エピローグ

 

昭和時代が幕を下ろした14年前、そして20世紀が終わりを告げた1年前、昭和時代や20世紀を記録した雑誌や書籍などが数多く出版されました。これらの資料類を眺めてみると、1970年を象徴する言葉として登場してくるのが「モーレツからビューティフルへ」です。これは富士ゼロックスのテレビCMに登場してくるキャッチフレーズでした。

テレビCMの歴史をひもといていくと、確かに1970年は「モーレツからビューティフルへ」の年でした。加藤和彦さん(2年後の1972年に伝説のロックバンド、サディスティック・ミカ・バンドを結成)がヒッピー風のファッションで出演し、「Beautiful」の文字を見せながら都会をぶらぶら歩くという不思議な内容で、その斬新なカメラワークや演出、メッセージのストレートさが共感を呼び、大きな話題となりました。このテレビCMは翌71年の「ACC CMフェスティバル」でACC賞を獲得しています。

これだけの事実を見れば、1970年は高度成長を支えたモーレツ主義、エコノミック・アニマルぶりを反省し、人間らしく生きていこうと考えを改める転換期だった、と見れなくもありません。ところが、1970年の新聞を一年間、端から端まで見ていくと、どうも拡大解釈にすぎないような気がしてくるのです。

ご承知の通り1970年は、新宿区牛込柳町の排気ガス騒ぎ(5月)、光化学スモッグの発生(7月)、田子の浦港でヘドロ追放の住民大会開催(8月)などが引き金となって、公害問題が急浮上した年です。カラーテレビの二重価格問題、隠れチクロ菓子問題なども相まって、市民による企業監視の機運も高まりました(コンシューマリズムの勃興、とも言えます)。

そんな時代の空気を反映して、夏頃から「人間性回復」「人間らしさ」「ゆとり」などをテーマにした企業広告が続々と登場してきます。それも雨後のタケノコのように、急に、ニョキニョキと。その多くは全15段(つまり全面)広告で、メッセージはイメージそのもの。今改めてこれらを眺めてみると、「うちの会社は人間重視なんでございますよー、公害を出しているんだろうって? いえいえ滅相もない」と、消費者の疑惑の目をかわすのに必死な様が見えてくる。その延長線上に、「モーレツからビューティフルへ」という広告も位置づけられるように思うわけです。

別項でもふれましたが、高度成長の副産物として生み出された公害をも、新たな商売にしようと考える企業が後を絶ちませんでした。もちろん、それはそれで、資本主義社会における正しい自浄作用といえるのでしょうが、どれだけの企業がモーレツ主義への反省をしたのかは、ちょいと疑問です。産業界が本当の意味で「もうモーレツは通用しない」と悟ったのは、1973年のオイルショック後だと見るのが、たぶん正しいでしょう。

1970年は、「モーレツからビューティフルへの転換期」なのではなく、「モーレツからビューティフルへ転換しなくてはいけないんだろうけど、いやいや、実はまだまだモーレツで行けるんじゃない?」ってな気分じゃなかったでしょうか。新聞縮刷版を一年間つぶさに見てきた経験から、そんな確信を深めたわけです。

 

当原稿執筆/2001年12月25日
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