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●取材ノートから●(17) 2001年10月1日号
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怪しい会社の取材 僕はコピーライター出身ですが、広告が書きたいと思ってこの仕事を選んだわけではありません。たまたま編集補助のアルバイトで入った求人情報誌編集部で、出勤一日目に某コンビニチェーンの見開き求人広告を書いてみないかと先輩に言われたのがキッカケでした。一日かかって見よう見まねで書いたところ、「まあいいだろう、今日から君はコピーライターだ」と言われてコピーライターになったのです。 求人広告のコピーライターは、今はどうかわかりませんが、少なくとも当時は「質より量」が求められました。一日に10社以上、合計20ページ近くの求人広告を一人で書いた時期もあります。おかげで、締め切りに間に合わせるテクニックだけは身につきました。ただし、萌芽期にあった求人広告という分野への風当たりは強く、雑誌や新聞の本格的な媒体広告を創るクリエイターたちからは「求人情報誌が低レベルのコピーライターをこの世にいっぱい輩出した」とも揶揄されたのですが。 そんなアウトロー(?)な広告分野である求人広告の世界、とくに僕が携わっていたような転職情報誌では、時々、ちょっぴり怪しげな訪問販売系の求人広告の仕事が入ってきました。もちろん、掲載基準から外れた、明らかに怪しい会社の求人広告は断っていましたが、グレーゾーンの会社はあったわけです。 先物取引、英会話教材、高級鍋など、グレーゾーンの販売会社は数々ありましたが、その一つが、某商品の訪問販売でした。まだ20代の半ばで、社会問題にも疎く、当時の事情は詳細にはつかめませんでしたが、無理な押し売りをするとか、判断できない高齢者などに売りつけるとか、訪問先で居座って判子を押すまで帰らないとか、いろいろ悪い噂は耳に届いてきました。ただ、一部に悪質業者があったのは確かですが、真っ黒ではない会社もあったわけで、掲載するかどうかは難しい判断だったと思います。 で、そういう訪問販売会社の広告は、たいてい「私は月収100万円を達成した」などというような、ビックリセールスマンの成功談で目を引こうとします。僕は、何度もこうした類の原稿を書くために、販社の営業所を訪ねました。その時の光景は、いやはや、ちょっと腰が引けました。パンチパーマにサングラスの営業部長みたいな人が、駆け出しの営業マンを竹刀を持って恫喝したり、ある営業所では、ビルの廊下に営業マンがずらりと正座させられていたりしました。世間知らずの僕は、ああ、こういう世界もあるんだなあと初めて知りましたが、これはヤバイというケースでは、さすがに掲載拒否になりました。掲載拒否で今でもはっきり覚えているのは、あの豊田商事です。 そんな20年近く前の光景を連想させるような企業に、再び取材で巡り会ったのは5年ほど前。電話アポインターがずらりと会議室机に並び、生気のない若者たちが押しの強い電話セールスに精を出して、強面の上司が側で睨みをきかせていました。社長にも取材で話を聞きましたが、こっちの目を全然見ないでポツポツ話す様に、社長特有のカリスマ性やエネルギッシュさは微塵も感じられなかった。それにしては、周囲の取り巻きがやたらと社長を持ち上げているのは奇妙でした。 その後破竹の勢いで業績を伸ばし、あっという間に倒産の危機にさらされたこの会社。今思えば、社長もしょせん裸の王様だったのかなあと思えてしまいます。 |
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