●こんな仕事してきた●(03) 2000年8月1日号

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笠智衆さんと至福の時間

 大阪で広告畑の仕事をしていた時期が長いこともあって、雑誌などでよくあるような有名人インタビューというものを、僕はあまり経験したことがありません。そのわずかな経験のなかでも飛びきり楽しかったのは、17年ほど前に鎌倉でお会いした笠智衆さんです。

 僕が担当していた仕事の一つに、京都本社の化学メーカー・三洋化成工業のPR誌の編集がありました。PR誌には、最近の海外ケミカル市場動向とか、新製品の化成品に関する商品解説とか、いろいろ難しいコーナーがあったのですが、化学に明るくない僕にとって、一番の楽しみは各界著名人へのインタビューコーナーでした。インタビュアーは、当時日本テレビに入社して間もなかった、アナウンサーの井田由美さんです。

 人選の進め方は、インタビュー候補の著名人の名前を何人か提案し、クライアント(広告主)である同社広報部の意見を聞き、井田さんの意見も聞いて最終的な候補を決めるのが基本です。僕は笠智衆さんにお会いしたい一心で、先に井田さんの了解をとりつけ、広報部に「井田さんが笠智衆さんに会いたいそうです」と、ちょっぴりズルをしてプレゼンテーションしたような記憶もありますが、当コラムを偶然ご覧になったかつての広報部担当者によると、担当者も笠智衆さんを推していたそう。記憶なんて、あいまいなものです。

 さて、次はご本人への依頼をしなければなりません。笠智衆さんが所属する事務所を探しましたが、どうやらフリーらしく、ご本人が直接判断されるとのこと。僕は緊張混じりにご本人に直接お電話をし、快諾していただきました。笠さんから、鎌倉に来られるなら行き付けの鰻屋「浅羽屋(漢字が間違っていたらスミマセン)」でいかがですかと打診があり、それで了承しました。

 さて、いよいよ緊張の当日。井田さんとカメラマンと僕の3人が集まり、浅羽屋のお座敷で待っていると、しばらくしてふすまが開き、お店の人が「笠さんが来られましたよ」と告げに来ました。開いたふすまの向こうに、笠さんの顔が見えます。わあ、ナマの笠さんだ!

 そのときの笠智衆さんの出で立ちを、僕は忘れることができません。笠さんは何と、礼服に山高帽、襟元にベージュかグレーの襟巻、手にステッキという、とびきりオフィシャルな、とびきりオシャレな装いで現れたのです。しかも、山高帽をていねいに取り、いたく低姿勢です。それは例えば、可愛くて可愛くてたまらない孫娘が嫁ぐときに、嫁ぎ先の両親の控え室におそるおそる入り、初めて挨拶をするときのような感じ、といえばいいでしょうか。「いやいや私のようなものを、こんな立派な料理屋にお招きいただいて、いやいや恐縮です」……とは言いませんが、全身がそう言っている。

 俳優さんがインタビューに現れるとき、とびきりのオシャレを決め込んで来ることは少ないものです。せいぜい、写真を撮られてもいい程度の小綺麗な格好をしてくるか、あるいは編集サイドが用意した衣装に着替えることを前提に、何てことない普段着で現れるのが通例です。概ね、横にはマネージャーがついています。でも笠さんにはマネージャーはいません。ご自宅が近いこともあって、一人で現れました。

 間もなく、井田由美さんが聞き手となってインタビューが始まり、鰻のお重も運ばれてきました。笠さんは、しっかりお腹を空かせて来たのでしょう、両手でお重をしっかり持ち、ぐわしぐわしと、旺盛な食欲で口の中にかき込みつつ、井田さんの質問に答えていきます。その仕草も脳裏に焼き付いています。入れ歯の奥にご飯粒が入り込んで、それを唇をもごもごさせながら取りだしつつ喋ろうとする仕草とか、口のなかでしっかりと鰻の芳香と味わいを楽しみながら嚥下する仕草とかは、まさに「おじいちゃん」でした。

 至福の時間というのは、実にあっけないものですね。だいたい話が出尽くし、インタビューページを構成するに十分なお話をうかがうまで、あっと言う間の出来事でした。その後のことは、なぜか全く覚えていません。玄関までお見送りしたような気もするし、しなかったような気もする。もう上の空、でした。

 僕は編集者として、インタビューの展開がうまく行っているかとか、聞き漏らしはないかとか、井田さんは気持ちよく聞けているかとか、カメラマンは撮りにくくないかとか、お二人のお茶はちゃんと残っているかとか、いろいろ気配りしないといけないのに、あこがれの人が鰻をかきこむ仕草をじいっと観察したりで、すっかり舞い上がっていたのです。

 インタビューが終わり、ふうっと気が抜けたようになってテープレコーダーを切ろうとすると……あらまあ、テープが途中で止まっているではありませんか。電池切れでした。あまりの初歩的なミスでした。笠さんに会える、笠さんがもうすぐやってくる……そればかり考えていて、プロとして準備すべきことがすっかり抜け落ちていたんですね。後にも先にも、電池切れでテープが止まっていたのは、あれが最初で最後でした。

 録音できた前半部分で何とかごまかしつつ原稿を仕上げ、ご本人にチェックを依頼しました。戻ってきた返信には、ていねいなお手紙が入っていました。笠さんが万年筆で書いた直筆の書簡は、僕の一生の宝物になっています。

※一部、原稿変更しました(2004年1月12日)

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