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●ガマ腫ライターのゲコゲコ闘病記●(05) 2001年3月1日号
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511号室の面々 入院中のあれこれを綴る3回目は、大部屋のお話です。 僕が入った病室は、ごくごく平均的な6人部屋です。このいわゆる大部屋で2週間を過ごさなければなりません。 入院初日、ベッド周辺の整頓が終わり、妻は自宅へ戻って、一人になりました。ううむ、何をしよう。同じ病室で話し相手を見つけるのも方法でしたが、耳が遠いお年寄り2人がこの部屋の古株で中心人物らしく、あまり話が合いそうな住人はいないし、お年寄りとは大きな声で話さなければ会話が成り立たず、病室の中での会話は結構騒がしいので、ちょっと意図的に、カーテンを閉めてヘッドフォンで音楽に聞き入り、初日は孤独好きの病人を装いました。実はこのキャラクター設定が、後々楽だったんです。 お年寄りの一人は、そこに話を聞いてくれそうな人がいれば、相手の都合おかまいなしに自分の昔話をしたがるタイプではないかと僕はにらんだのですが、実際に「当たり」でした。2週間の入院中、他の患者の見舞いに来た家族は次々とこのお年寄りにつかまり、話し相手にさせられる様子を幾度も目にしたのです。 僕はベッドで端々を聞いていただけですが、茨城の片田舎から上京してきた当時はとても苦労したこと、戦争で大怪我を負って泣いたこと、その後いろんな仕事を転々としたこと、なかでも植木職人の仕事はおもしろかったこと、腎臓の病気で人工透析をこの先も続けなければならないこと、味が薄い病院食はまずいこと……大体これらの話が、一つの完成された「語り」として同じ構成で延々と続きます。途中で相手が話題を変えようとしても、自分の喋りたい話は変わりません。 もう一人のお年寄りも腎臓を患っている方で、かなりの長期入院のよう。大人しいおじいちゃんでしたが、2日に一度やってくる奥様の愚痴が実にすさまじい。「あんた、いつまで入院しているのさ。もう7カ月じゃないの」「このままここで死のうってのかい。もう家にはあんたの帰る場所はないよ」「あんたはそもそも、病気を治す気がないのよ。ご飯も食べないし、寝ているばかりじゃないの」……こうした奥様の辛辣な責め言葉が、僕の隣のベッドで繰り返されるわけですから、痛々しくてたまりません。 もう一人、この部屋で3日間をすごした92歳のお年寄りがいました。このおじいちゃん、痴呆と難聴が激しく、いま説明した話を5分後には忘れているタイプで、ベッドに備え付けのテレビの使い方を、僕は2回教えましたが、教えた甲斐がないと判ってからは諦めました。 入院経験がある方なら先刻ご承知でしょうが、大部屋でテレビやラジオをつけるときは、イヤホンを使うのが常識です。彼はそれが合点のいかないものらしい。難聴のため大音量で聞いていて、途中で耳からイヤホンを外してしまったりすると、もう使い方がわからない。イヤホンジャックを抜いて部屋中に大音量が流れることもありました。 イヤホンを外したまま、テレビのスイッチをいつ果てるともなくカチャカチャ押し続けるのが常で、消灯後にこれを一時間以上続けたときは、さすがに看護婦さんが飛んできました。彼は「テレビの音が聞こえない、これは壊れている」と主張するばかりでした。 ベッドのそばに「おまる」を置いていて、食事時間中に大きな音を立てて大便をしたこともありました。部屋中に芳香が漂ってきて、これには参りました。看護婦さんが「今日は検査があるから朝食はないのよ」と説明した5分後に、煎餅をばりばり食べ始めたこともありましたっけ。 たまにやってくる家族との会話を聞いていると、現役時代はそれなりの役職を務めていた人と思われ、入院中も毎日熱心に日本経済新聞を隅々まで読んでいました。ほかの病室で毛嫌いされ、何度も部屋を移ってきた人で、しかしプライドは高く、自分のベッドが始終移動することに不平不満が募っている様子。結局、僕の病室も3日間で去って行ったのですが。 老人ホームのなかに一人混じったような日々が10日間続き、60代のサラリーマンが入ってきてからは、ようやく話し相手ができて安堵しました。大部屋で暮らすのは、いやはや大変です。ゲコゲコ。 次号でこの連載も完結。「入院生活の収支決算」と最後のオチになります。 |
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