1970年の父親

 

1970年は、良くも悪くも、父権が何とか生き残っていた時代でした。一家の大黒柱は何と言ってもお父さん。家計の元となる世帯収入を稼ぎ出すのはお父さんが唯一で、パートタイマーの主婦はまだまだごく一部でした。お茶の間のチャンネル権はお父さんが握っていましたし、高いものを買う買わないもお父さんの決裁が必要でした。もちろん、個々の家庭で事情は様々だったでしょうが、総じて言えばこんな感じです。

6月には、新聞にこんな広告が掲載されました。父の日に、感謝を込めてひげそりを贈りましょう、という内容です。父権が少しは形骸化し始めていたのかもしれませんが、とりあえず、父親に感謝をし、お礼の品を贈る習慣だけは、しっかり生き残っていたと思われます。

一方で、父権を脅かす存在がチラホラ見え隠れしてきます。それが1970年10月に雑誌「少年サンデー」で連載が始まった「ダメおやじ」(古谷三敏)でした。食事をろくに食べさせてもらえず、一人息子のタコ坊にはののしられ、オニババという名前の女房にははり倒される、世にも哀れなダメおやじは、涙なくして読めません。この作品も1973年に映画化(脚本・ジェームス三木、監督・野村芳太郎)され、ダメおやじには三波伸介さんが起用されました。しかし、どちらかといえば、健気に働くサラリーマンの悲哀を描いた作品だったようです。

「ダメおやじ」が始まった1970年に父権が失墜した、とも受け止められますが、実はそうではないでしょう。あまりにも残酷で、小馬鹿にされた「ダメおやじ」というギャグマンガが成立する背景には、「こんな親父、いるワケない」という前提があります。父権という権力が残っているからこそ、とんでもないダメ父が笑える存在になるのであって、父権が失墜してしまった今なら、ひたすら寒々とするだけでギャグにも何にもならない。連載一回目の1ページ目の肩には、編集部が書いたこんなあおり文句が掲載されています。「なにをやってもバカにされ、おやじの権威はメッタメタ!!」。……おやじの権威が存在していたことを裏付ける何よりの証拠ではありませんか。

当時の中年サラリーマンたちは、一部の人は「けしからん」と怒ったでしょうが、多くは「バカな親父がいるもんだ」「俺もウカウカしてたら、こんな父親になったりしてな、ハハハ」と、笑い飛ばしていたと思いますね。ただ、古くからの家族制度のなかで守られてきた父権という牙城が切り崩される契機になったのも、また確かだという気がします。

もう一つ、こんな出来事も1970年にはありました。人気番組「おやじバンザイ」の司会を務め、理想の父親像とも言われていた関西のタレントさんが、自宅近隣で騒音を出していた工事現場に難癖をつけ、テレビで告発するぞとお金を脅し取った事件です。最終的にはウヤムヤな結果となったものの、秋には司会をおろされ、理想の父親像にカゲがさしたのでした。このベテランタレントさんは、後に「娘をよろしく」の司会も務めますが、「優しい顔をした親父にも、裏がある」といった疑惑の目は消えませんでした。

1970年以降、郊外に居を構えて会社までの通勤時間が長くなったお父さんたちは、深夜帰宅が多くなり、家族と過ごす時間をないがしろにしていきます。一方、お母さんたちは、近隣に誕生したスーパーでパートタイムをはじめて住宅ローン返済の一翼を担い、家事との両立に精を出します。そして家には2台のテレビが置かれ、チャンネル争いで父権をふりかざす場面もなくなります。そんな両親のもとで育った子供たちが、父権というものに疑問を抱くのは自然の成り行きでしょう。

「親父」はやがて「オヤジ」「おやぢ」「オヤジェエ」になり、父権は地に墜ちます。2000年に放映されたドラマに広末涼子・田村正和主演の「オヤジィ」がありましたが、今度は父権をふりかざす父親がコメディの素材として登場しました。ダメおやじが笑いの対象となった1970年。頑固おやじが笑いの対象となった2000年。30年でここまで立場が変わったのかと、改めて唖然としてしまうのでした。

 

当原稿執筆/2001年12月25日
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