●債権回収トホホの1500日●(03) 2001年2月1日号

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霞ヶ関の簡易裁判所へ相談に

 96年に、某独立応援情報誌の原稿を3号にわたって書き、合計255,000円のギャラと31,318円の実費を請求したものの、A社はなかなか支払おうとしません。98年3月には、請求書を再発行して同社を久々に訪ね、請求書の受け取りにサインももらいました。これで、請求書を受け取ったという証拠は残りました。こうしたプレッシャーのかけ方が効を奏すのではないかと期待をしましたが、それでもA社は支払う姿勢を示さず、時間だけが過ぎていきました。

 97年は仕事が多忙で収入も多かったのですが、98年、99年と多忙さは変わらず、収入だけはガクンガクンと下がっていきました。実入りがいいはずの広告原稿の単価が落ち、もともと単価の安かった雑誌の仕事が増えたせいです。手間がかかるルポルタージュ系の仕事を好んでやったのも一因です。とくに99年は、結果的に全盛期の97年の60%を切る売上で、収入ゼロの月も出てきました。生活は切り詰めましたが、明らかに黄色ランプ点灯です。

 こうなると、1円も支払おうとしないA社への怒りが募ってきます。僕は99年に入って、行動を起こすことに決めました。

 僕がもっとも腹立たしかったのは、ギャラの未払いもさることながら、実費さえ支払おうとしない同社の態度でした。実費というのは、取材に要した交通費、原稿のための資料費、写真の撮影や現像に要した費用などです。通常は、フリーライターが一旦自分で立て替えて支払い、ギャラの振り込みよりも前に、先に実費だけを精算してくれるのが筋です。中には、先に実費の仮払いをしてくれる出版社や編集プロダクションもあります。つまり、このままだと、僕は身銭を切ってまで奉仕の仕事をしたことになります。出版社も編集プロダクションのA社もちゃんと金を稼いでいるはずなのに、末端の僕にお金が回ってこないのは我慢なりません。

 もう一つは、これまで触れていませんでしたが、実は3号分の仕事のうち最後の号で、知り合いのカメラマン2人を紹介し、そのカメラマンにも支払われていなかったことです。これも腹立たしかった。仕事を紹介した僕の信用も失墜します。カメラマン2人は呑気なもので、入金のチェックはしていないとのこと。1人は「まあ、そういうケースはあるんですよ」と、はじめから諦めムードです。僕のギャラと実費を全額支払ってもらえれば、彼らのギャラの一部を、僕が支払おうとさえ思っていました。

 この頃になると、友人などの情報から、裁判所に相談する手があるのだなと、薄々わかり始めていました。99年の6月、プライベートな用件で弁護士さんに相談に行く機会があり、本来の用件を済ませてから、ちらっと「債権回収」のことも聞きました。その弁護士さんは専門外だったようですが、確かに裁判所で債権回収を行う方法がいくつかあるようです。担当は簡易裁判所になるとのことでした。

 なるほどなるほど。この後、僕は初めて霞ヶ関の簡易裁判所を訪れてみることにしたのでした。

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