1980年のもしもし
 

 利用者が電話会社を自由に選べる「マイライン(電話会社選択サービス)」が始まったのは2002年5月。その22年前となる1980年は、電話をかけるときの選択肢がなく、国内の電話なら無条件に日本電信電話公社(以下、電電公社。現在のNTT)、海外への電話なら無条件に国際電信電話株式会社(以下、KDD。現在のKDDI)を利用するしかありませんでした。電話機も電電公社から提供されるモノがほとんど唯一の選択肢で、せいぜいダイヤル式かプッシュ式かを選べるにとどまっていたのです。

 電電公社やKDDにとって、市場独占状態で事業を進めることができていた1980年は、まさに「この世の春」。ただ、この独占状態のなかで数々の膿が吹き出した一年でもありました。

 まずKDDでは、前年の1979年10月頃から、社員による不正輸入発覚に端を発して、経営陣と官僚および政治家の癒着、交際費を捻出するための不正経理など(総称して「KDD疑惑」)が問題視されはじめました。間もなく捜査のメスが入りましたが、明けて80年1月には、参考人聴取を受けていた前社長室秘書役が自宅で首つり自殺。次いで2月には、連日事情聴取を受けていた前社長室付参与が小田急線ホームで飛び込み自殺を図り、疑惑はますます深まっていきます。

 後者の自殺では8通の遺書が残され、そこには政官界工作に関与した人物として前年10月に辞任したKDD板野前社長ら数人の名前と、自民党議員の名前が記されていました。これを受けて2月に前社長室室長が、翌3月に郵政省の官僚2人とKDDの前社長室次長が逮捕へ。そしていよいよ、4月には板野前社長が逮捕されるに至りました。

 この事件、要するに監督官庁である郵政省の高級官僚や政治家への接待や金品贈与が、特別な便宜を期待した収賄に当たるのではないかと疑われたものでした。企業のモラルを鋭く指摘する佐高信氏の『戦後企業事件史』(講談社現代新書)によれば、国際電話の料金を下げられないよう、働きかけるのが目的だった、とされています。

 過去3年間に使われた交際費は58億円にものぼっており、政治家へはパーティ券の購入などが判明したのですが、広く薄くばらまいたようで、クロと決めつけるだけの根拠は見いだせませんでした。疑惑解明は検察の手に委ねられ、公判では郵政官僚への「かゆいところに手が届く」ような接待旅行の実態などが陳述されたものの、巨悪の解明には至らず灰色の決着となったのです。

 KDDでは板野前社長らへの賠償請求をしたほか15人を処分、郵政省では幹部クラス7人を処分するにとどまり、実名が上がっていた疑惑の政治家は証拠不十分で「おとがめナシ」に。まさに「大山鳴動してネズミ一匹」の騒ぎで集結したのです。ちなみに前年の1979年、郵政省からKDDへの天下りは過去最高の233人を記録していました。当時はKDDへのバッシングも強かったわけですが、今となっては、私物の下着代まで金を出させた官僚、パーティ券の購入などでタカリをした政治家の方が、罪が深い感じがします。

 一方、電電公社では4月下旬、料金の不正請求が世間の注目を浴びました。発端となったのは、当時、某電話局の係長(料金担当)を務めていた電電公社職員が書いた、内部告発本『間違いだらけの電話料金』(KKベストセラーズ刊)。電話局の料金メーターが壊れても内緒で推計の料金を請求していたこと、ひと月に70万円もの料金を余分に払わせながら返金しないで済ませていることなど、あまりにショッキングな実例の数々を披露し、波紋を広げたのです。

 この係長、ただちに人事異動を内示され、現場から外されたわけですが、電電公社はあくまでも「懲罰(降格)人事ではない」として押し通しました。余分に請求したからかどうかはともかく、1979年度の電電公社の黒字は過去最高の4500億円に。家計を預かる世の主婦たちが、「儲けすぎだ」と怒り心頭に達したことは言うまでもありません。あまりの黒字の多さに、財政赤字に苦しんでいた政府が電電公社に「納付金」を求めるという尾ひれもついてきました。

 電電公社はもう一つの問題も抱えていました。それは、会計検査院が年初から調査を進めていたカラ超勤手当支給などの不正です。12月にはその全貌が見え始め、疑いのある支出が13億円あることがわかってきました。職員の飲み食いを会議費として落とすなどは序の口で、実在しない飲食店の架空口座にお金を振り込んでおき後で引き出して使う、他人の名前を勝手に使って接待したことにするなど、やりたい放題です。

 ちなみに、某地域の通信局管内ではカラ出張の手口に公社の寮が使われていたことが判明。何でも、一つ一つの出張簿を克明に見て照合していくと、極端な日では同じ寮に定員の4倍もの職員が宿泊していたことになるため、これが疑惑解明の糸口になったとか。もはや呆れるしかありません。公社では幹部200人が減給などの処分を受けました。

 市場独占のなかで「この世の春」というより、「夏真っ盛り」を謳歌した1980年の電電公社とKDD。やがて1985年には分割民営化政策のなかで電気通信事業法が施行され、電話機や電話サービスへの新規参入が認められて、競争の時代に入っていきます。電電公社時代に国のお金でインフラ整備した固定電話の分野では依然としてNTTが強さを発揮しているものの、携帯電話では事業法制定後の新規参入組も肉迫し、リストラが断行されたりして、今では秋の兆しもチラホラ。IP電話の普及によって、季節はさらに巡っていくのでしょうか。

●関連情報

えっ、社長になったの?

 KDD疑惑で逮捕されたうちの一人に、前社長室次長の西本正氏がいました。贈賄の共犯容疑で逮捕されたわけですが、上司の支持に従わざるを得ない立場だったと同情的に見られる部分があり、結局は起訴猶予で無罪放免となっていました。朝日新聞によると、社内の関係職員が処分される一方で、同氏はむしろ好待遇を受け、9月に総務部長へ昇進。同期入社のなかでも一番の出世頭となったそう。念のためネットで検索してみると、あらまあ、その後KDDの社長(現在は合併後のKDDIで相談役)に就任していました。当時、部長昇進の理由に「会社再建にはなくてはならない人材なので」という同社首脳部のコメントが掲載されていましたが、今となっては、実際に社内浄化や再建に手腕を発揮した実力者だったのだろうと推察するしかありません。

 
当原稿執筆/2003年2月16日
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