1970年の日本人気分

 

 

1970年の大ベストセラーといえば、万博のガイドブックを除けば、塩月弥栄子さんの『冠婚葬祭入門』(光文社)が挙げられます。大好評につき『同(続)』『同(続々)』と続編が出版され、翌年の1971年には3冊とも年間ベスト10入りを果たしました。あまり知られてはいませんが、1970年10月にはさっそく『喜劇・冠婚葬祭入門』(松竹、監督・前田陽一、主演・三木のり平)として映画化されてもいます。

当時、担当編集者がどの程度時代の風を読んで書籍の企画を出したのかは定かではありませんが、今から見ると、実に機を見るに敏な企画だったと言えるでしょう。

まず、核家族化が勢いよく進み始めています。1970年に行われた国勢調査の結果によると、世帯総数は5年前の調査から実に15.5%も増えました。人口も増えて1億人を突破していますが、人口増加率は5.7%ですから、人口増加を3倍近く上回る急カーブで世帯数が増えたことになります。一世帯当たりの人数は70年調査で一気に4人を切り、3.72人に落ち込みました。理想の暮らし像として「家つき・カーつき・ババ抜き」という言葉が流行ったのは1960年ですが、少なくとも「ババ抜き」については、10年を経て現実のものとなったわけです。

3世代の世帯が少なくなり、家に年長者がいなくなると、当然のことながら、冠婚葬祭ごとの対処方法がわかりません。突然のお葬式で服装に迷う、いくら包んだらいいのかわからない、斎場でのたち振る舞い方がわからない。都会ではニュータウンの団地住まいだったりして、近所に詳しい人もいない。そんな時のありがたいバイブルとなったのが、『冠婚葬祭入門』だったのです。

では、核家族化がさらに進んだ現在はどうでしょう。同じように、古くからのしきたりをアドバイスしてくれる人なんていません。しかし、今は「知らなくても不思議はない」という暗黙の了解がありますから、堂々と物知り人に訊いても恥ずかしくない。そして、多少しきたりに背くことがあっても、そうと気づく人も少ないですから咎められることはありません。今でも書店を覗けば冠婚葬祭時の対応マニュアルのような本が並んでいますが、もうかつてのようにベストセラーになるようなことはないでしょう。何よりもインターネット時代の今となっては、冠婚葬祭に詳しいサイトを利用すれば事足りるわけですからね。

核家族化は急激に進んでいる。少し遅れて、古いしきたりへの忠誠心も急激に失せていく。この2つの急激な変化のなかで、ちょうどいい頃合だったのが1970年でした。つまり、「冠婚葬祭について周囲に知恵袋がいない」「しかし冠婚葬祭のしきたりは守りたいという気持ちがまだ残っている」、この2つの要素が見事にオーバーラップした時代は、1970年前後をおいて、他の時代にはないんです。この「今しかない」ピンポイントのような時代に、『冠婚葬祭入門』というシンプルなタイトルの本を出版したのは、見事としかいいようがないわけですね。

そんな風に見ていくと、1970年という時代が、ありありと見えてきませんか。

●関連情報

「おばあちゃん求む」に家出志願の老女が殺到 (朝日新聞3月2日夕刊より)

美容技術習得のために家を空けたかった主婦が、子供と遊んでくれる「おばあちゃん募集」をしたところ、10人もの応募があってビックリ。しかし、そのほとんどは家に居場所がなかった家出志願の老婦人だったとか。核家族化が進んでいた時代、「おばあちゃんの知恵袋」は生かしどころを見失い始めたようです。

●DATA--1970年のベストセラー(ノンフィクション系)

1 日本万国博公式ガイドブック(編・講談社、発行・日本万国博覧会協会)
2 日本万国博公式ガイド(編・電通、発行・日本万国博覧会協会)
3 冠婚葬祭入門(著・塩月弥栄子、発行・光文社)
4 誰のために愛するか(著・曾野綾子、発行・青春出版社)
5 創価学会を斬る(著・藤原弘達、発行・日新報道出版部)
6 私の人生観(著・池田大作、発行・文藝春秋社)
7 心(著・高田好胤、発行・徳間書店)
8 冠婚葬祭入門(続)(著・塩月弥栄子、発行・光文社)
9 スパルタ教育(著・石原慎太郎、発行・光文社)
10 道(著・高田好胤、発行・徳間書店)


▲当時の書籍広告より。ともに光文社のカッパブックスでした。同社はこの年、激しい労働争議で一時雑誌の発行が中断する大騒ぎになりました。

 
当原稿執筆/2001年5月1日、2005年2月25日加筆訂正
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