●TV-CFの舞台裏●(02) 2000年9月1日号

2000-01発行分

2002年発行分

今日の仕事は蝶々採集

 僕が20年前に勤めていたTVコマーシャル制作プロダクションは、大阪の会社でした。在阪のプロダクションが作るコマーシャルは、当然ながら関西に本社がある企業のものが中心です。関西に本社がある大手企業となると数が限られます。そんななかでも、とびきりの上顧客といえば、松下でした。松下といっても松下電器産業、松下電工などなど、消費者向けの商品を作っているグループ会社はいろいろありますが、とにかく「松下」の仕事はどのプロダクションも、喉から手が出るほどやりたかった仕事でした。

 理由は、まず予算が大きいということです。1980年頃の当時の話ですが、マイナーな会社のしょぼくれたコマーシャルの受注価格が250万円とすると、松下の仕事は1000万円規模がざらにありました。おまけにテレビでの放映回数が多いので納品するプリントの数も膨大です。その売上もバカにはなりません。今はたぶん、デジタル機器の進歩でそんなことはしないと思いますが、当時は、放映回数に比例するだけのまとまった本数を、16ミリフィルムの状態で広告代理店に納品したのです。何本ものプリントをぎっしり詰めた紙袋を両手に持ち、大阪市内中心部のあたりにある電通とか博報堂とかに、よく納品したものです。

 予算が大きいので思い切った企画ができ、優秀な外部スタッフも使えて、当然いいコマーシャルが生まれます。松下はCM業界のさまざまな賞狙いをするのが巧く、そのためだけに作るのではないかと思えるものもありました。いいものができれば広告関係の雑誌で頻繁に取り上げられますし、プロダクションや担当プロデューサーの評価も上がるのです。

 僕もそんな松下の仕事を制作進行として担当することになりました。今回もやはり、先輩の制作進行のお手伝いです。モノは当時流行し始めたシステムキッチンでした。大型商品です。コマーシャルも大きな規模で、確か撮影日が3日間くらいにも及びました。その企画というのは、システムキッチンに蝶々が舞い込んできて、システムキッチンに魅せられる、みたいな内容だったと思います。システムキッチンの特徴となる場所に次々と蝶々がとまり、蝶々の美しさと共にシステムキッチンを映し出していくのです。

 さてさて、ここまで説明するとピンと来る人もいるでしょうが、問題は蝶々です。今のようにコンピュータグラフィックなんか発達していませんから、これを合成なしの実写でやるのです。世の中にはいろいろな専門家がいるもので、模型の蝶々を極細のピアノ線で吊り、自由自在に動かせる人がいました。その「蝶々屋さん」は高いところにのぼり、釣りの道具みたいなものとか、自分で試行錯誤して作ったと思われる道具をあれこれ使い、まるで生きた蝶々のように操るわけです。

 僕はまだ下っ端で使い走りの身の上でしたから、スタッフ間の話し合いに割り込めなかったので詳細は知りません。ですが、初日の撮影で蝶々の動きが満足いかないものだったようで、撮影は遅々として進まないのです。現場ではいらいらが募り、ピンと緊張の糸が張りつめています。僕は先輩からこう言われました。
 「おい建野、明日、蝶々を捕ってこい」
 「え、蝶々ですか」
 「そや、生きた蝶々や。できるだけ綺麗な状態で捕まえて来るんやぞ」

 まさか、大学を卒業して就職した会社で蝶々採集することになるとは夢にも思いませんでしたが、そうも言っていられません。新人の僕の目から見ても撮影現場には明らかに暗雲が垂れ込めており、これを打開しなければならないのです。京都近郊で野っ原が多いのは奈良方面だとふんで、翌日僕は、昆虫採集の網と篭を持ち、出かけることにしました。初老の「蝶々屋さん」には若い女性のアシスタントがついており、彼女も一緒に来ることになりました。

 「蝶々屋さん」たちは東京から来たスタッフでしたので土地勘はありません。蝶々が生息していそうな場所は、僕が見つけるしかないのです。駅名は忘れましたが、近鉄奈良線のいかにも田舎風の駅で降り、田圃が密集している場所で、僕たち2人は蝶々採取にいそしみました。自分で言うのもナンですが僕は真面目なタイプですので、今日やらなければならないことで頭が一杯です。初対面の女性となごやかに談笑する術は知りませんでしたし、彼女もネクラで無口なタイプですから、2人とも押し黙ったまま田圃に腰をおろし、蝶々の姿を見つけるや否や、それぞれ網を振り回してドタドタタタ〜っと走り回る、その繰り返しでした。知らない人が見たら、どんなに奇妙な2人に見えたことでしょう。

 田植え前のシーズンでしたが、良くも悪くもその日は快晴で、太陽がジリジリと照りつけています。僕はまだまだ元気だったものの、しばらくすると彼女がギブアップしてしまいました。それもそのはず、炎天下で蝶々採集に邁進できるのは、せいぜい3時間くらいが限界です。この間、僕たちは一度も休憩をとらずにやり続けていたのですから、倒れても無理はありません。後で考えれば、人間がバテるような炎天下では、蝶々もどこかの葉陰で休んでいるに違いなく、最初から無理な計画だったのでしょう。

 くたびれ果てた彼女とともに、とぼとぼと京都のスタジオに戻りました。悪戦苦闘のなかで5匹ほどの蝶々が採取できました。しかし、前日までの問題がクリアできたのか、僕らが田圃を駆け回っている間に撮影は明らかに進んでいました。そして僕たちが採取してきた蝶々は、ディレクターやカメラマンに一瞥され、「これは使えんな」で、ボツに。羽の端っこが切れていたり、模様が汚かったり、が理由でした。ガックリしましたが、確かによく見てみると使える代物ではありません。

 そして彼女は熱射病か脱水症か、ついに最後まで現場に復帰することなく、撮影所の事務室かどこかで寝込んでしまったのでした。

2003年発行分

BEFORE← →NEXT
当ホームページに掲載されている原稿の無許可転載・転用を禁止します。すべての内容は日本の著作権法及び国際条約によって保護を受けています。
Copyright 2000-2004 tomoyasu tateno. All rights reserved. Never reproduce or republicate without written permission.