1980年の歌謡界
 

 さだまさしさんが「関白宣言」で大きく脚光を浴び、ジュディ・オングさんの「魅せられて」がレコード大賞を受賞した後、1980年は始まります。この年の芸能界は、山口百恵さんの去就をめぐる女性週刊誌の話題から始まりました。三浦友和さんと結婚し、引退するのではないか--そんなウワサを嗅ぎ付けた芸能記者による特ダネ記事が誌上をにぎわせたのです。

 時の人となった百恵さんは、3月になって記者会見を開き、正式に結婚・引退を発表しました。彼女が三浦友和さんとの恋愛を公式に宣言をしたのは79年10月。年の暮れには、所属するホリプロに結婚・引退の意思を表したといわれます。以降、この問題はトップシークレット事項として扱われたわけですが、芸能記者たちは当人たちの身辺の動きから、結婚・引退に確信を深めたのでしょう。1980年は芸能スキャンダリズムが台頭してきた年でもあり、あの梨本サンが、女性歌手と女性タレントの同性愛を報じる・報じないでテレビ局と対立し、番組を降りるといった事件もありました。

 百恵さんはこの記者会見以降、引退のその日に向かって着々と歩んでいきます。現役最後のシングル「さようならの向こう側」を発売したのは8月。9月には自叙伝『蒼い時』を出版し、年末までに200万部に迫るベストセラーとなっていきます。涙の引退コンサート(日本武道館)は10月5日、翌6日には歌番組「夜のヒットスタジオ」で、多くの歌手仲間に見守られながら最後の生歌を披露しました。そして10月15日に正式に引退した後、11月19日にはめでたく挙式に至ります。

 個人的な話題で恐縮ですが、僕にとって「スター・山口百恵」は、唯一無二のアイドルでした。誰でも思春期の時期には多かれ少なかれ抱く、スターに対する独特の感情ではあったわけですが、男ばかりの中高6年間を過ごしたこともあって、彼女を通して女性というものを見ていた時期もありました。

 記者会見から引退までの半年間は、社会人一年生で多忙に過ごした時期でもあり、引退への感傷はほとんどなかった気がします。さすがに引退コンサート中継では、お茶の間で涙ぐんではいましたが、涙もろいお袋も横で目を真っ赤に腫らしていたので、仲間を得た気分でした。舞台中央に白いマイクを置いて立ち去っていく光景は、いまだに脳裏に焼き付いています。

 引退後は、女性誌に三浦百恵さんとしてインタビューで登場したり、写真誌『Emma』でエッセイを連載した時期もありましたが、僕は一度も復帰を望んだことはなく、引退後の動向を伝える芸能番組を遠い目で見ていた気がします。初恋の女性に再会したいようで、しかし意図的に距離を置こうともする……そんな感じでしょうか。裏を返せば、それだけ「スター・山口百恵」の8年間が濃密で、ファンとして十分に満たされていたのでしょう。

 昔のテレビ番組を放映してくれる「NHKアーカイブス」で、先日、NHK特集「山口百恵 激写/篠山紀信」(1979年放映)を久々に観る機会を得ました。篠山紀信さんの写真作品をコラージュした実験的な番組で、「スター・山口百恵」が登場するすべての映像・音楽作品のなかで最高の出来映えだと思いますが、このなかで作家の野坂昭如さんは、「山口百恵さんは戦後ようやく誕生したスター。将来、時代はもっと悪くなっているだろうから、彼女の存在を通して日本の黄金時代を思い起こし、あの頃はよかったと懐かしむことになるだろう」といった“予言”をしていました。時代を適切に捉えた、的を射る発言だった気がします。

 1980年は、ニューミュージックが台頭し、日本語ロックがヒットチャートを独占し始めた時期でもあります。もんた&ブラザーズ、クリスタル・キング、久保田早紀さんのような「一発屋」も活躍しましたし、ゴダイゴは人気絶頂期、ユーミンや井上陽水さん、サザン、オフコースなどの活躍も目立ちました。野坂さんのコメントにあえて付け加えるとすれば、「スター・山口百恵の引退は、日本の高度成長という黄金時代だけでなく、歌謡曲の黄金時代の終焉をも意味していた」というところでしょうか。

 幸せな時代に、幸せな活躍を重ね、幸せな結婚と共に引退した山口百恵さん。これからも表舞台に出ることは望みませんが、もし可能であれば、すっかりおばあちゃんになってから、自分の過ごした20世紀を語って(書いて)いただきたい。彼女だからこそ語れる「時代の証言」が、きっとあると思うからです。

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全米で大人気だったピンクレディも

 1980年には、やはり一世を風靡したピンクレディも活動にピリオドを打ち、解散を発表しています(実際の解散は翌81年)。前年後半から人気がかげり気味で、活躍の舞台をアメリカに移して向こうでテレビ番組に出演したり、アメリカでシングル曲を発表して全米チャート37位まで上るなど、期待も抱かせてくれましたが、国内での人気低迷はいかんともしがたく、「やっぱり」の解散発表となりました。一方、すでに1978年に解散・引退したキャンディーズの中から、伊藤蘭さんと田中好子さんは女優として復帰。山口百恵さんと入れ替わるように、CBSソニーからは松田聖子さんがアイドルとして羽ばたき、そして「たのきんトリオ」の田原俊彦さんや近藤真彦さんもデビューしています。アイドルの新旧交代など、出入りが激しかったのも特徴でしょう。

テクノミュージックが一気に台頭

 一部の音楽ファンの間ではすでに話題となっていたイエロー・マジック・オーケストラですが、1980年の頭には海外公演を成功させたとのニュースが伝わり、人気が逆輸入されるかたちで一気に注目が集まりました。シングルヒットこそなかったものの、アルバムでは一位を記録。ファッションにも影響を与え、「テクノカット」と呼ばれるヘアスタイルが流行りだしたのもこの頃でした。散髪屋さんに行くと、頼みもしないのにテクノカット風にもみあげを斜めに切られた覚えもあります。

 
当原稿執筆/2002年7月19日 原稿一部訂正/2002年7月31日
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