1970年の科学技術

 

1969年7月20日、アメリカのアポロ11号が初めて月に着陸し、日本時間の午前11時56分にアームストロング船長が初めて月面に降り立ちました。テレビ報道の視聴率は最高で96%(!)にも達し、全国民がこの瞬間を目撃したのでした。当時中学生だった僕も、テレビにかじりついていた記憶があります。

人類が月面に立つなんて、夢のような出来事でした。ひょっとしたら地上から宇宙船が見えるかもしれないと、空にぽっかり浮かんだ月をまじまじ見た人も多かったはず。もちろん見えるはずもなく、実感としてはピンと来なかったけれども、このままいけば夢のような計画も次々実現していくんだろうなあ……そんな予感が漂っていたのは確かです。宇宙ステーションだってできるんだろう、月旅行もできるんだろう、いずれは月で生活できるんのだろう、と。実際は、ようやく31年後に一人の大金持ちが宇宙旅行を体験しただけだったわけですが。

このアポロ計画によって、宇宙開発はメドがついたような感じになり、次は謎に包まれた地球の深海に関心が移りました。アメリカではNASAに匹敵する予算規模で海洋開発に乗り出す計画もあり、「宇宙開発の次は海洋開発だ」とばかり、先進諸国はこぞって研究に乗り出していったわけです。科学技術を進化させていけば、人類に不可能の文字はないのだと、「自惚れ気分」がちょっぴり、いや、かなり充満していたわけですね。

こうなれば、科学技術を過信した人々がいろいろ出てくるわけです。例えば、日本の某大学教授は南極大陸と南アメリカ大陸を氷山で繋げて海流を止め、地球の気候を変えてしまおうとする「地球改造計画」を立て、4月に京都で開催された「未来学国際会議」で発表しました。また気象庁気象研究所では1970年度から、自然環境をコントロールしようと「台風コントロール」「雪・ヒョウ・カミナリ撃退」「霧封じ込め」の3つのテーマについて研究班を立ち上げ、台風の目の部分に化学薬品を投下したり、海面に油のようなものをまいて水蒸気の発生を抑えるなどなどの方法を検討しています。

いずれも、今なら顔をしかめたくなるトンデモ案ですが、当時はそうは受け止められなかったでしょう。人類にとって不都合なものは科学技術をもってすれば解決できるし、それが人類の進歩なのだろうと本気で考えていたと思いますね。

別項でふれた公害問題も、発生源をおさえて自然環境に与えるダメージを抑えようなんて地味なことは考えず、いずれは公害を一掃してくれる薬品とか機械が開発されるだろう、と思っていたかもしれません。ヘドロに一滴垂らせばみるみる固まって取り出せるようになるとか、自動車の排気口に機械をカチッとはめ込んだら排気ガスがみるみる吸い取られるとか、原因不明の公害病患者も注射一本ですぐ治癒するとか……。

そんな「科学技術独走ムード」は、しかし、環境破壊に対する意識が高まるにつれて、ブレーキがかけられていきます。よくも悪くも、人類がいちばん野望を抱いていた年、それが1970年なのかもしれません。

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富士山に地下鉄建設計画

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当原稿執筆/2001年9月5日
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