1970年の医療

 

1970年の医療の話題は、日本医師会による一斉休診の話題で幕を開けました。医療費の値上げに反対しての行動でしたが、「医者が休むとは何事か」と波紋が広がり、年初には社会問題ともなりました。

これに続いて、間もなく、精神病院の実態が話題になります。キッカケは日本精神神経学会が学会誌に掲載した、精神病院の実態調査報告でした。精神病院でここ一年、看護人が患者をなぐり殺す、リンチするなどの事件が少なくとも十余件あると発表され、これが新聞報道されたのです。精神科医の絶対数が少なく、他の診療科からやってきた「にわか精神科医」が、知識のないまま治療を行っている現状も報告されました。

これを受けて、朝日新聞では3月5日付け夕刊から連載記事「ルポ精神病棟」 を開始します。留置場以下の悪臭と寒気に包まれた劣悪な保護室(要するに監禁室)の模様をつづった「檻」。通称・電パチとして恐れられている電気ショック療法がリンチに使われている現状をつづった「私刑」、ただの牢番と化している精神科医を告発した「絶対者」、特定政党の選挙応援を患者に強要する病院を非難した「選挙異聞」などなど……。いずれの回も、センセーショナルな現実が語られました。

連載が始まった途端、この記事は大きな反響を呼びます。新聞社にはひっきりなしの電話や投書が相次いだそうで、国会審議では野党側が事実関係を追及、日本精神病院協会は異例の理事会を開催して精神病院の経営者全員に自戒を呼びかける慌てぶりでした。新聞紙面を一面まるまる使って「精神病院の選び方18章」といった特集が組まれたこともあり、これも異例といえるでしょう。初めて白日のもとにさらけ出された赤裸々な事実に、一般読者は戦慄を覚えました。

さて、連載記事が終わった後も、精神病院にまつわる告発記事はしばらく続きました。 看護職員らがブルーフィルム(今のエッチ裏ビデオ)を見ている病院がある、患者一人あたりのオカズが一食20円足らずでまかなわれている、などといった些末なものもありましたし、某病院では一年に患者が5人も自殺しているとスッパ抜く記事もありました。

大きな悲劇となったのは、6月末に栃木県内の精神病院で起きた火事です。病舎の一つが全焼し、患者17人が焼死するという、精神病院火災としては戦後二番目の大災害でした。痛ましかったのは、遺体の多くが鉄格子にすがるように倒れていたこと。 「患者を逃がさない」ことばかり考えた処遇の仕方が、悲劇につながりました。

さてさて、これだけ騒がれて社会問題化した精神病院ですが、専門家の方ならご承知の通り、この後も実態の改善は進みません。1984年3月には、やはり栃木県内の別の精神病院で、看護職員が患者2人を金属バットで殴打してリンチ死させた事件が発覚。そういえば、つい最近も患者に対してずさんな処遇をした病院が叩かれたりもしました。

1970年の新聞を賑わせた一連の記事を発見して、ああそうだったのか、と気づいたことがあります。ちょうどこの時期、反抗期を迎え始めた僕は、聞き分けのないことを言い、親から何度かこう注意されたのでした。「そんなこと言うてたら、精神病院に連れて行かれるで」 と。親はこれらの記事を読み、「精神病院は恐ろしい場所」と考え、「そんなことを言うてたら、閻魔様に舌を引っこ抜かれるで」をさらに強めた表現として、先のような表現を使ったんだな、と。30年を経て、謎が解けた気分です。同じような経験のある方、いるんじゃないですか。

これら一連の報道は、「精神病院を改善させる」ための告発だったでしょう。しかし、期待していた本来の波及効果は希薄で、むしろ「精神病院は恐い、そこに入れられるような精神病者も恐い」というイメージを広く定着させる方向に、絶大な効果を上げてしまったのかもしれません。そして、恐い精神病者は病院の中へ入れてしまえと、結果的には入院患者の隔離が進んでしまったのでした。

●DATA--精神病院入院患者数の推移

1970年 253,443人
1975年 281,127人
1980年 311,584人
1985年 339,989人

(出所)「我が国の精神保健」平成3年度版(監修・厚生省保健医療局精神保健課)より

 

当原稿執筆/2001年10月15日、17日修正
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