思うように上げられなかった。とはいえ、実力そのものは評価されており、自身の本名でようやくリリースしたデビューアルバムが、この70年作の「カム・トゥ・マイ・ガーデン」だった。満を持してのソロデビュー、ということになる。

 CD として再度入手してから認識したことだが、このアルバムでは後にアース・ウィンド&ファイアー(EW&F)を手がけるチャールズ・ステップニーがプロデュースを務めており、大半の楽曲も彼の作品だ。おまけにEW&Fのリーダーとなるモーリス・ホワイト、同じくEW&Fと関わりをもつラムゼイ・ルイスもバックに参加している。ミニーとEW&Fに細い糸があったとは意外な発見だった。彼らもスティービーと同様、ミニーの歌声に魅せられたであろう。

 「カム・トゥ・マイ・ガーデン」が製作されたのは、時期的にはEW&Fが結成される直前だったと思われる。EW&Fは70年代後半に入る頃に世間で大きな注目を集め、EW&F風のサウンドを伴ってデニース・ウィリアムス(今でもFMで時々オンエアされる名曲「フリー」で知られる)やエモーションズなどの女性アーティストが「EW&F関連株」として売り出されたが、結成直前に主要メンバーが参加し、EW&F風のサウンドとも言えないアレンジが施された「カム・トゥ・マイ・ガーデン」が関心を集めることはなかった。その点では、見事に歴史の隙間に埋もれた作品ということになる。

 ミニー・リパートンに関心のある方なら先刻ご承知の通り、彼女は「ラヴィング・ユー」のヒットを放ったあとに乳ガンに冒され、切除手術を受けて復活。時のカーター大統領から「勇気ある女性」と賞賛されたが、79年に「ミニーと出会ったら」を発表した直後、ガンの再発でこの世を去った。享年31歳の若さである。

 彼女は死後に発表されたアルバムを含め、全部で6作品を残した。内訳はGRTで1枚、EPICで3枚、そしてCAPITOLで2枚である。唯一の大ヒット曲「ラヴィング・ユー」が聴きたい人の大半は、おそらくベスト盤に手を伸ばすのだろうと思う。だが、複数ある国内盤のベスト盤いずれでも、GRT時代の「カム・トゥ・マイ・ガーデン」は選曲の対象となっていない。ここでも、見事なまでに歴史の隙間に埋もれてしまった。(輸入盤のベスト盤では収録対象になっているものもある)

 EW&Fの主要メンバーが参加し、スティービー・ワンダーが魅せられたと思われる「カム・トゥ・マイ・ガーデン」。完璧な天使と呼ぶのに一番ふさわしいと感じられる作品であり、彼女が残した6枚のアルバムの中で最高傑作だと太鼓判が押せるアルバムが、いちばんマイナーな存在として埋もれてしまった現実。これが何とも悲しく、「ミニー・リパートンを評価するなら、まず『カム・トゥ・マイ・ガーデン』を聴いてからにしてくれ」と声を大にして言いたい気持ちで、「隠れ名盤 世界遺産」に登録させていただくことにした。

今でも鑑賞に耐える ★★★★
歴史的な価値がある ★★★★
レアな貴重盤(入手が困難) ★★★

●この作品を手に入れるには……何度もCD化されているが、国内盤の新品は入手できなくなった。中古盤、輸入盤、ダウンロードなら比較的安価で購入は可能のようだ。



ミニー・リパートンについて、さらに情報収集するには

●Minnie Ripertonトリビュートサイト
http://www.minnieriperton.com/

●英語版Wikipedia
http://en.wikipedia.org/wiki/Minnie_Riperton

 
【世界遺産登録 09年10月12日】
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