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No.03
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今では恥ずかしい一枚? 世間のレオン・ラッセルに対する評価というものは、ソングライターとしてのそれが大半であろう。カーペンターズによってカバーされた「スーパースター」「ア・ソング・フォー・ユー」は超有名だし、ジョージ・ベンソンの大ヒットアルバム「ブリージン」からシングルカットされた「マスカレード」もよく知られている。これらの渋い名曲を作った人として、レオン・ラッセルの名はロック史のなかで“からくも”その名を語り継がれてきた。 音楽評論家的には、ブルースやゴスペルをベースにした独特の野太い歌声や粘りっこいサウンドに注目が集まるのかもしれない。事実、彼が全盛期を迎えたシェルターレーベル時代(70年代前半)に残したアルバム「レオン・ラッセル&ザ・シェルター・ピープル」「カーニー」「鬼火」などは、未だに名盤の呼び声が高い。彼のベストアルバムは様々出回っているが、ほとんどすべてが、この時代の作品をまとめたものだ。74年には来日して武道館でライヴを行い、これはライヴ盤としてリリースされたようだ。後にも先にも、武道館に客を呼べたのは、ちょうどこの時だけだったろう。 しかし、僕はあえて、全盛期を過ぎた後の試行錯誤の時代に残された「アメリカーナ」というアルバムを強く推奨したい。この作品でレオン・ラッセルが大胆にも挑戦しているのは、何とAOR(アダルト・オリエンテッド・ロック=大人向けのロック)。そう、南部風の泥臭さは控えめなスパイス程度にとどめ、ニューヨークの摩天楼で聴くのがお似合いの、アーバンな、オシャレ感漂う仕上がりを見せているのだ。 あのレオン・ラッセルがAORを? 彼を知る人のほとんどは意外に思うに違いない。しかも、自作の曲や往年のR&Bナンバーを好んで歌ってきたであろう彼にしては珍しく、ほとんどが他人の楽曲である。レオン・ラッセルの音楽生活のなかでは明らかに異質な作品が、どうして生まれたのか。 当時の音楽界の状況を振り返ってみれば、このような作品を残した理由が推測できる。時代は78年。むさくるしい格好で長髪を振り乱しながら演奏するようなロックや、求心的・内省的な曲は影を潜め、軽いノリの作品が好まれ始めた時代だ。フォーク系の兄弟トリオだったはずのビー・ジーズが、突然、腰を振り振り“イェーイ!”と豹変し、ディスコサウンドで蘇ったのもこの数年前だった。 いわゆるAORの代表格といえばボズ・スキャッグスが筆頭にあげられる。彼が「シルクディグリーズ」の大ヒットで脚光を浴びたのは76年。彼も元々は南部テイストあふれるブルース系のシンガーだったようだが、都会風の曲に活路を見いだし、一躍スターダムにのしあがった。 レオン・ラッセルがボズの成功に刺激を受けたのかどうかは定かでないが、少なくとも自身の作品を少し時代の流行に合わせ、売れセンをめざさなければならない状況だったことは察せられる。永年所属していたシェルターレーベルが倒産し、76年にパラダイスレコードという新レーベルを立ち上げたものの、ここで発表した2作品(夫人のマリー・ラッセルとのデュオ)がいずれも不成功に終わっていたのだ。 そして「ここらで一発当てるべぇ」と言ったのかどうか、ガラリとテイストを変えてオシャレな“レオンおじさま”として登場したのがこの「アメリカーナ」だった。ここまで読んでくれた人のなかには、「どうせ、ただのトンデモ作品なんでしょ?」と思う人もいるかもしれないが、どうしてどうして。1曲目の「レッツ・ゲット・スターテッド」からノリノリで、「おお、こんな名曲が埋もれていたなんて!」と驚くことだろう。 実はこの作品、僕の膨大なオープンリールテープの音楽コレクションの中で、最後まで捨てられなかった作品の一つだった。誰もが見向きもしない小さな宝石(言い換えればB級作品)になるのではないかという予感が当時から漂っていて、このテープを捨てたら、もう二度と聴けないのではないかと思えたからだ。 事実、過去の名作も駄作も次々とCD化されていくご時世のなかで、「アメリカーナ」は未だにCD化されていない(と思われる)。かつては、輸入盤の店に行けば「L」のコーナーを時おり物色していたが、一度も遭遇したことがない。 ならば、と、10年ほど前に仕事でロスへ行った際には、複数のレコード店をまわって探したことがある。「レオン・ラッセルのアルバムを探している」と英語で訴えたつもりだが、「……のアルバムを探している」の部分は通じたものの、若い店員には「レオン・ラッセル」の名前が通じなかった。僕も「リオン・ラッセル」「レオン・ラッスー」とか発音をさまざま変化させてみたが、どうやら、アーティストとしての知名度は落ちていたのだろう、諦めて自分で「L」や「R」のコーナーで探したが、日本と同様、シェルター時代の作品しかなかった。 と言うわけで、この「アメリカーナ」を、もう20年以上は鑑賞できなかったのだが、名作だった印象だけは強烈で、何が何でももう一度聴きたいという欲望が抑えられなかった。思いがけず、都内の文京区小石川図書館に収蔵されていることがわかり、久々に楽しむことができた。サウンド的には全然古くなく、AORの隠れ名盤という僕の評価に間違いないことを改めて確認することができた。この後、中古レコード店で国内アナログ盤を運良くゲットすることもできた。 レオン・ラッセルのその後の活動ぶりは詳細を知らないが、97年に久々に発表した作品「ブルース」では、その名の通り、ブルースへの先祖帰りをしている。一時はカントリーミュージックにも傾倒してハンク・ウィルソンの別名で活動するなど、ずいぶん回り道をした挙げ句に、自分の音楽的ルーツをブルースに見いだしたのだろう。このあたりは、サザンロックやレゲエに回り道しながら、結局はブルースに戻ったエリック・クラプトンとも相通じる部分がある。 ブルースやゴスペルに刺激を受けて70年代前半に脚光を浴び、今再びブルースに戻ったレオン・ラッセル。おそらく彼にとって、「アメリカーナ」は若気の至りというか、相当恥ずかしい一枚なのではないか。未だにCD化されないのは、彼自身、再リリースを許したくないからなのもしれない。 「アメリカーナ」がレオン・ラッセルの代表作だとは言わないし、70年代ロックを代表するベスト10作品とも言わないが、ベスト100アルバムなら入ってもいい出来映えだ。にもかかわらず、このままでは歴史のスキマに埋もれてしまう。そこで今回、「隠れ名盤 世界遺産」に登録させていただいたのである。
●この作品を手に入れるには……未CD化作品(たぶん)。アナログ盤も市場に出回っている量が少ないと思われ、入手は相当困難。ただ、中古レコード店で、ぞんざいに安く売られている可能性はある。何が何でも聴きたければ、東京都文京区小石川図書館で借りる(館内で試聴する)のが一番確実。 ●08/02/06追記……07年10月30日に待望のCD化(USA輸入盤)。07年12月21日に国内向けでもリリース(輸入盤ディスクに帯とライナーノーツが付いた作品のよう) レオン・ラッセルについて、さらに情報収集するには ●公式サイト http://www.leonrussellrecords.com/ |
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【世界遺産登録 05年06月13日】
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