1980年の玉虫色
 

 1980年7月に開催されたモスクワ五輪は、とても淋しいオリンピック大会となりました。ソ連のアフガン侵攻に抗議し、アメリカが先導するかたちで西側諸国の多くが参加をボイコットしたからです。最終的な参加国数は80カ国(84年のロサンゼルス五輪は140カ国)。スポーツと政治の関わりが鮮明になる契機となった点も含め、近代五輪の歴史を語る上で大きなニュースの一つといえるでしょう。

 日本も最終的にモスクワ五輪不参加となったことは、記憶に新しいところです。しかし、不参加に至るまでの経緯は意外と忘れられている気がします。当時の新聞記事を1月から見続けてみて、選手にとっていかに痛々しい経過で事が進んだのか、改めて知りました。

 1月1日、元旦の朝日新聞は五輪の年の幕開けをうたった祝賀ムードの記事が並んでいました。モスクワ五輪で大活躍が期待されていたのは、マラソンの瀬古選手と柔道の山下選手。紙面ではマラソン競技をシミュレーションしたレース経過の「初夢」記事が掲載されていて、瀬古選手の活躍が描かれていました。男子マラソンでのメダル獲得は、君原健二選手の銀メダル獲得(メキシコ五輪、1968年)が最高記録。金メダル獲得は悲願であり、「瀬古選手ならきっと獲れる」と期待を集めていたのです。

 その一方で、開催地のソ連では前年末から、きな臭い動きがありました。それがアフガニスタンへの軍事侵攻です。当初はこのニュースを気にとめる日本人も少なかったと思いますが、アメリカのカーター大統領が強硬姿勢を示すようになってから、いやーなムードが漂い始めます。ソ連への対抗措置として、大統領は1月4日に穀物などの輸出を制限すると発表し、1月20日には五輪ボイコットも辞さずと発表したのです。この時点では外交上の駆け引きと見る人も多く、まさか本当にボイコットに至るとは思わなかったことでしょう。

 マッチョなアメリカ国民はカーター大統領の強硬姿勢を強く支持しました。同年年末に大統領選挙を控えていたカーター大統領は思わぬ追い風に気をよくし、友好関係にある国々にもボイコットを呼びかけていきます。呼びかけられた日本政府の態度は玉虫色。国際関係を重視すればアメリカの呼びかけに賛同すべきだし、さりとて五輪大会に正面から政治介入すれば国民の反発を招く。参議院選挙も控えており、首相は「やめろ」とも「参加しろ」とも言わないで時間ばかりが経過しました。

 首相にしてみれば、自分から引導を渡すのは避けたい気分。JOC(日本オリンピック委員会)が自主的に不参加を決めるのを期待していたのでしょう。当のJOCとしては、選手たちの気持ちが痛いほど伝わってくるわけで、何とか参加をさせてやりたい。だけど政府の意向もくみ取れる……。政府とJOCの煮え切らない態度に、日本選手たちの苛立ちは始まったのです。

 各国が参加・不参加の最終態度を明らかにしていく中で、ようやく日本政府が不参加の最終見解を発表したのが4月25日。しかしJOCは翌日の総会で「全員一致で原則参加を確認」します。その後も議論は揺れに揺れ、最終決定を下すはずだった5月22日の臨時JOC総会では「3位以内の成績が収められる」選手に限って選手団を送るという珍妙な案まで登場。「ふざけた案だ」と批判が噴出し、ついに5月24日のJOC総会で採決が行われることになりました。結果は29対13。圧倒的多数で不参加が決まりました。

 実は、これでもまだ事態の収束には至りませんでした。不参加決定はあくまでも「ナショナルチームとしての参加は見送る」意味で、競技別・個人別の「個別参加には期待する」とJOC委員長が語ったのです。しかし、一縷の望みすら消え去ったのは6月10日。IOC(国際オリンピック委員会)が個別参加を認めないことを正式決定し、これによって参加の道はすべて閉ざされました。

 いちばんの被害者は、モスクワ五輪出場が決まっていた選手たちです。「ダメだろう」とは思いつつ望みは消えないわけですから、モヤモヤ気分のなかでも練習は続けなきゃいけない。悲痛な訴えをする選手の報道記事もあり、今改めて見れば痛々しくてかないません。JOC採決の翌日、5月25日に「日本柔道選手権」にのぞんだ山下選手は、足を骨折する悲運にも見舞われました。弱り目に祟り目とは、このことでしょう。

 ちなみに、西側諸国がこぞってボイコットしたように見えるモスクワ五輪ですが、英国やフランスなどは入場行進をボイコットしただけで、競技には参加しています。みんながみんな、アメリカの言うとおりにしたわけではなく、国ごとに自主的な判断をしていたのですね。このことも、案外、忘れられているような気がします。

 モスクワ五輪不参加でアメリカ国民の支持を得たカーター大統領でしたが、同年11月の大統領選では、レーガン氏にあっけなく大敗しました。ボイコットで熱狂したアメリカ国民の「気分屋さん」ぶりにも困ったものです。

●関連情報

モスクワ五輪をモントリオール五輪に変更?

 モスクワ五輪ボイコットを打ち出し始めたアメリカは当初、独自に「自由世界オリンピック」の開催を検討していました。候補地として最有力とされたのは、前回の開催地であるカナダのモントリオールだったそう。一方ギリシャは、どさくさ紛れに「発祥の地で定期開催を」と主張しました。このほか、五輪開催を一年延ばす案も浮上していました。結局、2月に開催されたIOCの総会で予定通りモスクワ五輪開催が確認され、「自由世界オリンピック」構想は消えたのです。

とばっちり受けたテレビ朝日

 五輪不参加で大きな影響をこうむったのはテレビ朝日。放映権を獲得し、ムードを盛り上げようとしていたのに、注目の日本選手が出場しないのですから、肩すかしもいいところです。当初から決まっていた5月5日放映のタイアップ番組「オリンパソン'80」は、オリンピック+マラソンを引っかけた長時間番組で、おそらく選手へのインタビューもふんだんに予定していたでしょうが、政府が「不参加」の意向を最終決定した後とあって、番組内容を大幅に変更せざるを得ませんでした。討論番組やら、ドラえもん、何故かドリフのヒゲダンスまで登場させ、番組を成立させるのに四苦八苦だった様子がうかがえます。司会は久米宏さん。モスクワ五輪のイメージソングを発表した西条秀樹さんも、被害者の一人かもしれません。

●DATA--モスクワ五輪大会

会期:1980年7月19日〜8月3日
メダル取得結果(金メダル取得上位10カ国):

国名
合計
ソビエト連邦
80
69
46
195
東ドイツ
47
37
42
126
ブルガリア
8
16
17
41
キューバ
8
7
5
20
イタリア
8
3
4
15
ハンガリー
7
10
15
32
ルーマニア
6
6
13
25
フランス
6
5
3
14
英国
5
7
9
21
ポーランド
3
14
15
32
 
当原稿執筆/2002年5月23日、6月6日一部修正
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