1980年の嗚咽
 

 1980年は、ビートルズファンにとって夢の始まりの一年になるはずでした。 まずは、ポール・マッカートニー率いるウイングスの来日公演です。ビートルズの解散が決定的になる以前からメンバー4人はそれぞれソロ活動を始めていましたが、そのなかでも最も商業的に成功していたのはポール。リンダ夫人も参加したウイングスは、「アイルランドに平和を」「マイ・ラヴ」「ジェット」「バンド・オン・ザ・ラン」など大ヒットシングルの数々を生み出し、ビートルズの後継バンドとして筆頭株と目されていました。

 1966年にビートルズが武道館でわずか35分間のコンサートを果たして以来、ジョンの軽井沢滞在など私的な来日はともかく、音楽活動の一環でメンバーが来日するのは14年ぶり。1975年にもポールの来日が囁かれながら麻薬常習の疑いでお流れとなったこともあり、ファンは「今度こそ」と期待を募らせていたわけです。

 1月16日の15時、ポールは確かに羽田空港着の飛行機で来日しました。タラップを降りたポールは「メッセージはラブ&ピース」と報道陣に言い残し、入国審査場へ。ここで、スーツケースの中に隠し持っていた大麻が発見され、20時には逮捕されて、深夜に留置場へ身柄を移されたのです。

 ショックは日本中を駆けめぐりました。東京、大阪、名古屋で計11回行われるはずだった公演のチケット9万4千枚はすでに完売していましたから、招聘元のウドー音楽事務所などは真っ青になったことでしょう。チケットはもちろん払い戻しとなりましたが、記念のために換金しなかったファンも多かったそう。ウドー音楽事務所は損害賠償請求も考えたようですが、実際はどうだったんでしょうか。

 ポールの来日公演中止の傷が癒えた頃、ファンの悲鳴を誘ったのは、「ジョン・レノン凶弾に倒れる」のニュース速報でした。同年12月8日の夜10時50分、ニューヨークの自宅である「ダコタアパート」に戻ったジョンに近づいてきた犯人は、ジョンにサインを求め、そして銃を発射したのでした。永らく主夫生活に専念していたジョンは、11月に久々の新作アルバムを発表し、音楽活動を再開したばかり。実に大きな財産を失ったものです。

 ところで、1980年の新聞縮刷版を見ていて、「ポール逮捕」と「ジョン死亡」を結びつける不吉な赤い糸を発見しました。それは、メンバーの周囲に迫っていたストーカーの存在です。ポール逮捕のニュースを聞いた熱狂的なファンが、「マッカートニーを刑務所から取り戻んだ」と、米フロリダの空港当局を脅して東京行きを画策し、オモチャのピストルを振り回して逮捕になったのです。ジョンを殺した犯人とは別人物ですが、このようなストーカーたちが少なからず迫っていたということなのでしょう。このニュースを契機に身辺の危機管理を徹底させていれば、ジョンも撃たれなかっただろうに……と思わずにいられません。

 歴史に「もしも」はあり得ないわけですが、もしもジョンが生きていたら、70年代バンドがぞくぞく再結成した90年代後半あたりに、ビートルズの一時的な再結成は十分にあり得たような気がしています。ポールとジョンがいがみ合っていたのは誰もが知る事実ですが、齢を重ねていくと過去の遺恨も許せる気分になってくるもの。特別なイベントでの一夜限りの再結成、あるいは戦争反対や募金活動など社会的メッセージを託した一枚限りの再結成アルバムなどは十分あり得たはず。ただ、この「もしも」も、ジョージの病死(2001年11月)で藻屑と消えたわけですが。

 ビートルズファンの1980年の夢は、悪夢に終わりました。でも、ファンの心の中にビートルズがずっと生き続けていることは確か。95年に発表された幻のシングル「Free as a bird」を涙しながら聴いたファンも多いことでしょう。ビートルズ世代ではない僕も、この曲には涙腺が緩んでしまったのを覚えています。

●関連情報

ポール、獄中の食事は

 ポールが留置されたのは、西新橋にあった警視庁2階の留置場で、4人部屋に1人だけ入れられました。朝はバターを塗ったパンとチーズを食べたほか、美味しそうにみそ汁を飲んだそうな。留置した方も、かなりの配慮をしたものと思われます。21世紀の今、もしも原宿に留置場が建設されて同様の事件があれば、一目会いたいと考えるファンがどっと押し寄せることでしょうね。

●関連リンク

ポール・マッカートニーが1980年の事件を回顧しています。逮捕のショックは想像以上だったようですね。→「ポール・マッカートニーの読売新聞インタビュー」

 
当原稿執筆/2002年5月23日、原稿訂正7月14日
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