File No.20
「隠れ名盤世界遺産」トップへ

5・4・3・2・1・0
フライング・キティ・バンド・フィーチュアリング小椋佳、星勝、安田裕美

5・4・3・2・1・0FLYING KITTY BAND featuring OGURA KEI,HOSHI KATZ and YASUDA HIROMI
1977年作品

「エマーソン・レイク&パーマー」ジャケ写

 

小椋佳人気を当て込んで作られた企画モノでありながら
星勝の名唱がキラリと光る極上のシティ・ポップス

 かつて、小椋佳が大きなブームを呼んだ時代がある。72年発売の「彷徨(さまよい)」がジワジワとロングセールスを記録しながら評判を広げ(232週間にわたってアルバムTOP100入りしたそうだ)、74年発売の「残された憧憬」もヒット、そして75年発売の「夢追い人」で初めてのオリコン1位(アルバムチャート)を記録。小椋佳は一躍、時の人となった。

 小椋の姿をひと目みたいというファンの声はいよいよ高まり、76年10月にはNHKホールで初めて大観衆の前でコンサートを行い、この模様はゴールデンタイムに放映された。テレビの視聴率も非常に高く、確か裏舞台を取材したドキュメンタリーも放映されたように記憶している。

 大きな関心が向けられたのは、その素顔が謎に包まれていたからだ。ちょうどこの頃、「テレビには一切出ない」と公言していたフォーク歌手は数々いたが(井上陽水、吉田拓郎、中島みゆき、などなど)、小椋の場合は“本業”はあくまでも銀行員であり、また根っからの上がり症なのか、人前で歌うのは乗り気ではない、という気分もあったろう。

 いよいよ覚悟を決めた、とでもいった感じでNHKホールの舞台に登場したのだが、観客やテレビカメラの視線を遮るようなサングラスをかけ、終始うつむき加減で歌いつつ、小刻みに震えて脂汗もかいている、そんな小椋の緊張ぶりは、視聴者にも痛いほど伝わってきた。歌い出しを間違って「すみません、もう一度」といったくだりや、最後のアンコールあたりで「もう、これで舞台を降ろさせてください」といったセリフを吐くところも、しっかり放映されていて、微笑ましくもあったものである。

 デビュー当時の大黒摩季やZARDが、徹底的にアーティストの素顔を隠す手法、いわばティーザー広告の手法を採り入れていた時、僕は「あ、小椋の二番煎じだな」と思ったことがある。もちろん小椋の場合は、前述のように戦略的にこの方法をとったわけではなく、結果的にティーザー効果を示したに過ぎないが、後年にこうした手法が「おいしい」と着目され、意図的に採り入れられたのであろうことは、ここに記しておきたいと思う。

 さて、デビューしてしばらくの間、小椋はあくまでもサラリーマン生活に軸足を置きつつ、プライベートでコツコツ曲作りにいそしんでいた。デモテープづくりを自宅で行ったのか、たまにスタジオでまとめて作ったのかは知らないが、いずれにしても、そうやって作られた楽曲がプロデューサーの手に渡り、後のお膳立てはすべてレコード会社サイドが行う、という方法だったと想像している。

 当時の小椋の世界観は、内気な少年や青年が経験するであろう青春時代ならではの思いを凝縮したもので、どこかしら切なく、もどかしく、しかし未来への希望もあって悶々としているといった感じで、同じような心根を持った僕などは、しっかり共感が得られた。そんな小椋桂ならではの世界観をうまく演出し、商業作品として完成に導いたのは、プロデューサーや編曲者、スタジオミュージシャンの面々である。

 先日スガシカオがFM番組に生出演して語っていたが、彼の場合は楽曲を作るだけでなく、アレンジや全体の曲構成、あるいはアルバム構成までプロデューサー的に構想し、ギターのみならずベースなど他の楽器も自分で弾いて多重録音しながら仕上げるそうである。こうなれば、頭から尻尾まで大半がスガシカオの世界で埋め尽くされる。一方、当時の小椋はこれとは真逆だったと思う。小椋オリジナルの楽曲が芯にありながらも、周囲を取り巻くプロフェッショナルも自分たちの色合いを存分に発揮し、いわばコラボ作品とでも言えるような作りになっていたのであろう、ということだ。

 そういう状況のなかで、今回紹介する「5・4・3・2・1・0」は作られた。アーティスト名のフライング・キティ・バンドは、このアルバムのために作られた、いわば企画モノのアーティスト名だ。当時所属していたキティ・レーベルのプロデューサー、多賀英典が言い出しっぺと想像しているが、宇宙旅行に憧れた少年の心を題材に1枚のアルバムに仕上げた作品である。帯には、星勝、安田裕美の名前も記されており、正式には「FLYING KITTY BAND featuring OGURA KEI,HOSHI KATZ and YASUDA HIROMI」がアーティスト名としてクレジットされている。

 とはいえ、乱暴に言えば、これは事実上、星勝(ほし・かつ)のアルバムと言ってもいいと僕は思っている。日本のロック史の幕開けを飾る元ザ・モップスのメンバーで、「残された憧憬」以降の小椋佳作品でサウンドクリエイターとして参加。洗練された編曲で小椋佳のナイーブな持ち味を引き出し、あの、NHKホールでのコンサートではバンドマスターを務めた人物である。まるで山小屋から出てきたような風貌の男で、件のコンサートでは控えめながら前に出て小椋佳とデュエットを披露していた。

 小椋佳がすべての歌詞を作っているが、作曲は半分以上が星勝で、ブレイク前の来生たかおも4曲の作曲で参加。全13曲の編曲はすべて星勝が手がけて出来上がったのがアルバム「5・4・3・2・1・0」である。当然、星勝がソロで歌う唄も少なからずあるのだが、これが無茶苦茶いいのだ。とくに「夢のペニー・キャンディーズ」は今でもシングルとして成り立つほどの佳曲だと思う。どうして、この路線で自身のアルバムを作らなかったのかと、未だに不思議でならない。

 このアルバムの希少価値は、参加ミュージシャンの豪華さにもある。英文字でクレジットされているのでよく分からない人もいるが、僕が知っている名前だけ挙げておこう。まず日本人では星勝や安田裕美はもちろん、高中正義、深町純、椎名和夫(元・ムーンライダーズ)、中西康晴(元・上田正樹&サウス・トゥ・サウス)など。そして海外からはデヴィッド・T・ウォーカー、ジム・ケルトナー、クラウス・ブアマン、デヴィッド・フォスター、パウリーニョ・ダ・コスタ、トム・スコットなどなど。

 見る人が見たらこれで分かるように、バックのサウンドはフュージョン風味の都会派シティポップスである。もちろん小椋佳のソロ作「夢追い人」でも、確かこれに相当するほどの豪華な面々が参加していたと記憶しているが、大ヒットが確実な小椋佳名義のアルバムではない作品では、異例ともいえる顔ぶれだ。

 ここで想像を逞しくしてしまえば、少々意地悪な言い方になるけれど、この作品は小椋の爆発的な人気を当て込んで、どちらかといえば周囲の人間がイニシアチブを取りながら盛り上がりつつ仕立て上げた作品、とでも言えるのではないか。

 星勝は、小椋佳のアルバム「残された憧憬」や「夢追い人」でサウンドクリエイターとして類い希な才能を発揮しており、それ以前には井上陽水のアルバムでも同様の活躍をしていた。そんな星勝へのご褒美も意識しながら、アルバムもあれこれ売れて収益も上がっていることだし、ここはひとつ、「夢見がちな少年の心を凝縮した、これまでにない極上のポップス作品を作ってみよう。お金に糸目はつけないから、好き放題にやってみてくれ」などと、多賀英典さんからの大盤振る舞いがあったのではないか、というのが僕の想像だ。

 まあ、裏事情がどうであったかはともかく、結果的に「5・4・3・2・1・0」が極めて特異な名盤に仕上がったことは確かだ。残念なことに、多賀英典は後にキティグループから離れ、レコード会社はユニバーサルに吸収されてしまった。星勝や安田裕美は寡黙な仕事人として裏方に徹しているようだし、小椋佳に、このアルバムに対する特別な思い入れがあるとは、あまり思えない。いわば当事者の語り部が不在のなかで、このアルバムは宙ぶらりんな状態になっており、94年以降は一度もCD化されていない。そこで、これを「隠れ名盤 世界遺産」に指定し、微力ながら語り部にならんと決意した次第である。

 ちなみに、このアルバムのなかでは、子供たちへのインタビュー音声が時折登場してくる。「ねえねえ、大きくなったら何がやりたい?」「僕は絵描きになって、落書き屋をする」「僕だったら宇宙旅行!」などといったやりとりが記録されている。これを聴いた当時は「せっかくの音楽を邪魔しているなあ」とか、「江戸っ子の子どもたちの語り口がハナにつくなあ」などと思ったものだが、30年過ぎたいま聴き直してみると、校庭に埋めたタイムカプセルみたく、とても面白い試みだったように思える。

 クレジットによれば「台東区竹町小学校2年1組の皆さん」が出演者で、ひょっとしたら小椋佳の出身校かもしれない。改めて調べてみると、この小学校は統合されて別名になっているが、校歌は何と、小椋佳の作品のようだ(今は小学校のHPでクレジットが消されているが、以前は記されていた)。前出の想像をさらに逞しくさせてしまえば、校歌を作ったのが縁で生まれた企画だったのかも、とも思える。

 ここで登場した子供たちは、今では40歳に近い年齢。夢見る頃はすっかり過ぎて、当時の自分と同い年くらいの子供さんがいると思われ、CDが入手できれば子供に自慢できるのに、などと思っている人もいるのかもしれない。ところで、このインタビュー音声のなかで「海底都市に行きたい」と答え、級友から「10mも泳げないくせに」と言われた秋山クンは、その後、泳げるようになったのだろうか。このアルバムを聴き直すたびに、そんな思いがよぎるのだった。

今でも鑑賞に耐える ★★★★
歴史的な価値がある ★★★★
レアな貴重盤(入手が困難) ★★★★★

●この作品を手に入れるには……94年に一度CD化されたが、新品在庫はなく中古CDは高値となっている。ただアナログ盤はそれなりに売れたので、意外な二束三文で入手ができる可能性がある。

●10/8/24追記……10年1月20日に再発売。



小椋佳について、さらに情報収集するには

●小椋佳公式サイト
http://www.gfe.co.jp/ogla/

星勝について、さらに情報収集するには

●Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=星勝&oldid=19632332

 
【世界遺産登録 08年06月02日】
当ホームページに掲載されている原稿の無許可転載・転用を禁止します。すべての内容は日本の著作権法及び国際条約によって保護を受けています。
Copyright 2005-8 tomoyasu tateno. All rights reserved. Never reproduce or republicate without written permission.
「onfield」トップへ