File No.18
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ぼちぼちいこか
上田正樹と有山淳司

BOCHI BOCHI IKOKA (UEDA MASAKI TO ARIYAMA JUNJI)
1975年作品

 

大阪が大阪だった最後の時代に遺された歴史的珍盤
ゆるーい浪速ブルースを聴きなはれ!

 大阪という地名から連想する言葉に、何があるだろう。今なら、吉本新喜劇(吉本興業)、お好み焼き(またはたこ焼き)、阪神タイガースあたりがベスト3だろうか。

 ちなみに、正確に言うと阪神タイガースの本拠地がある甲子園球場は、大阪府ではなく兵庫県である。梅田(大阪)と三宮(神戸)の、ちょうど真ん中あたりに位置する西宮市にあり、このあたりに土地勘がある僕としては、どちらかというと神戸文化圏の端っこという感覚である。もちろん、人によって大阪文化圏の端っこだ、との主張もあるだろうが。

 さて。話題にしたいのは、大阪のアイデンティティの変遷である。

 時代を70年代に戻すと、先のベスト3は足下がかなり揺らぐ。吉本新喜劇は確かに当時から地元では庶民的な人気を誇っていたが、今ほどの威光は放っておらず、所詮はローカルな芸人集団の1つに過ぎなかった。全国的には、どちらかといえば吉本新喜劇と覇権を争った松竹新喜劇の方が有名だったかもしれない。少なくとも東京でのテレビ放映量は、当時の新聞テレビ欄を見る限り、明らかに松竹新喜劇がリードしていた。

 お好み焼きやたこ焼きも、今ほど関心は持たれてはいなかったと思う。大阪らしい食べ物として当時アンケート調査していれば、同じ“粉モン”の、きつねうどんの方が上位だったかもしれない。またプロ野球球団でいえば、70年代前半に関西地区でもっとも観客動員を集めたのが阪神タイガースであったのは間違いないが、巨人戦を除けばどうだったのか。むしろファンの熱さで言えば、南海ホークスもひけをとらなかったように思う。

 現代のベスト3(吉本・お好み焼きorたこ焼き・阪神タイガース)が過去のそれと決定的に違っていたのは、伝播した地域の広さである。

 例えば吉本は、良くも悪くも、日本のお笑いのグローバルスタンダードと化してしまった。たまに関西に帰ると、大阪ローカルの番組でしかお目にかかれない芸人も少しは発見できるが、大半は東京のキー局でも頻繁に登場している。

 お好み焼きやタコ焼きにしても、本場の味との違いは少しばかりあるにせよ、まあ、どこでも食べられるメニューになった。ちなみに、東京の競馬場かオートレース場で「大阪焼き」なる食い物を見つけてショックを受けたことがある。お好み焼きを今川焼き形状に焼き上げたもので、あんなものは所詮、関西風のエキゾチシズムを採り入れた東京名物に過ぎない。もう一つちなみに、京風ラーメン、というのもかなり怪しい。学生時代を京都で少し過ごした経験に基づけば、どちらかといえばドロドロの臭いラーメンが京都では主役だった、という印象である。

 阪神タイガースのファンも、今では全国に広がった。東京ドームでの巨人・阪神戦では、阪神ファンの方がむしろ威勢がいい。平日の朝から中村鋭一が「六甲おろし」を気持ちよさそうに歌い始めた最初の時代を知っている僕としては、まさか、全国区の認知を得る歌になるとは、想像もできなかった。

 かつては、大阪やその周辺部にいないと味わえない大阪文化というものが、辛くもあったように思う。知る人ぞ知るタウン誌「プレイガイド・ジャーナル」が、神戸発のオシャレなタウン誌「エルマガジン」や、「ぴあ関西版」の侵攻を受ける前の時代……たぶん、70年代末期がその分岐点だったように思う。

 「プガジャ」の略称で親しまれた同誌は手元に一冊も残っていないが、記憶を頼りにすれば、同誌は地元の若者情報の発信に徹底的に特化していて、演劇、音楽、映画、マンガ、美術、いずれをとっても東京発のアーティストが正面から取り上げられることはなかった。一部の編集者は地元一般人に知られていて、例えば梅田の阪急ファイブにあった小さな芝居小屋「オレンジルーム」では、リュックを背負ったゲイっぽい演劇担当編集者の姿がよく見かけられ、観客との情報交換を楽しんでいた。たぶん、古田新太さんや羽野晶紀さんあたりも、よく記憶されていると思う。

 演劇のみならず、音楽も「大阪では超有名」なミュージシャンが頻繁に取り上げられていた。ウエストロードブルースバンド、北京一とソーバッドレビュー、大上瑠璃子率いるスターキングデリシャス、憂歌団、そして上田正樹&サウス・トゥ・サウスなどである。当時は万博公園で「8.8Rockday」という野外フェスが開かれていて、関西以外の出身バンドが出演すると「よそモンが荒らしに来よった」などと見られた時代である。

 なかでも70年代半ばの、大阪における上田正樹の位置づけは、他地域の人や最近の若者が想像する以上に大きかったと言い切ることができる。とくに1975年は上田正樹イヤーと言っても差し支えはないほどの話題を集めた。後年に名盤として語り継がれる作品、すなわち、今回紹介する「ぼちぼちいこか」(上田正樹と有山淳司)と、ライブ盤「この熱い魂を伝えたいんや」(上田正樹&サウス・トゥ・サウス)が、いずれも75年のリリースだからだ。

 リリースの順番は上記の通りだが、どちらかといえばライブ盤の方が正統派の上田正樹、前者の方は冗談半分で出した色物的作品といったイメージで、ミュージシャンとしての上田正樹が取り上げられるのは、圧倒的に、ライブ盤の方が中心だった。僕自身もこの作品には相当感銘を受け、何度も何度も繰り返し楽しませてもらった覚えがある。ソウルあるいはリズム&ブルースへの入門編として果たした役割はとてつもなく大きい。

 ただ、後年、オーティス・レディングやレイ・チャールスの伝説的なライブ盤などに巡り会うと、やっぱり本家の方が上だよなあ、などと思うのが正直なところだ。これとは対照的に、30年以上の歳月を経て、当時以上に評価したくなるのが「ぼちぼちいこか」である。どこの国の誰にも作れない、圧倒的にオリジナルな浪速ブルースが、当時の大阪ミナミの音風景とともに刻まれているからだ。

 いま改めて聴き直してみて驚かされるのは、放送できそうにない楽曲がいくつかあって、よくもまあ、これが商業的な作品としてリリースされたよなあ、ということだ。たぶん本歌のライブではもっと“えげつない”歌詞もあって、これでもレコード用にセーブした部分があったのではないかと想像したくなる。色物的な作品でありながら、時代を超越した普遍的な庶民派ブルースとして楽しい仕上がりになっており、たぶんこの先何年経っても、いや時代を経れば経るほど、歴史的な価値も含めていや増すのではないかと思う。

 冒頭で挙げたような「大阪的なもの」が全国的に波及し、大衆化し、消費されているいま、決してすり減ることのないディープな「大阪的なもの」が記録された「ぼちぼちいこか」は、国宝級の貴重な作品である。

 お好み焼き味のスナック菓子や、たこ焼き状の携帯ストラップなどを購入する金があるなら、このCDを聞く方が、よっぽどリアルな大阪が記録されている。だから本来であれば「大阪土産に、これを買え」と言いたいところだ。だが94年、99年と再発されたCDはもちろん、07年に紙ジャケ化されたCDも新品は品切れである。そこで、これを「隠れ名盤 世界遺産」に登録するものである。

 ちなみに、最後に残った大阪(関西)ローカルの文化と言えば、新大阪駅での長蛇の列がおなじみとなった「蓬莱」しかないかもしれない。蓬莱の関東進出を望む声は大きいだろうが、これは地雷に等しい。蓬莱の名物「豚まん」が東京のデパ地下なんぞに進出したその日、水際は崩れ、大阪(関西)カルチャーは過去の遺物となろう。

今でも鑑賞に耐える ★★★★
歴史的な価値がある ★★★★★
レアな貴重盤(入手が困難) ★★★★

●この作品を手に入れるには……何度もCD化されたが、新品は在庫切れ。中古レコード店かオークションなら手に入れやすいが、1万円超えの高値がつき始めている。ダウンロード購入でもよければ入手は可能のようだが。

●09/10/12追記……07年9月の紙ジャケCDが再び入手可能になっている。



上田正樹について、さらに情報収集するには

●上田正樹公式サイト
http://masakiueda.syncl.jp/

●上田正樹と有山淳司 / ぼちぼちいこか of Kirakuin Music Review
( 「ぼちぼちいこか」に関する正統派のレビューページ)
http://members.jcom.home.ne.jp/kirakuin/music/files/file011.htm

 
【世界遺産登録 08年05月27日】
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