1980年の本音と建前
 

 1970年代には、二度のオイルショックがありました。中東産油国からの原油輸出量削減や原油価格値上げに端を発する、石油消費国の混乱を総称したしたのが「オイルショック」。第一次は1973年10月、第二次は1979年1月に起こっています。

 オイルショックの影響で、省エネルギー(略して省エネ)という言葉が登場しました。主には、石油エネルギーに依存した電力・ガス消費などを抑えようという考え方です。この言葉自体は、第一次オイルショックの頃からすでに出始めていたわけですが、当時はあまり定着しなかったように思います。人々の関心は、省エネよりも目先の物価急上昇や、トイレットペーパー騒ぎに向いていたわけで、混乱が少しずつ収束して立ち直った数年後には、「喉元過ぎれば熱さ忘れる」だったわけです。

 第二次オイルショックは、第一次ほどの経済的混乱にはつながらず、今度は省エネを促す大きな契機になりました。「エネルギー消費を抑えないと、将来、石油は本当に枯渇してしまう」「石油への依存度を少しでも減らしておかないと、これからもオイルショックで大きな打撃を被る」という考え方が定着し、政府も抜本的な省エネ政策をとらざるをえない状況になってきました。とっさの思いつきにしか見えない半袖スーツ=省エネルックが登場したのも、第二次オイルショック直後の1979年6月でした。

 珍妙な省エネルックのインパクトも小さくはありませんでしたが、庶民に省エネを決定的に印象づけたのは、1980年4月に始まったテレビの深夜放送自粛、飲食店などの深夜営業自粛でした。夜の繁華街からネオンが消えたり、午前0時を過ぎるとテレビ放送が終わりに近づいたわけですから、自ずと「省エネに努めなくてはいけないのだなあ」という公共心が植え付けられてくる。新聞紙面でも、読者の身近な省エネ術(電気はマメに消すとか)が連載されたりして、日本中で省エネキャンペーンが展開されたような感じになっていたわけですね。

 こうなると、当然のように省エネを売り文句にした商品が世に出てくることになります。まずは家電製品で、冷蔵庫やエアコンなど電気消費量の多い製品に「省エネ型」と呼ばれる商品がぞくぞく登場しました。圧力鍋を省エネ商品として売り出したのもこの頃です。少ないガス消費量で調理ができるのですから、確かに、立派な省エネ商品ではありました。そのほか、燃費のいい軽自動車も人気で、究極の省エネ移動機器ともいえる自転車の生産も増えました。

 電気やガスを使う商品だけでなく、住宅やビルなどの建築物にも省エネ型が出てきました。何で、建築物が省エネなのか。その根拠は、主に断熱材を多用したことにありました。冬の寒気や夏の暖気を遮断し、暖房・冷房時のエネルギー消費を軽減する、という代物です。

 ただ、アメリカ・ニューヨークからは断熱材を多用した最新の省エネ型ビルで、吐き気や頭痛、めまいを訴える人が続出している、とのニュースが伝わっていました。この省エネ型ビルでは、同国の基準量を上回るホルムアルデヒドなどが検出されており、今で言うシックハウス症候群の端緒となる出来事でしたが、日本の建設省の役人は新聞で「アメリカでは換気率が極端まで低いため、そのせいでは」とコメントし、日本にはあまり関係のない話と受け止めていたようです。

 数ある省エネ商品のなかでも、とりわけ大きな目玉商品となったのは、太陽熱利用のソーラーシステムです。第一次オイルショックを契機に進んだ石油代替エネルギーの研究で、いの一番にあがっていたのが太陽熱利用技術。ちょうどこの頃にはタイミング良く、家庭用ソーラーシステムの商品化が相次いでいました。

 給湯設備として使うタイプ、暖房にも使うタイプなど種類の違いはあるようですが、とくに太陽熱の恩恵を感じる夏場には新聞広告が目立ち、なかには訪問セールスの不手際からトラブルも少なくありませんでした。とくに導入が進んだのは、田舎の立派な一軒家。ご近所との繋がりが深い地域では、「お隣さんが買ったなら」と、軒並み売れていくような状態でした。確かに、地方部へドライブに出かけたとき、真新しいソーラーシステムを屋根に取り付けた集落をいくつか目撃した覚えがあります。

 省エネ型商品の売り方は、実にうまい売り方だった気がします。建前的には「省エネ」で公共心をくすぐり、最後には「これでガス代(電気代)が浮きますよ」という決めゼリフでだめ押しをする。庶民の本音も実際はお財布事情にあったはずで、「エネルギー消費が減らせて日本のためになる」は二の次だったでしょう。

 1980年の春には電気・ガス料金が50%前後もの値上げとなったばかりですから、とくにソーラーシステムの場合は「タダの太陽熱を利用できるなんて、こりゃあいいわい」と考えても無理はありません。もっとも、製品自体は10万円を超えるものが多かったようですから、本当に元が取れたのかどうかはわかりませんが。

 業界団体の資料を見てみると、給湯タイプの販売量はやはり1980年が突出していました。同年10月には、国の補助金も財源にした「ソーラーシステム普及促進融資制度」が創設され、個人住宅への普及がさらに促されました。暖房もできるタイプは1983年が販売量のピークです。ちなみに、ソーラーシステムは太陽光発電とは別物で、発電はできません。

 省エネ商品が売れた1980年でしたが、省エネ意識が浸透した年とは言い難い気がします。たぶん、省エネに名を借りた節約(省マネー)の年、と表現した方が、現実に近いのではないでしょうか。消費者の本音を言い当てた広告を、最後にお見せしておきましょう。

●関連情報

消防庁も「省エネやってます」

 国を挙げて省エネルギーを推進している以上、地方自治体や地方の公的機関もアクションを起こさなければなりません。そこで東京都消防庁が発表したのが、ビルの非常誘導灯を消してもよいとの判断を示すこと。何でも、東京消防庁の管内のビルで、すべてのビルの非常誘導灯を消すことができれば、電気の節約につながり、電気代で換算すると年間20億円近くも浮くという試算です。ただし、無条件で非常誘導灯を消してしまっては、防災につながりません。消防庁が示した条件は、「ビル内に人がいない場合は」非常誘導灯を消してもいいですよ、というもの。しかし高層ビルなら遅くまで残業するオフィスや、深夜営業の飲み屋もあったはず。「ビル内に人がいない場合」がどれだけあったのか、実に興味深いところですね。

 
当原稿執筆/2002年7月18日、一部原稿訂正7月21日
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