File No.09
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ア・ニッケル・アンド・ア・ネイル・アンド・ザ・エイス・オブ・スペード
O.V.ライト

A NICKEL AND A NAIL AND THE ACE OF SPADES (O.V.WRIGHT)
1972年作品

「ア・ニッケル…」ジャケ写

 

サザン・ソウルの名シンガーが残した極上の高音シャウト。
泥臭くて、汗臭くて、塩っ辛くて、あっついぜ!

 サザン・ソウル(ディープ・ソウル)の作品が絶滅の危機である。数年前、アマゾンで主だったアーティストを検索したときは、最低限のオリジナルアルバムが発売されていたような覚えがあるが、いつの間にか在庫切れのオンパレード。もしくは作品名すら出てこない有り様である。本国、USのアマゾンでも似たような状況なのだから、さらに驚いた。

 まずは、サザン・ソウル……いや、ソウル・ミュージックの説明からしなければならないのかもしれない。古くまで遡り出せばキリがないが、簡単に言えば、ソウルは教会音楽としてのゴスペルやブルースをルーツに持つ、ボーカルを中心とした黒人大衆音楽の1ジャンルである。60年代までは主にリズム&ブルース(R&B)と呼ばれていたが、70年代に入り、「R&B」は「ソウル」と言い換えるのが一般的となった。

 このあたりの事情に詳しい音楽評論家・鈴木啓志さんの説によれば、ジャンルの呼び名の変遷は、USの代表的なチャート誌「ビルボード」のカテゴリ分けに依るところが大きく、同誌では69年8月23日号から「R&Bチャート」を「ソウル・チャート」に改めたという。「ソウル」は、魂(=soul)を揺さぶるような音楽を意味する。人種差別撤廃を訴える公民権運動の一応の勝利を背景にしたジャンル名でもあろう。その後70年代半ばにはソウルから派生したディスコ・ミュージックが全盛となり、ソウル・チャートを席巻し始めた。ディスコは白人アーティストによる作品も多く、「ソウル」の意味がぼやけてきたため、82年には「ブラック・チャート」に変更。さらに90年には結局、「R&Bチャート」に戻っている。
●参考資料/『新版 R&B、ソウルの世界』(鈴木啓志著、ミュージック・マガジン刊)

 平たく言えば、「ソウル」は「R&B」と同義語で、70年代を中心とする一時期の呼称ということになる。さて、ソウルミュージックの発信基地には大きく2つの地域があった。1つはデトロイトやシカゴあたりを中心とするノーザン・ソウル、そしてメンフィスを中心とするサザン・ソウルである。

 前者の代表格には、60年代後半に多くのヒット曲を生み出した「モータウン」レーベルがあり、ダイアナ・ロスが在籍していたシュープリームス、テンプテーションズ、マイケル・ジャクソンが在籍していたジャクソン5などが有名だ。ジェームス・ブラウンやスティービーワンダー、カーティス・メイフィールド、マービン・ゲイといったあたりもノーザン・ソウル系で、70年代半ばから花開いたフィラデルフィア・ソウルやファンク、80年代末期からNYで登場するヒップホップも、ノーザンの系譜に入る。

 白人が好むコンテンポラリーな曲や、ダンサブルでキャッチーな曲も多く、どちらかといえばメジャーシーンを形成していたノーザン・ソウルに比べ、ひたすら日陰の存在だったのが、後者のサザン・ソウルである。メンフィスが中心地であったことでも明らかなようにブルースの色彩を色濃く残しており、日本で言えば泥臭くも田舎臭いド演歌といったところだろうか。比較的名が知られているミュージシャンにはオーティス・レディングやサム・クックがあるが、前者のそれと比べると地味な印象は拭えない。ソウルの中でも最も黒人っぽく、心の内面深くを唄った曲が多いからなのか、サザン・ソウルはディープ・ソウルとも呼ばれている。

 説明が随分長くなってしまった。アメリカの北部と南部の文化の違いなど、中学生の頃から日本で洋楽を聴いていた僕にはよくわからなかったが、後から思えば、かなり早い時期からディープで泥臭いソウルに心を揺さぶられる思いがしていた。その契機はジョー・テックスの「アイ・ガッチャ」かもしれないし、ドラマティックスの「イン・ザ・レイン」やステイプル・シンガーズの「アイル・テイク・ユー・ゼア」(3曲とも72年のヒット曲)かもしれないが、同じソウル・ミュージックの中でも都会風のモノと田舎臭いモノがあるのだな、ということくらいは感じていた。当時は「スタックス」レーベルのミュージシャンに心引かれ、少なくとも関西方面ではロードショー公開されなかった映画「ワッツタックス」をサントラ盤で聴いたりもしていた。

 間もなくスタイリスティックスやスリー・ディグリーズのようなソフトでポップなコーラスグループが人気になり、やれバンプだ、ハッスルだ、と新しいダンスの流行とともにディスコミュージックにも魅せられ、バリー・ホワイトのようなメロウなバラードも好むなど、どちらかといえば安直な方向へ(苦笑)嗜好は流れていたのだが、そこでガツンと頭を殴られるような思いがしたのが、日本でようやく本格的に紹介され始めたサザン・ソウルである。その契機となったのが、今回紹介するO.V.ライトだった。

 それまでも日本で発売されていた可能性は否定できないが、メジャーな形でO.V.ライトのアルバムが日本で発売されたのは「イントゥ・サムシング」(77年作品)が最初だったと思う。当時の日本の洋楽シーンはといえば、イーグルスの「ホテルカリフォルニア」やABBAの「ダンシングクイーン」、クイーン、キッス、ベイ・シティ・ローラーズとその仲間たち(苦笑)などの軽快な曲がよく売れており、ソウル関連ではディスコものが人気を集めていた。そんな浮かれムードのなかで初めて聴いたO.V.ライトはカルチャーショックにも似た衝撃があった。

 今にもひっくり返りそうなスリリングな高音シャウト、腹の底から絞り出すような魂の叫び。ねちっこくて、泥臭くて、汗臭くて、塩っ辛い。何だ、この音楽は。今まで好んで聴いていたソウルはソウルじゃなかったのか……。ディスコサウンドが心底好きになれなかった潜在的なソウルファンで、同じ思いを抱いた人も多かったらしく、「イントゥ・サムシング」は、ディープな作品としては異例のセールスを記録、翌78年には早速、来日公演が決まったのだった。

 日本では好まれないと思われていたサザン・ソウルが売れたことで、これを契機に、日の目を見なかった実力者が次々と紹介された。ジェイムス・カー(James Carr)やオーティス・クレイ(Otis Clay)といった面々である。とくにJカーについては、マニアの間で数万円で取り引きされていた、いわくつきの作品が世に出ることになった。Oクレイは、O.V.ライトのフォロワーみたいな形で紹介され、78年に来日するはずがキャンセルとなったO.V.ライトの代役で来日。日本で人気がブレイクした。ちなみに僕は、Oクレイの大阪公演のチケットを買ったものの、あまりの金欠でチケットを手放してしまったことが悔やまれる。

 さて、ホンモノのソウルを求めて、日本ではこれら実力派のシンガーに人気は集まったが、どうやら本国ではあくまでもローカルな人気にとどまり、爆発的に売れたわけではなかったようだ。Oクレイは比較的活発に音楽活動を続け、その後も何度か来日を果たしたようだが、Jカーに至っては、元々精神的に弱い部分を抱えていたのかライヴステージが苦手だったらしく、80年頃には音楽活動からしばらく遠ざかっている。O.V.ライトは79年にようやく待望の来日公演を果たしたものの、すでに体調は悪くなっており、1年後には41歳の若さで他界してしまった。そのような不幸が重なり、せっかく火がついたサザン・ソウルへの人々の関心も薄れていったのである。

 サザン・ソウルの作品で、先に挙げた3人の作品のうち、誰かの1作品を「隠れ名盤 世界遺産」に登録したいと、かねがね思っていた。そこで、自分のライブラリにあった数々の作品を聴き直し、入手の可否を調べ始めたのだが、冒頭でも触れたとおり、あまりにも入手不可能なアルバムが多く、唖然としてしまった。なかでもO.V.ライトのオリジナルアルバムは、日本はもちろんUSのアマゾンでも全滅である。日本で比較的好セールスを記録したであろう「イントゥ・サムシング」「ボトム・ライン」も入手困難とは、驚くばかりだ。

 この2作は秀作に違いないが、聴き慣れてしまうと、ややソフト路線は否めない。この2作とほぼ同時期に、過去のアルバムが何枚か日本で発売され、このなかでも一番ねちっこい仕上がりとなっていたのが、今回セレクトした「ア・ニッケル・アンド・ア・ネイル・アンド・ザ・エイス・オブ・スペード」(72年作品) である。代表作の呼び声が高く、僕も彼の作品のなかでは一番感銘を受けた作品だ。バックのサウンド面ではウイリー・ミッチェル(アル・グリーンのプロデューサーとしても有名)がプロデュースした後年の作品の方が秀でていると思うが、バックの存在感が薄い分、O.V.ライトのボーカルが前面に出ている。おそらく、絶頂期の唄いっぷりと言ってよいのではないだろうか。

 同作品はCD化された気配がなく、アナログ盤両面をあわせても30分少々なので、内容は非常に濃いものの、物足りなさを感じる人もいるかもしれない。正直に言えば、曲がたっぷり入ったベスト盤の方がお買い得感はあろうが、代表作と目される作品がこのまま消えてしまうのは残念で仕方がない。そこで、これを「隠れ名盤 世界遺産」に登録することにした。

 なお、今回は、他にも「隠れ名盤 世界遺産」にふさわしい作品があった。サザン・ソウルの作品ばかり新たな項目として加えるのも気が引けるので、異例の形だが、最終候補となった作品たちを文末で紹介することにしたい。

 今は黒人音楽といえば、まるでヒップホップしかないようなご時世である。その一方で、ソウルのルーツにもなっているブルースはファンが多い。最近、ブルースを題材にしたドキュメンタリー映画やコンサート映像の公開が相次いできたが、次はサザン・ソウルを題材にした作品が日の目を見ますようにと祈っておこう。長い間、O.V.ライトのファンを続けているが、「動いている映像」は一度も観たことがないのである。

今でも鑑賞に耐える ★★★★
歴史的な価値がある ★★★★★
レアな貴重盤(入手が困難) ★★★★★

●この作品を手に入れるには……CD化はされていないと思われ、ソウルを扱う中古レコード店をこまめにまわるしか術はなかろう。メンフィスに友人がいれば、入手は可能だろうが。

●08/08/28追記……07年12月発売のボックスセット「O.V.ボックス」に収録されていたことに気づきました。上記のアルバムを含めCD5枚入りの豪華版。ただし、新品は売り切れ必至。
●10/08/24追記……10年7月21日に奇跡の再発売。売り切れ必至。



「隠れ名盤 世界遺産」登録を見送った作品たち

O.V.ライト(O.V.Wright)
1980年、41歳の若さで他界。
O.V.ライト ジャケ写1 O.V.ライト ジャケ写2 O.V.ライト ジャケ写3
●「イントゥ・サムシング」(77年作品)
●「ボトム・ライン」(78年作品)

●「O.V.ライト・ライヴ」(79年作品)

上記3点すべて、国内盤CD・輸入盤CDともに新品の入手は不可能であることがわかって、ショック。は、晩年Hiレコード時代の作品で、泥臭さの中に都会的センスもチラリ覗く。は初来日公演を収めたライヴ盤。体調はすでにボロボロだったようで声の勢いは衰えたが、事実上の遺作となってしまったことで貴重盤に。

ジェイムス・カー(James Carr)
01年、60歳で他界。

Jカー ジャケ写1 Jカー ジャケ写2 Jカー ジャケ写3
●「ユー・ガット・マイ・マインド・メスド・アップ」(77年国内発売)
●「フリーダム・トレイン」(77年国内発売)
●「SOUL SURVIVOR」(93年作品、輸入盤)

は代表作。ボーナストラック大量追加のCDが発売中なので、ひとまず安心。録音時期は65〜67年。は日本で編集された未発表曲集と思われる。今は入手不可。録音時期はと同等と思うが未確認。は音楽活動復帰後の晩年の作品で、やはり入手不可。BBキングにも似た渋みが加わり安定感のある歌声だ。

オーティス・クレイ(Otis Clay)
99年のinterview記事はコチラ
Oクレイ ジャケ写1 Oクレイ ジャケ写2 Oクレイ ジャケ写3
●「愛なき世界で」
●「アイ・キャント・テイク・イット」(77年作品)

●「ライヴ! オーティス・クレイ」(78年作品)

は一番泥臭い初期のアルバムで02年発売のCDが入手可能。当時輸入盤でゲットしていたが、手放してしまったので発表時期は不明。は来日記念盤だったろうか。これも05年発売のCDが入手可能。は記念すべき初来日公演のライヴ盤だが現在入手不可。異国の地で思いがけない拍手をもらい、涙ぐむところが胸を打つ。


 
【世界遺産登録 05年09月23日】
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