●取材ノートから●(06) 2000年11月1日号

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長野パラリンピックの痛恨

 シドニーパラリンピックでの日本選手の活躍を観ながら、思い出すのは2年前の長野パラリンピックです。パラリンピック開催中は行けなかったけれど、僕はパラリンピック後の街の変化を取材する目的で同地を訪れました。

 長野パラリンピックは、地元の県民や日本国民の、障害者に対する意識を変える、とてもいいチャンスでした。パラリンピックについては個人的にいろいろ思うこともあるのですが、とりあえずパラリンピックが多くの人に観られるのはいいこと。たぶん大きな反響を呼ぶだろうし、障害者スポーツに対する関心が一気に高まり、大ブレークするのでは……そんな予感がありました。

 僕の関心は、パラリンピックを迎えたことで、長野の街でどんな波及効果が生まれるのかを見届けたい、その一点にありました。全国から障害者が、選手や関係者、観客としてどっと長野にやってくる。障害者だけでなく、興味本位ではあっても健常者が一度は観てみたいとどっと繰り出す。地元では否が応でも障害者と接しなければならない状況が生まれる。接してみると分かり合える部分というのがあるはずで、いろんなことを発見したり、気づいたりする人が出てくる。街も障害者や高齢者が暮らしやすい街に変わることができる……。

 ところが実際は、そんな期待をもってパラリンピックをやろうとした人間はほとんどいなかったようです。障害者スポーツなんか誰も観ないと考えてチケットは最初から売る気がなく、地元の学校関係者とかに押し売りでさばいていましたし、県外でのPRもろくにしなかった。ようやく直前になってテレビコマーシャルを流し始め、一気にチケット争奪戦が始まって、予期していなかった大会事務局は大慌てだったようです。

 地元の一部障害者団体も、旧態依然としたやり方で、障害者割引をしろと陳情し、割引が設定されたわけですが、どうも感覚が古いんですね。自分たちは弱者だから優遇されて当然だと言わんばかりのやり方は、もううんざりです。大会会場と主要駅を結ぶバスにはノンステップバスというバリアフリーなバスが導入されたのですが、これは東京都営バスからの借り物ばかり。これを機会に全線で導入をしよう、アクセスしやすさを根本的に見直そうなんて発想は微塵もなかった。

 パラリンピックの陣頭指揮にあたったのが誰かは知りませんが、時代の雰囲気を読む力とか感性をまったく持っていなかったのでしょうね。厳しいことを言いますが、長野にとっては冬季オリンピックの添え物というかオマケというかお荷物というか、そんなものだったとしか思えません。まあ、もともと長野冬季オリンピックは県民が望んだものではなかったようですから、もともとお荷物だったのかもしれませんが。

 障害者をめぐる環境がかなり変わって来つつあるなかで、絶好のタイミングに行われた長野パラリンピック。でもそこで、地元には何が残ったのでしょう。ばく大な赤字財政と善光寺の仮設スロープだけだったとしたら、あまりに悲しすぎます。2008年のオリンピックに大阪が候補地で残っていますが、その是非はともかく、もし決まったら大阪パワーを生かして、おもしろいパラリンピックになりそうな気がする。長野の二の舞は、たぶんしないように思います。

 ところで当選した田中康夫さん。オリンピックのことを調べるならパラリンピックのことも調べてくださいね。地元の障害者団体の人は、事務局のお金の流れに疑惑を抱いていましたから。ご参考までに。

2003年発行分

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