1980年の日本球界
 

 野球ファンなら今さら言うまでもないでしょうが、長嶋ジャイアンツには、第一次と第二次がありました。第一次は1975年〜1980年まで。いわゆる一つの「充電期間」を経て再び監督を務めたのが1993年〜2001年です。

 監督就任一年目の1975年に最下位を記録した後、76年、77年とセ・リーグ連覇を果たした長嶋ジャイアンツですが、78年にはヤクルト(広岡達朗監督)、79年には広島(古葉竹織監督)にペナントを奪われ、80年は「V奪回」の至上命令が課せられていました。起死回生の切り札は、「じゃじゃ馬」の異名を持つ青田昇さんのヘッドコーチ就任です。

 青田昇さんは、過去に本塁打王5回、打点王2回、首位打者1回を獲得した経歴をもつ名選手で、監督歴やコーチ歴もあり、長嶋さんともフランクに会話ができる人物とあって、その手腕に期待が集まりました。しかし、新年早々に売り出された週刊誌でのインタビュー内容が舌禍事件に発展し、青田ヘッドコーチはキャンプイン前に早々とチームを去ってしまいます。

 チームのお家事情が発憤材料になったのか、オープン戦段階の長嶋ジャイアンツは絶好調。12連勝を含む13勝2敗の成績をあげ、多くの巨人ファンは3年ぶりの優勝に大きな望みをつなぎました。入団2年目となった江川投手など若手選手の台頭も楽しみでした。

 しかし、シーズンに入ってからの成績は低調に推移していきます。お得意の「ひらめき野球」が裏目裏目に出、期待の若手選手は経験不足で、王選手などのV9戦士たちには一頃のパワーがなくなり、AクラスとBクラスを行ったり来たりでシーズンを終えたのです。

 広島と近鉄の間で日本シリーズが始まる前の10月21日、長嶋監督は突如として辞任を表明します。辞任とはいっても、事実上は首切りのようなものでした。日本シリーズ終了後の11月には、「来シーズンはホームラン40本を」と言っていたはずの王貞治選手が現役引退を発表。V9時代に巨人を応援し続けてきたファンにとって、辛い辛いシーズンオフがこうして始まったのです。今から思えば、1月のヘッドコーチ解任が、すべての始まりだったのかもしれません。

 翌81年からは藤田元司監督が巨人を率い、一年目から優勝に導きます。パ・リーグでは82年から広岡達郎さんが西武監督に就任し、やはり一年目からペナントレースを制し、日本一にも輝きます。お2人とも、管理野球が成功した事例といわれます。豪放磊落で人情味も厚かった青田昇さんの解任は、泥臭い野武士野球から近代的な管理野球へ、プロ野球界が雪崩を打つようにシフトしていく、象徴的な出来事でもあった気がします。

 実はこの年、もう一人の偉大な選手が現役引退をしています。それは野村克也さん。現役選手にこだわってチームを転々とし、45歳という「長老」にもかかわらず、この年は西武でマスクを被りました。3017試合出場という記録は、おそらく永遠に破られることのない日本一記録でしょう。にもかかわらず、長嶋監督解任や王選手引退にかくれて、幕引きの印象はすっかり影が薄かった。ヤクルト・阪神監督時代の「アンチ長嶋ジャイアンツ」ぶりは、実はこの年に植え付けられたトラウマだったのではないか、とも思えるのでした。

●関連情報

脚光浴びたパ・リーグの新人2人

 シーズン前からマスコミの注目を一身に浴びていたのは、南海ホークスに入団したドカベンこと香川選手でした。キャンプインの段階からマスコミがどっと押し寄せ、初日には早くもランニングについていけず別メニューに。とはいえジュニアオールスターでは大活躍、一軍登録後の初打席(7月)でいきなり場外ホームランを打つなど、抜群のスター性を発揮しました。もう一人、社会人野球からプロ入りした日本ハムの木田投手は、一年目から22勝をあげ、最優秀新人賞とMVPのダブル受賞という快挙をなしとげました。新人選手の活躍と、最後までもつれたペナントレースの熱戦続きに、観客動員も上昇。日陰のパ・リーグに薄日が差した1980年でした。

「飛ぶボール・飛ぶバット」最後の年

 かねてから指摘されながら、無視されてきた「遠くまで飛びやすいボールとバット」問題に、この年、いよいよメスが入ります。きっかけは、当時ロッテの監督を務めていた山内一弘さんが、4月の公式戦中に「使用球が飛びすぎるのではないか」と提訴したのが始まり。とある試験機関から「メーカーによっては飛距離に10メートルの差が出る」との報告を受けたこともあって、翌81年からの使用禁止が決まりました。ちなみに、最多本塁打王のホームラン本数を80年と翌81年で比較してみると、セ・リーグが44本(山本浩二選手)から43本(同)へ、パ・リーグが48本(マニエル選手)から44本(門田博光選手とソレイタ選手)へと微妙な減り方でした。本当にボールとバットの改善が進んだのかは定かでありません。

 
当原稿執筆/2002年8月6日
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