エピローグ
 

 1980年は、こうやって原稿を書いている僕自身も戸惑うような、実に天下泰平で凡庸な一年だった気がします。高度経済成長が終わって低成長時代に入ったけれど、それなりに経済的には豊かになり、それなりに生活基盤も整い、それなりに楽しい日々を過ごした……この年、ヒットしたコマーシャルに富士写真フイルムの「それなりに」がありましたが、偶然だったのか意図的だったのか、時代を的確に表す言葉となったように思えます。

 それなりに満たされた日本人は、もはやガツガツするような人種ではなくなり、ふわふわした幸せ感を探すようになりました。そして重いモノより軽いモノ、分厚いモノより薄いモノ、長いモノより短いモノ、大きなモノよりも小さなモノを好む、いわゆる軽薄短小の時代が、いよいよ頭をもたげてきます。「大きいことはいいことだ」が流行した高度成長まっただ中の1967(昭和42)年と、実に対照的でした。

 新商品開発のトレンドとして「軽薄短小」がハッキリ意識されるのはもう少し後になりますが、80年には減塩マヨネーズや薄塩しょうゆ、カロリーをカットしたライトビールなどが登場しており、マイルドなモノを求める時代に入ったことは間違いありません。

 なかでも大きなインパクトを与えたのは、前年に発売されたソニーのウォークマンでした。それまでは歩きながら音楽を聴くなんて、やりたくてもできなかった時代。音楽の楽しみ方スタイルを激変させた点で、画期的な商品でしたが、従来なかったカテゴリーの商品だけに、初めて携帯電話が流行し始めたときのように、多くの一般人はとても奇異な目で見ていました。

 ウォークマンで音楽を聴きながら街を闊歩する若者をいぶかしく見ていたのは、学生運動に青春を燃やしていた世代の人々。反戦や平和など社会的なメッセージを訴えることもなく、ヘッドホンで社会との接点を遮り、一人悦にいるように若者は嘆かわしい、と思ったわけです。朝日新聞ではこの年の3月「徴兵制とウォークマン」についての議論が紙上で巻き起こったこともありました。ウォークマンは、平和ぼけの象徴と見られ、そんなことばかりやっていると、徴兵制が始まってしまうぞ、と上の世代は訴えたわけです。

 人生の先達者たちの心配をよそに、若者たちは社会との関わり方を見いだすことなく、身の回りのささやかな幸せ感を求めていきます。男性誌では雑誌『POPEYE(ポパイ)』が好調を示し、兄弟分にあたる『BRUTUS(ブルータス)』が6月に創刊、女性誌では『JJ』が人気を集め、若い男女はオシャレに最大の関心を注ぐようになっていきます。田中康夫センセイの『なんとなくクリスタル』が売れたのも80年でした。

 格好いいモノ、流行先端のモノを追いかける風潮のなか、翌81年には「ナウい」という言葉が登場してくるわけですが、この頃から「ナウくないもの」をふるい落とすような風潮も生まれ始めます。日本の音楽界では四畳半フォークソングが嫌われ、これにかわってニューミュージックが台頭。暗い顔をして人生に悩むことはダサイこととされ、それよりもスキーやテニスができる明るく爽やかな格好良さが好まれます。重い話題よりも軽い話題が好まれ、ここにも軽薄短小のトレンドは波及していました。

 男たちは「優しい人間」と見られるのが理想で、女たちは「可愛い」ブリッ子風に見られるのが理想。明るくて健康的なものばかりが追い求められる、実に陰影のないつまらない時代だった気もする。やがて82年には「ネアカ・ネクラ」という言葉が登場し、この系譜は88年の「しょうゆ顔・ソース顔」にも受け継がれていきます。南国にルーツをもつ濃い顔で、スキーやテニスもできず、明るい話題を振りまくこともできなかった僕個人にとっては、暗黒のような80年代がこうして始まっていくのでした。

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当原稿執筆/2003年1月17日
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