1970年の旅行事情

 

1970年1月17日付の朝日新聞記事で、意外な記事を発見しました。それは、1964年の東京オリンピックに照準を合わせて開通し、その後は毎年順調に乗客数を伸ばしていった……ように見える新幹線が、実はガラガラだというものです。その記事には、客足が落ちている原因の一つとして、航空機に客足を取られたのが原因ではないかと推測していました。国鉄は新幹線乗客数の落ち込みに不安を募らせたのか、予約開始日を前倒しするなど、対策を講じています。当時の国鉄は赤字財政の非難を受けており、ドル箱路線になると思えた新幹線がこのザマでは、さすがにまずいと考えたことでしょう。

しかし、この不安は間もなく杞憂に終わります。3月15日に日本万国博覧会の一般公開が始まると、新幹線をはじめとする各路線の乗客は大幅に増え、万博が閉幕した9月13日現在で、予算を60億円程度上回る収入となったのです。新幹線の乗客数は7、8月の2カ月だけで乗客数が対前年比45%増でした。万博入場者6422万人のうち、半分弱は近畿圏以外からの来場。宿泊場所がないだろうと夜行列車で関西をめざした人も少なからずいて、国鉄にとっては思いがけない潤いとなったのです。盆暮れの帰省ラッシュを除けば、これほどの「特需」はおそらく初めてだったでしょう。

「国民大移動」の効果をまざまざと知らされた国鉄が、指をくわえて待つはずがありません。今度は、自分たちで移動需要を作り出そうと考えた。その産物が「ディスカバー・ジャパン」キャンペーンでした。1970年10月14日の鉄道記念日に始まったこのキャンペーンは、じわじわとヒットし、結局は1987年に民営化されたものの、国鉄としての生命を延命させる一助となったわけです。

1970年にはもう一つ、観光事情に大きなインパクトを与えることになる「芽」が吹き出ています。それは、3月3日創刊の「an・an」です。当初はフランスELLE誌との提携を前面に押し出し、流行の最先端を行くモード誌として出発したわけですが(創刊号の広告をご覧ください)、徐々に等身大の日本人女性に照準を合わせた編集方針へと転換していきます。そして翌1971年春には「non-no」が創刊。間もなく両誌は、こぞって若い女性向けの国内旅行情報を特集し始め、「アンノン族ブーム」が生まれました。実は、このブームを仕掛けたのが「ポスト万博で、何とかもう一度国民大移動の旅行需要を掘り起こせないか」と思案した大手広告代理店の仕掛けだったのです。

「ディスカバー・ジャパン」や「アンノン族ブーム」に、各地の観光地は大喜びで乗っかりました。ここにも万博の後遺症が影響しています。というのも、万博が開かれたために、関西圏以外の観光地は観光客が減少し、悔しい思いをしていたからです。万博で味をしめた国鉄、ポスト万博で仕掛けられたアンノン族ブーム、「万博さえなかったら」の気持ちを募らせた各地の観光地。これら1970年にまかれたタネによって、観光需要は本格化していくわけです。

1970年は日本における観光元年だった---。経済学者や観光業界の関係者は何と言うか知りませんが、少なくとも僕は、強くそう思うのです。

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(当時の観光事情を表すデータを物色中。いずれ追加します)

 

当原稿執筆/2001年5月20日
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