1980年のスッパー
 

 起きたら一服、駅で一服、車内で一服、オフィスで一服、飯を食ったら喫茶店で一服、飲み屋で杯を重ねつつ一服、枕元でコトが終わった後にも一服……と、あちらこちらで煙モクモク状態だった1980年。お酒と共に「大人のたしなみ」とも考えられていたタバコですが、この頃から愛煙家たちの間に紫煙ならぬ暗雲がたれ込めてきました。それが「嫌煙権」の登場です。

 日本で嫌煙権運動が始まったのは1978年。当初は「ケンエンケンって何?」「嫌いなら吸わなきゃいいじゃないといった受け止め方が多かったように思いますが、1980年4月には初めて運動家たちによって「嫌煙権訴訟」が起こされ、ようやく社会問題として認知され始めたのでした。

 ここで訴えられたのは、国鉄(現在のJR)、国、専売公社(現在のJT)の3者。なかでもやり玉にあがったのが国鉄で、原告は客車の半数以上を禁煙にすることを求めました。この時点で、新幹線の禁煙車両は「こだま」の一部車両にあっただけ。在来線の状況は正確に把握できていませんが、少なくとも都心部以外では、吸い放題だったような気がします

 訴訟では、禁煙席の設置とともに、過去の健康被害に対する慰謝料請求もありました。ただ、慰謝料といっても請求額そのものは少額ですから、お金を求めたというより、その前提として「タバコは有害なモノであること」を被告側に認めさせるのが大きな目標だったのでしょう。

 同年6月に始まった口頭弁論で、被告側は「タバコは成人に認められた嗜好であり、広く行き渡った習慣」「喫煙車両における不快感は許容範囲内」などと陳述し、原告と真っ向から対立する姿勢を鮮明に見せました。

 専売公社は嫌煙権の考え方が広がることをおそれたのか、7月には「たばこと健康Q&A」と題するパンフレットを発行。このなかで、タバコの煙の中に発ガン性物質が一部含まれていることを認めつつも、発ガン性物質は他にもいろいろあることから「タバコを吸ったからといって、肺ガンになるというものでもありません」と微妙な言い回しで弁明しました。

 当時、一日2箱を吸うヘビースモーカーだった僕などは、この専売公社説にすがりたい気分で、「そうだそうだ、タバコだけが悪者なんじゃないやーい」などと、こっそりエールを送っていました。ただ、専売公社の「タバコ有害説への反論」はかえって逆効果だったようで、運動家たちや医療関係者による「タバコ有害説の確立」に火をつけたともいわれるのですけどね。

 さてさて、喫煙者でもある僕はこの訴訟の成り行きに注目をしていたわけですが、国会での質疑のように数ヶ月で決着するはずもなく、その後結果がどうなったのかよく覚えていません。そこで調べてみたところ、意外なことに、どうやら原告が全面敗訴していたらしいことがわかりました。判決が出されたのは1987年。つまり、少なくともこの時点で、嫌煙権は法的に認められなかったことになります。

 しかし、法的判断が7年後に言い渡されるまでの間に、世の中では事実上の判断が下されていました。対応が早かったのが飛行機会社で、1980年秋には、まず日航が国際線の半分の座席を禁煙としました。国鉄も、嫌煙権訴訟では原告と激しくやりあう一方で禁煙席を拡大、ほかの私鉄でも駅構内や車内での禁煙・分煙を少しずつ推し進めていきました。嫌煙権訴訟で敗訴した原告側も、初期の目的(嫌煙権を広めること)は果たしたとして、控訴はしなかったようです。

 その後、1989年には「ホタル族」という言葉が生まれました。室内では吸わせてもらえず、団地やマンションのベランダでこっそり喫煙する人たちを指す言葉ですが、嫌煙権はこの時点ですっかり浸透・確立していたといえるのでしょう。

 ダウンタウン・ブギウギ・バンドの「スモーキン・ブギ」がヒットしたのは1974年。79年末にはリーダーの宇崎竜童さんが、同曲を含む過去のヒット曲をすべて封印することを宣言し、1980年からはダウンタウン・ファイティング・ブギウギ・バンドとして活動を開始しています。嫌煙権とは関係ない、ミュージシャンとしての判断だったわけですが、今から思えば、何だかとても象徴的な出来事に思えてきます。ともあれ、喫煙家にとって肩身の狭くなる時代が、この頃から始まったのでした。

●関連情報

タバコ値上げで、ささやかな抵抗

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修学旅行を受け入れる旅館の苦悩

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当原稿執筆/2002年7月18日
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