●ウエブマスター事始め<一年始末記>●(06) 2001年12月1日号

2000-01発行分

2002年発行分

読者一人ひとりを思い浮かべて

 自分でホームページを開設し、このコラムなどを執筆しながら、いつ頃からだったか、ちょっぴり不思議な感覚を持ち始めました。何だか、書いているときの気持ちが違うんですね。これまで本や雑誌などに原稿を書いてきたときの気持ちと、何かが違う。内容が良い悪いとか、練られている・いないとか、それもあるだろうけど、それだけじゃないような気がする。

 そう、ネットを通じて発信している文章は、ちょうど誰かに語りかけるような感じで書いている、とでも表現すればいいのでしょうか。文体もそうですが、書いているときの気持ちが、そんな感じなのです。別に意識的にそうしたわけではなく、ある時に、ふっとそう思ったわけです。とくに2001年1月にメルマガを発信しはじめてから、ますます確信するようになってきました。とっても、不思議な感触です。

 書きながら、読者のことを思っている自分に気がつきました。読者といっても一部の友人・知人をのぞいて、大多数は顔も名前も知らない人々です。でも、何だか見える気がするわけです。自分自身がメディアを発信する主体となっているのが、「読者の顔が見える気分」の大きな理由なのでしょうね。メールで感想などをいただくケースも多いですし、サイトへのアクセス状況やメルマガ読者の推移などを見れば、だいたいの読者の属性も垣間見えてくる。これは、とっても大きな発見でした。

 雑誌に書くにせよ、書籍として出すにせよ、自費出版でもない限り、僕にはコントロール不可能なところで印刷物というメディアは流通していきます。生産(執筆・校正)が終われば、どこでどのように流通し、誰に買われ、どのように使われ(読まれ)、今その製品(印刷物)はどうしているのか、ほとんどわかりません。拙著『小倉昌男の福祉革命』を出版した後、20通ほどの感想メールをいただきましたが、編集者いわく、これだけの反応があるのは恵まれた方だそうで、問題作や話題作を除けば、大抵は数通の読書感想が版元に届くのがせいぜいだそうです。出したら出しっぱなしになるのが、良かれ悪しかれ、出版物の運命であるわけです。

 一方、サイトやメルマガの場合は、出版物に比べて双方向性があります。僕はこれからも書籍を出したいと思っているし、雑誌にもいっぱい原稿を書きたい。でも、できるだけ読者の顔を見ながら書いていくという、サイトやメルマガで学んだことはぜひ生かしていきたいな、とも思うわけです。

 以前、フリーランスの仲間内の勉強会「フリーランスのための仕事おこし」で講師としてご一緒したフリーライターで、『顔面漂流記 アザをもつジャーナリスト』(かもがわ出版)などの著作で知られる石井政之さんは、自分の著作を売り込むために、編集者とともに書店周りを実践されています。石井さんによると、著者自ら書店へ赴くことで、流通側の意識がわかり、自分の本がどの地域のどのような本屋で並べてもらえるのか、いわばマーケティング情報が見えてくるとのこと。読者の顔が見えにくい印刷物でも、こういうことはできるわけで、僕もぜひ参考にしたいと思うのでした。

2003年発行分

BEFORE← →NEXT
当ホームページに掲載されている原稿の無許可転載・転用を禁止します。すべての内容は日本の著作権法及び国際条約によって保護を受けています。
Copyright 2001-2004 tomoyasu tateno. All rights reserved. Never reproduce or republicate without written permission.