●onfieldレポート●(05) 2002年11月1日号

2000-01発行分

2002年発行分

10年前の上海に、タイムマシンで飛んでいけたら楽しいね

 今年で中国国交30周年。ということもあって、NHKの特集やらで中国の最近の姿が繰り返しテレビなどに流れました。それを見ながら、あまりの変貌ぶりに僕はただ呆気にとられるばかりです。

 10年前、僕は初めての海外旅行で中国・上海に一人で旅立ちました。初めての海外旅行に中国を選んだ理由はとくにはありません。飛行機が苦手だったのでフライト時間が短く、それでいて異国気分を味わえる場所ということで、上海を選んだのでした。飛行機に乗る時間を少しでも減らしたくて、わざわざ新幹線で大阪まで出、伊丹の大阪空港から飛び立ったほどです。一人旅といっても、旅行会社のフリープラン。往復のエアーとホテルは確保されていて、ホテルには旅行会社の現地係員が一応詰めている、というものでした。

 当時、僕は生まれ故郷の関西で親しくしていた友人・知人向けに月刊レター「東京物語」を発行していたのですが、これに掲載する目的もあって、買ったばかりの一眼レフで、白黒写真をいろいろ撮りました。今回は月刊レター「東京物語」に掲載した写真や文章を再構成して、10年前の上海へ、タイムマシンで飛んでいきましょう。それはまるで、高度経済成長直前、昭和30年頃の日本のような光景でした。

 まずはこの写真。リヤカーに娘と荷物を載せて、中心地を走る光景です。写真が小さくてわかりにくいでしょうが、この娘さん、お父さんとおぼしき男性の背中をじっと見つめていたのが印象的です。今なら思春期の頃。本人を発見できるのなら、手渡してあげたい気分です。

 これは理髪店の看板です。ぐるぐる巻きの中心には「髪」という漢字が記されています。上海の街では、徹底的に裏道を散歩しました。ちょっぴり怖々で歩いたのですが、路地で暮らす現地の人のほうも僕を不気味に思ったことでしょう。観光客なんて滅多に通らない通りですから。

 繁華街の中心地、「大世界」という娯楽場の建て替え建築現場だったでしょうか。当時、上海の街は至る所でビルの新築工事が進められており、こうして木材か竹で編んだような養生風景があちこちで見られました。まるで屋外オブジェのようなおもしろさでした。

 公園では、のんびり太極拳を楽しむ人、こうやって卓を囲んで何かゲームをする人がたくさんいました。お祭りでもあるかのような人の多さでしたが、どうやらこれが日常風景らしい。

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 わずか5日間程度の旅とはいえ、上海旅行はとても刺激的でした。

 たった一人で上海入りしたわけですが、書類の書き方が間違っていたのか、税関署員に「もう一度出直せ」とばかりに手のひらで追い返されたりして、このまま空港から外に出られないのかとドギマギ。無事に外に出てホッとしたとたん、ホームレスとすれ違った時のような異臭が鼻をつきました。たまたま腐った食べ物があったからではなく、これが真夏の上海の臭いでした。出迎えのワゴン車は冷房がろくにきかないオンボロ車で、「まずいところに来たなあ」というのが最初の感想です。

 ホテルは虹橋国際空港にほど近い、中心街から離れたところにある日航系のホテルです。近くに上海動物園があったので、早速ぶらりと出向いてみました。平日の動物園を散歩する人はさすがに少なく、動物たちも暑さでぐったり。現地の人が美味しそうに飲んでいる炭酸飲料を僕も買ってみたのですが、店員の愛想の悪いことと言ったら、もう。にらみつけるような顔で投げるように釣り銭を渡され、サービス業の意識なんかカケラもない様子に、異国に来た感触がずしりと来ました。

 中心街へは無料送迎バスのほか、タクシーも使いました。運転の荒さも記憶に鮮明です。今でもそのようですが、運転手はみなポット入りのお茶をもっていて、それを片手でグビグビやりながら、貧乏揺すりをしつつ信号無視でガァッと突っ走るわけです。印象的だったのは中心街に至る道の夜景で、みんな外に出て涼んでいるんですね。冷房なんて観光客目当ての一部の店についていた程度。昼間は連日37度の気温でしたから、夜中でも家の中ではいたたまれないのでしょう。

 町中ではできるだけ裏通り、路地を歩いたのですが、強烈な記憶に残っているのはパフォーマンスを演じる少年。包帯を巻いた手の平に包丁をブスリと突き刺し、口から濁ったお茶のような液体をこぼしながら、見物客に金をせがむのです。見物客も手慣れたもので、タダでは金を出しません。はやしたてたり、こづいたり、罵声を浴びせて、数人が小銭を投げつけました。

 上海の街全体を、あからさまな欲望が取り巻いていました。みんなが何かに苛立ちながら、人間の本性をむき出しに、ガツガツ生きている。あちらこちらで建設工事の音と人間の喧噪が渦巻いていて、実に生命感にあふれる街でした。観光名所の一つ、外灘(バンド)の対岸では新都心=浦東新区の建設が始まっていましたが、完成した今の風景をテレビで観ると、まるで別世界です。10年前ですから地下鉄や高速道路もまだ通っていません。町中の電気店では、旧式のラジカセが売れ筋で、エアコンや冷蔵庫、テレビなどに人々が群がっている今の光景も同じ街とは思えません。

 昭和30年頃に初めて日本を訪れ、その後時間をおいて大阪万博(昭和45年)で日本を再訪問した外国人のような心境、でしょうかね

2003年発行分

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