File No.10
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私が生まれた日
(山崎ハコ)

WATASHIGA UMARETA HI(YAMASAKI HAKO)
1995年作品

「私が生まれた日」ジャケ写

 

注目を浴びた70年代の作品をも凌ぐ、これぞ本当の代表作。
あのハコが吹っ切れたように、伸び伸び歌う。

 山崎ハコについて、語らせて欲しい。彼女がデビューしてからこの方、30年間ファンを続けている。デビュー直後に、「カレーライス」で有名な遠藤賢司の前座として登場した大阪でのライブから、ごく最近の東京のライブハウスでの公演まで、おそらく10回程度は間近でライブを見ただろうか。単独のアーティストでは、ダントツに多い。

 表面的には静かな佇まいを見せつつ、内なるところに熱い血潮を感じさせる巫女さん系のアーティストに、僕はどうも弱いところがある。最近でいえばデビュー当時の鬼束ちひろUACocco、海外ではビヨークなど。そして、山崎ハコである。ただのネクラ系に見えるかもしれないが、僕から見れば「巫女さん系」のツボにはまる人々だ。鬼束が魔界の巫女さんなら、UAはジャングルの巫女さん、Coccoは珊瑚礁から生まれた巫女さん、ビヨークは霧に包まれた北欧の樹海から飛び出てきた巫女さん。ハコは、渋い木造民家にひっそり住まう巫女さんといったところだろうか。

 このなかでも、僕にとって一番身近な巫女さんが山崎ハコだった。生まれた年は同じ1957年。1つ上の世代が学生運動やビートルズに熱狂していたのとは対照的に、シラケ世代というレッテルを貼られて青春時代を過ごした。将来に対する言いようのない不安、日常の中で居場所を見つけられない苦しみ、異性に対する胸が張り裂けそうな感情、そしてありとあらゆる答えの見えない自問自答など、思春期特有の内省的で悶々とした思いを、山崎ハコ飾り気のない普通の言葉で歌詞にしたため、メロディにのせた。

 同じ苦しみを持つ人の告白を聴くことで、世の中には仲間がいるんだという安心感が得られた。そして、こんなにもか細い身体で必死にギターを弾き、喉をふり絞るように歌いながら、前向きに生きていこうともがいている彼女の姿に勇気づけられた部分も大いにある。いま冷静に振りかえれば、山崎ハコの楽曲を聴くことは、僕にとって擬似的なグループセラピーだったのかもしれない。

 グループセラピーに参加した人が、心を揺り動かされ、堰を切ったように涙を流すのと同様、彼女の歌には何度泣かされたか知れない。一番最近、聞きに行ったライブでも、当時の気持ちを思い出し、はからずも涙が頬を伝ってきた。こんな中年男を泣かせるとは、罪な歌手である。おそらく、思春期の頃に尾崎豊の歌に出会った人も、共通した体験をお持ちだろうと思う。

 少し歴史を辿ってみたい。山崎ハコのデビューは1975年。弱冠18歳だったが、遅れてデビューしたフォーク歌手と言われた。いわゆる四畳半フォークが飽きられ、オシャレなニューミュージックの軽やかさに人々の関心が移った時代である。

 そのなかで、ハコが醸し出す世界観は、同世代の若者に熱烈に歓迎された。いかにも身体が弱そうで、ギターが大きく見えるほどの華奢な体つきは、とくに男性ファンの「俺が応援してやるからなっ」という気持ちを掻き立てた。コンサート会場では、すすり泣きを始めるファンも少なくなかった。会場はいつも不思議な一体感に包まれ、マスコミは山崎ハコのファンを「ハコ信者」とも呼んだ。

 童話「鶴の恩返し」に登場してくる鶴が、自らの羽根を抜いて機を織ったように、山崎ハコは自分自身の羽根を抜いて多くの楽曲を作ってくれた。自分が体験してきた喜怒哀楽を、そのまま切り取って歌に昇華したのだ。少なくともファンには、そう見えていた。だが、こうした曲作りは、残念ながら長続きしないのが世の常だ。人間は成長するし、齢を重ねるごとに逞しくなり、生きていく術を見つけだしていく。いつまでも、思春期の悩みや苦しみと付き合っていくわけにはいかない。

 デビューから4、5年がたち、70年代が終わりに近づいてきた頃には、山崎ハコは、このような転機を迎えたと思う。プロの歌い手として、もっと表現の幅を広げなければという気持ちもあっただろう。故郷の民謡や他人の楽曲を歌ったり、明るい印象の曲を作ったり、あるいは「ハコはネクラ」という世評を逆手にとって暗さの極地ともいえる曲も作った。だが、山崎ハコの変化をファンは敏感に察知した。そう、「いもむし、ごろごろ」を歌い始めた矢野顕子をファンが遠い目で見始めたように……。ハコだけでなく、ファン自身が変化したのも確かだ。大人として社会に出て一人歩きを始め、ハコ信者を卒業していったのである。かく言う僕もその一人だった。

 マスメディアで彼女のことを伝える記事は見られなくなり、ラジオでも曲がかからなくなった。毎回買い続けてきたレコードは、やがて押入の段ボールの中に入ったままになった。後から知ったことだが、昭和末期から平成元年(1989年)、ちょうどバブル景気で沸き立っていた頃には、歌手活動を休止していた時期があるようだ。後に雑誌「AERA」の「現代の肖像」で、デビュー当時の所属事務所社長に騙されたこと、飲食店でアルバイトをして暮らしていたことなど、ファンとしてはショッキングな告白を目にしたが、おそらく、この頃のことだろう。

 だが、山崎ハコは戻ってきた。1990年(平成2年)頃、歌手活動と役者活動の2本立てで活動を再開したのである。この後、1996年まで8枚の新作アルバム(カバーアルバムや唱歌・童謡集を含む)を発表しているが、この中でもピカイチの出来映えと言えるのが、今回紹介する「私が生まれた日」(95年作品)だ。

 このアルバムで、山崎ハコは38歳になった自分と真正面から向き合い、再び自分のことを歌っている。手法は70年代後半の全盛期と同じだが、自らの羽根をむしり取りながら機を織るような痛々しさは消え、一人の大人の女性として、自分を産んでくれた母に感謝し、大切な人と過ごす時間を愛おしく思う気持ちが綴られている。人生、生きてりゃいいこともある。まんざら捨てたもんじゃないよね、とでも言いたげだ。

 思春期の頃には、あんなに将来を悲観したり、疎外感を感じたり、いいようのない不安に襲われていたのに、38年という歳月は、人を逞しく成長させている。過大な希望や浮ついた夢が消えた分、日常生活の中でのささやかな幸せに心をときめかせる愉しみも覚えた。そんな、等身大のハコの姿が見えてくる。何もかもふっきれたように人生を肯定し、のびのびと歌っているところが最大の魅力だ。

 このアルバムと出会ったとき、僕はようやく山崎ハコの復帰を心から喜べる心境になった。というのも、復帰後の92年頃、自分の曲はそこそこに、ブルースのスタンダードナンバーなど他人の楽曲を好んで歌うハコのステージを見、「もう、ファンはやめよう」などと思ったことがあるからだ。

 94年に、往年の歌謡曲をカバーしたアルバム「十八番」(J-POP界のカバーブームの先駆けとなった作品)をリリースし、「第37回日本レコード大賞 アルバム企画賞」受賞という朗報もあったが、素直には喜べなかった。僕たちは、Jジョップリンの曲を聴きたいわけじゃないし、往年の歌謡曲が聴きたいわけでもない。「今の、あなたの生きている姿を見たいのです」と伝えたい気持ちだった。それが、「私が生まれた日」で実現したのだ。

 「私が生まれた日」を発表した後、山崎ハコはようやく自分のペースで音楽活動を続ける術を見いだしたように思う。圧巻は、自ら交渉に出かけて出演が決まった、今は無きジァンジァンでの初公演(98年)。少女時代の初期の曲から新曲まで、自分のギター一本で熱唱し、大喝采を浴びたこの公演は、僕の知る限り、最高のステージだった。マイク無しで踊るように歌ったアンコールには身震いがした。地味ながら歌手活動を黙々と続けてきた、23年間の集大成と称しても差し支えない。

 多くのフォーク系アーティストがそうであるように、一部の大ヒットアルバムを除いて、旧盤はほとんど中古品を探すしか入手の方法がない。ましてや、全盛期を過ぎてからのCDアルバムともなれば、中古市場に出回っている数も少なく、高値で取り引きされているのが現状。この「私が生まれた日」も同様だ。かつてのハコ信者ならば、是が非でも入手して聴いていただきたいが、それが叶わないのは極めて残念。そこで、「隠れ名盤 世界遺産」に登録し、名作の誉れを後生に語り継ぐものである

 ちなみに、山崎ハコは2001年に、ニューミュージック界の名ギタリストで、キティレコードでの活躍も印象深い安田裕美と結婚している。安田裕美は、ハコのデビューアルバムで、竹中尚人(Char)や村上ポンタ秀一、吉川忠英らとともに演奏に参加しており、四半世紀前から旧知の仲だ。どういう経緯で一緒になったのか、長い春だったのかなど興味はあるが、詮索はやめておこう。

今でも鑑賞に耐える ★★★★
歴史的な価値がある ★★★
レアな貴重盤(入手が困難) ★★★★★

●この作品を手に入れるには……CDの時代に入ってから発表された作品のため、アナログLPは存在しない。在庫が切れた以上、中古市場に頼るしかないだろう。アマゾンでは高値で入手可能。オークションでも、たまに出品されている。



山崎ハコについて、さらに情報収集するには

●公認サイト http://www31.ocn.ne.jp/~hako/

●シンプルなディスコグラフィー http://yamaoji.hp.infoseek.co.jp/k_hako_disc.html

 
【世界遺産登録 05年11月29日】
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