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●今月のコラム●(07) 2000年12月1日号
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パラリンピックの素朴な疑問 今回のシドニーパラリンピックは、日本シリーズのON対決に話題がさらわれたからなのか、案外盛り上がりのないまま終幕しました。ところで、開会式を見ながら「あれえ」と思った人も多いと思うのですが、外見上、障害者に見えない人が結構たくさんいたと思いませんか。こういうこと、あまり大きな声で言うのもはばかれるから誰も口には出しませんが、お茶の間で「この選手、どこが障害者なの?」と言いながらテレビを見ていた人、あなたの身近にいませんか。僕は、大いにそう思いました。 外見上、障害者に見えない人は、たぶん片腕を切断したなど上肢の障害か、あるいは性能のいい義足を履いている下肢障害の人だと思われますが、そういうことをきちんと解説してほしかった。別に、ことさら障害の部分をクローズアップする必要はないと思いますが、テレビの解説ではあまりにも障害の部分に触れるまいとしている感じがして、僕はとても違和感を感じたのですね。腫れ物にさわるような、という言い方をした方がいいかもしれない。 ハンディがある部分を補う福祉用具(義肢装具ともいいます)があれば障害者じゃないとか、段差がなければ障害者ではない(これは乙武さんの台詞でしたっけ)とか、車いすは視力の弱い人が眼鏡をかけるようなものだとか、そういう言い方を聞くたびに「どうしてそこまで障害という部分を薄めて薄めて、健常者と同じだと言いたいのか」不思議でたまりません。いつのまにか、NHKでは「障害者」という言葉を封印していたのも、気になります。障害の部分を見えなくすることで「健常者と一緒」なのではなく、「健常者も障害者も、個人個人が多様であり、そこが面白いのだ」と理解されることが、いちばん自然だと思うのですが。 開会式で行進する選手たちを見ながら、その国の障害者事情も透けて見えてきましたね。戦争が多い国では戦傷軍人だろうなと思える人がいっぱいいました。概ね、軽度の中途障害者が占めています。選手はいっぱいいるけれど車いす利用者が少ない国などは、重度障害者がほとんど表に出ることがない国でしょう。そして、さまざまな障害種別の人が混じっている国は、福祉先進国と思えました。そういう視点で見ると、日本の福祉は案外捨てたものじゃないですね。多様な障害者が行進していて、とても自然な感じがしました。まあ、軽度の障害者ばかり、ではありますが。 軽度な障害者アスリートが揃ったパラリンピックを見ながら、やはりほとんどの競技はオリンピックの中に入れるべきだと改めて思いました。その上で、もっと重度な障害者や高齢者のために考案された見知らぬ競技の数々が日の目を見る、というのが理想でしょうか。 (追記)このコラムを執筆したのは11月初旬ですが、11/25付けの朝日新聞に「パラリンピックに障害ないのに参加」という見出しの記事が載りましたね。スペインの選手団200人の中に、健常者が最低15人以上含まれているという内部告発です。これが事実かどうかはともかく、いかにもあり得そうな話です。 関連リンク●「日本障害者スポーツ協会」 |
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